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夕暮れの雑踏を、うまく歩けない。
駅前は帰宅する人で一杯だった。
『ごめん、俺‥‥‥好きな女が出来たんだ』
「なっさけない」
自分を叱る自らの声が、乾いていた。
他の女の影に気付かなかったなんて、情けなくて。
はぁ〜、と溜め息を吐いた。
家に帰って眠りたい。
けれど、一人の空間は、今の私を誘ってはいないようだ。
約束のない青に
「なぁ、さっきからそこにいるみたいだけど」
聞いたことの無い声が、頭上から降ってきた。
ああ、またナンパかキャッチ?
さっきからこの手の声ばっかりで、無視するのも鬱陶しい。
そんなに隙だらけに見えるんだろうか、と思って苦笑した。
駅前でバス乗り場の椅子に座ったまま、バスに乗らずずっとここにいる。
買い物に来てここを何度も通る人には目立つかもしれない。
確かに、隙だらけにも見えるかもしれない。
無視を決め込むつもりだった。
けれど去らない足元が目に付いてイライラした。
「‥‥‥家出かよ」
「はぁ?そんな歳じゃ‥‥‥‥‥‥」
ないわよ。
ムッとして顔を上げた。
言いかけた言葉は宙に浮いたまま、とうとう形にならない。
代わりに滑りでた言葉は。
「一晩だけ、あなたの時間をくれない?」
私の正面に立つ彼は眼を見開いて絶句していた。
私自身も暫く言葉が出ないほど、固まっていた。
やっと発言の意味が自身に浸透した時、もう一つ驚く。
彼の着ている服が、制服だと言うことに。
どうやら私は高校生を逆ナンしたようだ。
「ご、ごめんなさい!!冗談だから」
「待てよ」
立ち上がってすれ違おうとした腕は、強い力で寄せられた。
振り向けばすぐ近くに、青い髪。
「送っていくよ」
「は?」
「何だか放っておけないしな‥‥‥あんた」
彼は有川将臣と名乗った。
どうしてあの時声を掛けたのか。
その理由なら、簡単なこと。
失恋したその日に、恋を拾った。
「将臣、玄関の電球が切れそうだから換えてね」
「はいはい‥‥‥ったく、人使い荒いぜ」
「仕方ないでしょ?無駄に背が高いんだから、こんなとき位は役に立ちなさい」
腰に手を当てて睨みつけると、やれやれ、といった体でソファから立ち上がる。
天井から下がる白熱灯に手を伸ばすと、すんなりと届く背の高い後姿に、私は暫し見惚れた。
「ほらよ‥‥‥‥‥‥なに?そんなに俺がカッコいいかよ」
「自意識過剰」
私の手に落とした、古い電球。
受け取る事に注意を払った隙に、体ごと宙に浮いた。
「ちょっと、将臣!?」
「バイト代貰わねえとな」
「バイト代って、電球換えただけ‥‥‥」
ソファに寝かされて、それでも反論しようとした唇は、キスで封じられた。
声を掛けたあの日、本当に一晩を過ごしてしまってから、彼は三日と空けずに家に寄るようになった。
制服姿だったのは、最初だけ。
後は家で着替えてから、駅まで迎えに来てくれる。
まさか、降られたその日に新しい恋をするとは思ってもみなかった。
高校生相手に、すっかりおぼれている私。
「でも、将臣って年下に見えないもんね。老けてるというか」
「あのな‥‥‥俺からしちゃ、遙香が年上だと信じられねえ。それで二十歳だもんな」
「どうせ私は童顔ですよ〜だ!!」
「ははっ!いいんじゃねえの?可愛くて」
「かっ‥‥‥」
「遙香‥‥‥‥」
誘うような囁き。
意味を理解して、すぐに眼を閉じる。
絡まるような、キスが始まる。
そして今度はベッドに沈んだ。
いつしか三ヶ月が過ぎた。
『迎えに行く』というメールは毎日のようになり、その度に幸せだと思うようになった。
仕事帰りの私を駅まで迎えに来てくれて、家に寄って数時間傍にいて、彼が帰る。
休日は一日中。
二人で出かけたり、家でビデオを見たり。
ただ、ゴロゴロと抱き合う日もあった。
毎日が将臣で一杯だった。
想いを口にしたことなんかなかった。
思いを口にされたこともなかった。
けれど、互いに解り合っている。
そう信じていた。
ある日突然、彼の連絡が途絶えるまで。
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