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「友雅さん、離して貰えませんか?」

「‥‥‥君は、どうしてそう‥‥‥私を困らせるのかな?」


腕を引き寄せられて、友雅さんに背後から抱き締められた私は、耳元で吐息と共に囁かれた言葉の‥‥‥意味が分からなくて。


ただ、侍従の香が柔らかく私をくすぐる、媚薬の様だった。




「あまり大人を振り回すものではないよ」




振り回すなど、いつしたのだろうか。

私の方こそ、いつもあなたに一喜一憂していると言うのに。








でも、今ならばこの気持ちを打ち明けられるかも知れない。

背後から包み込む熱が、私の思考を鈍らせる今ならば。









「友雅さん、私」

「友雅さぁーん!!もうっ、どこに行ったんですか!?」




あかねが彼を呼ぶ声が、邸の中に響き渡った。





「ああ、時間切れのようだね」



そして、離れる 熱。




寂しいと、心細いと、思うのに‥‥‥

あなたに行って欲しくないのに。





「友雅さん」




あかねの声に苦笑して、ゆっくりと歩き出した友雅さんを呼び止める。


「‥‥‥どうかしたのかい?」


足を止めて肩越しに振り返る彼に、精一杯の言葉を掛けた。





「友雅さん、あかねは‥‥‥あの子は本当にあなたが好きなんです。だから‥‥‥」





‥‥‥その先を言うのは、涙が零れそうで出来なかった。

本当は、『あかね』でなく『私』の気持ちなのに。







友雅さんは一瞬、顔をしかめた。

けれどそれだけで、静かに口を開いた。



「‥‥‥それが、遙香殿の本心からの言葉なのだね?」



問い掛ける、と言うよりは確認のように聞こえる。




「はい‥‥‥」




その眼を見る事が出来ず俯いた私の耳に聞こえるのは、小さくなりゆく彼の足音だった。












同時に、切なく胸の内を燻っていた私の恋心も



‥‥‥遠ざかって、いった。








素直になれない私だけが、いつまでもその場に佇んでいた。















「‥‥‥どの。遙香殿?」

「え?‥‥‥‥‥‥た、鷹道さん!?すみません」


しまった。完全にぼんやりしていた。


藤原家の女房‥‥‥と言っても名ばかりで、実質はただの居候な私。

呼ばれて部屋に入った私は、呼んだ本人の鷹道さんが文机に向かって書類を書き終わるのをじっと待っていた。

いつしか、心ここに在らずな状態になっていたようだ。


「‥‥‥すみません」

「いいえ。お待たせした私が悪いのですから。女性には退屈でしたでしょうね」

「いえ、そんな訳では‥‥‥」


私の言葉に鷹道さんは柔らかく笑った。


「ところで、用があると聞きましたが」

「ああ、そうでした。最近仕事が立て込んでいたものですから、なかなか話す機会に恵まれませんでしたが‥‥‥」


そうして告げられた内容に私は退け反った。


「幾らなんでも無理難題ですよ、それは‥‥‥」

「そうでしょうか。貴女なら出来ると、私は信じていますが」

「‥‥‥鷹道さん、もしかして楽しんでません?」

「いいえ。貴女はとても感性が豊かでしょう。動作もとても優雅だと思いますし‥‥‥ですから、信じていると言ったのです」

「‥‥‥その割には顔が楽しそうですけど」

「そんなことはありません。ですが、遙香殿の晴れ姿を心待ちにしております」



‥‥‥絶対楽しんでるな。

私はじっと眼を据える。


でも鷹道さんには通じていないのか、緩んだ眼がふと引き締まり、いつもの生真面目な表情に戻った。



「急で申し訳ありません。舞手でこそありませんが、舞を教わるのに丁度良い方に話を付けております。明日から頑張って下さい」

「‥‥‥本当に急な話ですね」


鷹道さんにしても、仕方なかったのだろう。
分かってはいても、一言告げずにはいられなかった。

困った様に眉を下げる。



‥‥‥私ってば本当に素直じゃないな。








仕方ない。

好きな人すら親友に譲ってしまう女だもの。



「ご期待に添えるか分かりませんが、やれるだけの事はします」

「‥‥‥良かった。本当に申し訳ありません」







そして、翌日から稽古漬けになる、けれど。






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