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「‥‥南、ですか?」
「そうだ。九州‥‥‥っと、太宰府あたりにあるんだが。詳しい場所は今は言えねえ。悪いな」
「大丈夫です」
経正殿に呼ばれて部屋を訪れれば、将臣殿も座っていた。
もう平家も終わるだろう。一門と共に果てる覚悟でいた私に、二人は新しい地へと落ち延びる計画を話してきた。
「遙香殿には尼御前と帝のお世話をお願いしたいのです」
経正殿が頭を下げてきた。いつも微笑みを絶やさないこのひとが、いつになく真摯な眼をしているので、私はみっともない程慌ててしまった。
「経正殿!‥‥ど、どうか頭を上げて下さい!‥‥私でよろしければ、喜んで御二方の身の回りのお世話をさせて頂きます」
「‥‥ありがとう、遙香殿」
「ありがとな。遙香殿が一番頼りになる」
「畏れ多い言葉にございます、還内府殿」
そう言って、笑った。
話を終えて自室に戻ろうとした私を、経正殿が送っていってくれる事となった。
廊下を歩きながら、私は揺れていた。
私達はまだ夫婦になっていない。
だけど、許婚なのだ。幼き頃からずっと、このひとに嫁ぐのだと言われて、どんなひとなのか想像しながら生きてきたのに。
胸に宿ってしまった想いを消せる術は、もうない。
優しい経正殿に何もかも言った方がいいのか。
何も言わずに全てが終わったら、彼と幸せになるべきなのか、迷った。
「遙香殿、尼御前と帝をお連れして、御座船へ行ってください」
「はい!」
私は幼い帝に「大丈夫ですからね、参りましょう」と話し掛け、御手を取った。
「尼御前様。お足下がよろしくございませんのでお気をつけ下さいませ」
「ええ。ありがとう」
私達は浜辺を急ぎ、船に乗り込んだ。
「遙香殿。‥‥後は、頼んだ」
「はい。知盛殿は?」
「‥俺は、連中を足止めするさ」
そんな事、何も聞いていなかった。
皆で一緒に逃れられると思ってたのに。
足元が崩れそうになった。目の前の彼の腕を掴んで、身体を支える。
「そんな!だってそんな事したら、知盛殿が」
「俺は」
珍しく、本当に珍しく、知盛殿が私の言葉を遮った。
「‥‥‥俺は、戦の中でしか、生きられない‥」
「そんな事っ‥‥」
「死ぬ時に、生きていると‥‥感じるだろうな」
「知盛殿‥‥」
私の顔は涙で歪んでいるだろう。
止めどなく流れ落ちていく涙と共に、私の思いもこぼれてしまいそうだった。
「‥‥‥だが、そうだな‥‥」
「もし、まだ俺が生きていたら‥‥‥その時は‥‥」
そう言って、私の手をそっと剥がした。
そのまま私の頬に触れ、指先で涙を拭い取ってくれた。
その眼は、今まで見た事がない位、優しく細められていた。
「‥‥私、貴方を待ってる」
「‥‥‥‥ああ‥」
一言だけ残して、私の頭をぽんぽんて軽く叩き、彼は船を降りた。
いつかのように、後ろ姿を見つめる事しか出来なかった。
最後まで、約束を交わさなかったひとの、背中を。
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