穏やかな、けれど新しい何かを予感させる……、
そんな風が樹木達を揺らしている。
昨日の夕立の雫がまだ残っているのか、
朝陽が枝の隙間から零れ落ちては、その葉をキラキラと反射させていて。
不思議と胸が、高鳴った。
「なんでお前は、何時も解りにくい所にいるんだっ!探す僕の身にもなってみろ!」
昨日とは打って変わって、陽が大地を照らす、うららかな昼下がり。
アクラム様の支配下である、特別な空間から、近くも遠くもないその場所で。
天に向かって伸びた桜の枝の上で、スヤスヤと眠りについていた私の前に、招かざる客が一人。
言わずと知れた、馬鹿が、一人。
(……『探してくれ』なんて頼んでないけど。)
それを口にしない私は、大人だと思う。
少なくとも、ここに来た早々、訳も分からずご立腹の男よりは。
「んで今日はどうしたのー?またアクラム様に探して来いって言われたんでしゅかー?」
「なっ!お前、僕を馬鹿にしてるのか!?」
「してないけどー?やだー。セフル君てば被害妄想激しくなったんじゃないですかぁ?」
「くっ……こ、のバカ猫っ……!ま、まあいい。」
バサッと。
落ち着きを取り戻したらしいセフルの腕から放たれたのは、簡素に包まれたナニか。
にこにこと、受け取ったそれと、セフルの顔を交互に見遣れば、
直ぐに顔を反らされてしまった。
「…何これ?くれるのー?」
「いらないなら捨てればいいだろっ!」
「……まだ何も言ってませんけど。」
そんな彼の横顔から微かに覗く耳は、何故か朱く色付いているのが見て取れる。
そして私は何故ゆえ怒鳴られたのか。
全くもって目の前の男の、一連の行動は、理不尽かつ、意味不明だ。
取り合えず私にくれたであろうソレを開く為、結び目を解こうと試みる。
けれど、何処の馬鹿が結んだのか、その固い結び目は解ける事はない。
仕方なしに、アクラム様に貰った力……私の武器とも言える爪を一時的に伸ばし、引き裂こうとすれば、
罵声と共に、何時になく俊敏な動きのセフルにソレを奪われてしまった。
「〜〜このバカ!今お前何しようとしてた!!中の物ごと引き裂くつもりかっ!?」
なんでお前はそうなんだ、と、烈火の如く怒りながらセフルがソレを解き始める。
だったら最初から解いて寄越せ、そう思うのは私が捻くれているせいか、否か。
暫くして、解かれた包みから姿を覗かせたのは、鮮やかな赤。
それをセフルは、またしても乱暴に投げて寄越すと、見ろ、と一言、何処か自慢げに言葉を紡ぐ。
広げてみれば、所々華美な刺繍が施されたソレは、
しっくりと肌に馴染んで、上質な物など容易に解った。
「これってもしかしなくても、深紅ってやつでしょー?八塩染め、だっけ?
すっごい綺麗だけど禁色だよねぇ?どうしたのー、これ。」
「禁色なんて人間が勝手に決めただけだろ。アイツ等なんてちょっと脅せば、そんなの関係なしに作るさ。」
良い色だろ?そう口の端を吊り上げるセフルはやはり自慢げだ。
(アンタが作ったわけじゃないでしょーに。)
人間は嫌いだが、この馬鹿に指示されコレを作った人間には少しだけ同情してしまった。
「それがあれば、この間みたいに人間なんかの真似事しなくてもいいだろ。
お前の銀髪は僕達の仲間の証なんだからな。」
「……だからセフルはさー、この間から何の話してるわけー?いい加減、理解に苦しむんですけどー。」
セフルから貰った深紅色のそれは、外萇とは思えないくらいの華美な外萇で。
逆に目立つだろうと、この男の思慮の浅はかさには心底呆れる。
つい先日、セフルから貰った外萇を、行きずりのお兄さんにあげてしまった私が悪いのかもしれないが。
けれど解せないのは、それを言えば当然の如く怒ると思っていたセフルが、
何故か納得したように、怒りの感情一つ見せず、その場を納めた事だ。
「だからあの時………。」
そう意味深げな言葉を呟いて。
それからと言うもの、どうやった、だの、
まさかお前の新しい能力か、だの。
セフルはしつこいくらいに聞いてくる。
初めは、セフルの妄想が突っ走っているだけかと、さして気にも止めなかったが、
ここまでしつこいと、流石に、本当に何かあるのかと疑いの一つ持ってしまう。
これまでのセフルの脈絡のない会話を統合すれば、浮かび上がるのは一つの憶測。
セフル顔負けの馬鹿馬鹿しい、憶測。
そんな事実、有り得るわけがないと、直ぐさま一瞬湧いた、愚かしい己の考えを打ち消す。
けれど。
もしそれが、否定出来ない事実という名の現実に変わりえるなら、するべき事は一つしかない。
それは至って簡単で、極めて単純。
殺してしまえばいいだけだ。
「さて、新しい外萇も手に入れた事だし、着け心地を確認しに行ってこよーっと。」
「なら僕も…「セフル」」
「……………なんだよ。」
「これ、ありがとねー?」
「フ、フンッ!バカ猫に感謝されても嬉しくないっ!」
(……頬、緩んじゃってるけどね。)
そして私は、まだ何かぶつぶつ呟いているセフルを一人残して、
気付かれないよう静かに桜の木に別れを告げた。
久しぶりに足を運ぶのは、糺の森。
それも何時もの木の上、ではなく、森の(おそらく)中央に位置した、小さな滝が雫を飛ばす、大きな池。
ほんの気まぐれ。
糺の森は、好きだ。
北山もそうだが、空気が澄んでいて、気持ちが良い。
勿論、言わずとも一番好きなのはアクラム様の隣、寧ろ膝の上なのだけれど。
目的の場所に辿り着けば、風によって揺れた水面が、地平線に沈みゆく太陽の柔らかな光を反射して、
絵空事のような幻想的な風景を作り出していた。
池の淵にそっと腰を据えて、そのままゆっくりと両の足を水に遊ばせてやる。
水と私の体温が馴染んだところで、そのまま橙に光る水を蹴れば、
そのせいで揺れた水面は幾重の波紋となり、音もなく池の上を滑るように広がり、私の肌を照らした。
「――ねぇ、そろそろ出てきなよー。」
「…娘、お前から、邪気に包まれた神気がする。見目は鬼、邪気に包まれてはいるが鬼程ではない。
それが解せぬ。お前はなんだ。」
「……お兄さんも出てきていきなり凄い事、聞くねー。『なんだ』って言われてもねー。」
「師匠から妹を造ったと言う報告は受けていない。よって私に妹と言う存在はおらぬ。」
「………………は?」
先程から、刺すような監視を受けているのには気付いていた。
けれど放って置けば直ぐにいなくなるだろうと思っていた私の考えは甘かったらしい。
一向に去ろうとしないその気配に、仕方なしに声を掛ければ、ガサリと、茂みから出て来たのは、
造り物のような美麗な、ヒト。
橙を溶かしてはいるが、この森をそのまま表したような、萌葱色と夏虫色を混ぜた髪を持って、
両の目は違う輝きを放ち、それを囲む肌は片方が卯花色。
その端正な顔立ちは、どちらかと言えば人間、と言うより、人形に近い。
そしてこのヒト、見目もさることながら、中身もなかなかお目にかかれない種のようだ。
どうやら私は、偶然にも本日の退屈凌ぎを見つけたらしい。
「…娘、「私に父はいませんけどー。」」
「……………………。」
「あはは。謝るから、そんな睨まないでよー。」
良い、退屈凌ぎを。
「取り合えずさー、そこに突っ立ってないで、こっちに来て座ったらー?」
ずっと出て来た場所から動かない美麗なヒトを呼べば、問題ない、と。
なんとも苛立つ言葉で片付けられてしまった。
「……ならさー、隣に座ってくれたら私がなんなのか教えてあげてもいいよー?大丈夫、取って食ったりしないからさー。」
「………解った。」
ゆっくりと近付いてくるヒトは、やっぱり綺麗。
アクラム様には敵わないけれど。
「これでいいのか。」
「駄目ー。私、『隣に座って』って言ったよねぇ?
座んないなら教えないよ。」
眉根に皺を刻みながらも、素直に隣に座るこの男に笑いが込み上げる。
この男、やっぱりなかなか面白い。
「お前は変わっている。」
「うん、よく言われる。」
「兄弟子は私が触るのを嫌がる。」
「………なんの話?」
「お前は私が近くにいて気持ち悪くないのか。」
「ぜーんぜん。お兄…アンタが人間臭くないからかなー。だから嫌悪感はないよ。」
そう自分でも不思議な程に、この男には普段人間に感じている嫌悪感が全くと言って良い程湧かない。
寧ろ私は、嫌悪感どころか、アクラム様と同じくらい、この男に居心地の良さを感じてしまっている。
どうかしている。
会って間もない、憎むべき人間に、私の唯一の居場所であるヒトと同等の心地良さを感じているなんて。
「アンタこそ、この銀髪が気持ち悪いんじゃない?」
「私は感情と言うものを持ち合わせておらぬ。お前が鬼でないのなら問題ない。祓うか祓う必要がないかだ。
だからお前は何だと問うている。」
"感情がない"とは、どういうことなのか。
"鬼を祓う"とは、この男はアクラム様に讐をなす敵なのか。
ならばコイツは許されざる存在。
けれど、今は……。
「多分、私はアンタと一緒かなー。」
「…何を言っている。」
「だからー、私は多分アンタと同じ異業種って事。人間(ヒト)に生まれた筈なのに、人間だとは認められなくて、だからと言って鬼にも成れない半端者。
あえて言うなら………そうだねー、猫の真似事をした人間に成れないヒト、ってとこ。解ったー?」
「…解らぬ。」
「あは。解んなくていいよ。でもアンタも私と対して変わらないんじゃない?
今度は私が聞くけどさー、アンタは何?」
もう少しだけ、このヒトと。
話してみたいと、思った。
「この手も身も顔も髪も…我が師、晴明様より頂いた物だ。人は生を受ける時、陰陽の理によって女人の内より生まれ出る。
晴明様によって造られた私はお前の言葉を借りるなら異業種、人ではない。」
そう言の葉を紡ぎ落とせば、男の目は、伏せられて。
感情がないと言っていた筈なのに、それはどこか悲し気に見えた。
碧の中にぽかりと浮かぶのは輝く橙色を燈した池。
ドクリと胸が鳴ったのは、この幻想的な風景のせいではなく、この男によって鳴らされたもの。
この感情を何と呼べばいいのか、解らない。
初めての感覚に、ただ戸惑いを知った。
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