踏み躙る蒼い花 (7/9)
憎しみとはなんだろう
人は簡単に人を殺す
そうさせる程の感情は、どうして芽生えるのだろう
それすら答えを持たない私は
【人形】
日常というものは意図も簡単に覆されるということを、今もって証明している。
星が近い。
幼い頃から見上げ続けた空は、こんなに星や月が大きくなかった。
そして、ここはどうやら寺のよう。
月の仄明かりで照らされる光景。
火災があったのか、焼け落ちた柱が寂しげに立ち、辺りには木片や焦げ跡だらけ。
何年…いや、何十年かもしれない。
荒れ果てた姿で放置されているこの空気は、通常ではない。
…やはり、此処は私の住んでいた土地ではない。
そう考えるのが妥当なのだろう。
「まずは此処がどこか把握することが先決」
呟きに答えがないのは当然のこと。
今、此処に誰もいないのだから。
静寂が心地よい。
「それから、あかね達の居場所を探して。後は……食料ね。いつ帰れるのか見当もつかないし」
もしずっと帰れなかったら……?
ふと過ぎった。
母は心配するだろう。
学校は?
あかねと消えたのだから、周りは大騒ぎになるはず。
それに多分、詩紋と天真も……消えたはず。
ここに居なくとも、あの時一緒に居たのだから。
学校へ行っても、毎日同じことばかりで
周りが笑うから併せて【笑う】
ただそれだけの繰り返し
そういえばあかね達の前でだけ素のままで居てもいいと、ほっとしたのは最近だった。
などと考えていたときのことだった。
「こんな所で何やってるんだバカ猫っ!!お館様がお呼びだぞ!!」
頭上の葉がガサガサと音を立てた、と思ったら、怒鳴りながら塊が降って来た。
「どれだけ探させるんだっ!?このっ……」
見事な金のおかっぱ髪した少年は、私の顔をはたと見て言葉を詰まらせた。
見開く双眸は鮮やかなブルー。
詩紋と似てるって思うのは、同じ髪色だからかな。
「…っ、とにかく早く元に戻せ」
「……元に戻す?」
「何呆けてるんだっ?そのかみ」
少年の言葉が途切れた代わりに、バタバタと複数の足音が聞こえた。
身体ごと振り返り見れば、青褪めた表情の男達が後退りしていた。
そして背後からは舌打ちの音。
「ひぃっ…鬼だ!…鬼が居たぞーっ!!」
「チッ……お前がグズグズしてるせいだぞ!」
「……私は」
「鬼だ!そこの娘も仲間か!?」
「お館様がお呼びじゃなきゃこんな奴ら…!仕方ない、僕は先に行くぞ!お前も早くこ、来い!」
言うが早いか、彼の姿は目の前で掻き消えた。
あり得ない現実を当たり前のように突き付けられて暫しその空間を凝視していた私は、
肩を焼突き飛ばされる衝撃に目が眩んだ。
「すばしっこい鬼は逃げやがったが……こいつ…あの鬼と話をしていたな」
「おい、お前も仲間か!?」
「…鬼?…仲間?……ちが、」
今度は肩を蹴られ、再び草の上に沈んだ上半身。
「見かけない顔だ、忌々しい鬼と暮らしてるのか?」
「……なんの、事…」
「しらばっくれるな!お前のその妙な格好、鬼に決まっているだろう!!」
一人が私を指差した。
緑のジャケット
クリーム色のブラウスに、同色のスカート、白い靴下にローファー。
そういえば膝が熱を持っているから、さっき転ばされたときに擦り剥いたんだろう。
ごく普通のありふれた高校の制服。
それを奇妙だという彼らの服装は、多少違いがあるものの膝丈くらいの着物っぽい。
「だったら遠慮はいらん」
時代掛かった服装の男が数人、田畑を耕す鋤のようなものをいっせいに振り上げる。
……殺されるのだ。
私はここで、
意味もわからないまま死ぬ。
心は凪いだままだった。
月に光る刃を見ていた。
人が死ぬときにはそれまでの人生が走馬灯のように溢れてくるんだよ。
と昔教えてくれたのは祖母だったか。
なのに何も浮かんでは来ない私は、「やはり」と思った。
………目を瞑れば、こんな私にも何か。
何か、大切だったものでも見えるだろうか。
そっと目を閉じれば、ヒュン、と風を切る。
甲高い、鉄同士を打ち鳴らす音がしたけれど衝撃は来なかった。
「此処で何をしている!?」
代わりに力強い声がした。
ぼんやりと再び開けた目に映るのは、豹柄の服を着た男の背中。
剣か、いや日本刀なのか。
きれいな姿勢で刃を受けている。
「こ、こいつは鬼の一味なんだ!放せ!」
「鬼の一味…?」
チラッとこちらを振り返る一瞬で、彼が静かに憤怒を抱えているのだと知る。
「……ただの娘ではないか。数人がかりで囲むとは、
男の風上にも置けん」
「だが!」
「去れ。さもなくば私が相手になろう」
勝てないと思ったのか恐れをなしたのか、男は散り散りになっていく後姿が消えるまで見送っていた。
後ろで高く結っている髪がさらさらと靡く。
外灯などないというのに暗いながらも見える。
月のお陰だとすれば、たった今映るこの風景は今晩一の「美」という恩恵なのかもしれない。
……あの、仮面の奥にあった一対の双眸を除いては。
「怪我はないか?」
「……はい。ありがとうございました」
何が起こったのかいまいち掴めていないが、やはり助けては貰った。
刀を仕舞い差し出した手を借り、上半身だけを起こした私はすぐに頭を下げた。
揺れた髪からはぱらぱらと砂粒が落ちる。
スカートは泥や砂と滲んだ血らしきもので見事に汚れていた。
【助かった】
実感した途端、身体についたあちこちの傷が痛みを訴えるのだから、人間ってば都合がいい。
「娘が夜半に出歩くなど無用心に過ぎる。家は何処だ?私が送っ……」
驚いた目をしていた。
やっと、私の制服に気づいたのようだ。
「鬼の仲間」だと殺そうとした彼らと同様に、助けてくれた彼もまた殺意を持つのか。
……自分でも説明のつけようがないのに「違う」と、説明するのももう億劫だった。
今度こそ殺されるのなら、切れ味の良さそうな刀で一思いにやって欲しい。
それだけが唯一の願いだった、けれど……。
「……貴女は、もしや」
「はい?」
打って変わった穏やかな声音と敬語に、聞き返してしまう。
「その格好は、やはり……貴女は真夜殿ではありませんか?」
「………何を」
「 殿がお探しです」
誰?と聞き直そうとした瞬間に視界が急激に霞み始めた。
まるで催眠術に掛けられたように重く沈んでいきそうな身体。
「真夜殿!?」
ふわり、と浮いた気がした。
それが最後の意識。
催眠術なんかではなく、それが名を呼んでくれた安堵なのだと気づいたのは
すっとすっと先のこと。
【真夜】という、私を呼んでくれたことへの……。
目が覚めると見知らぬ天井。
「……痛、」
此処は?自問した瞬間に脳裏を長い髪が揺れた。
どうやら彼の前で倒れ、親切にも屋根のあるこの家まで運んでくれたらしい。
……そうだ、なぜ彼は私の名前をしっていたんだろう。
部屋の外に出れば会えるだろうか。
ズキズキと痛む身体を起こし、更に肌触りのよい布団から這い出そうとした私の耳。
足音を捕らえたのは丁度その時だった。
「真夜ちゃん、起きたかな?」
部屋に入らずに一声掛けてくれる気遣いが彼らしい。
「…詩紋?」
「起きたのっ!?」
テレビの時代劇で見た事のある御簾を勢い良く撥ね上げて入ってきたのは、あかね。
「頼久、あなたも入りなさい」
「はっ」
その後続くに十二単を着た可愛らしい女の子の一言に、恭しく返事をしたのは男。
そう、私を助けてくれた豹柄の男性が続く。
そしてさっき呼びかけてくれた少年は、一番最後に入室してきた。
「良かった…!!」
「………あかね、痛い」
弾むように飛びつく身体を抱きとめれば肩がスキンと痛む。
けれど振り払おうとしなかった。
あかねと無事に会えて良かった、と私も思っていたから。
泣く彼女の背を宥めながら視線を上げる。
明らかに年下のお姫様と、背後に控える「よりひさ」と呼ばれた人に助けてもらった礼を述べれば、そんなことは当然なのだと返された。
「藤と申します。様の事は神子様から色々とお伺いしておりますわ」
あかねのことだから、余りまともなことは話していない気がするけれど。
思いつつ、藤と名乗った少女に併せて【笑う】。
それから、ふと気付く。
……いつも仔犬のように柔らかく笑う彼が静かなことに。
「詩紋?」
びく、と身体を震わせて彼は、恐る恐る顔を上げた。
目を背けている様にも見えた動作の訳を程なく見つけて、私は言葉に詰まってしまう。
カッターシャツの上に和装という奇妙な服装も確かに気を引いたけれど。
問題は、至る所に痣があること。
腕に巻かれた白い布。
傷の出所を尋ねかけて、不意に思い出してしまった。
「……あかね。悪いんだけど、詩紋と二人にして欲しい」
「え?どうし 「お願い」」
真正面に目を合わせればあかねが弱いことを知っている。
案の定「分かった…でも、ちょっとだよ」と渋々と頷き、二人を伴って退出した。
衣擦れの音が遠くに去ってからそっと彼の名を呼ぶ。
「詩紋」
「……っ」
一歩も動かず俯いたまま。
何かを堪えるかのように、握った拳が震えていた。
どうやら詩紋が動く様子はない。
ならば私から近づこう。
何とか立ち上がり一歩踏み出した時、足が縺れた。
「真夜ちゃん!?」
とっさに支えてくれたその腕を、離さない為に強く握る。
そうして捕らえておいて間近で詩紋の顔を見た。
……転んだ、とは言い訳できないほどの、細かい無数の傷。
「……鬼って言われたの?」
さっき出会った不思議な少年は鬼と呼ばれていた。
人違いをした彼と話しただけで、私すらも「仲間」だと呼ばれ危うく殺されかけたのだ。
もしも、外国人のような風貌の人達を「鬼」と呼び殺意を向けるなら……
同じ金髪の詩紋はきっと、あんな目以上のことにあったんだと思う。
「言われたんだね」
詩紋は何も答えない。
けれど沈黙が何よりの答え。
「……詩紋は詩紋なのに」
外見が何だというのだろう。
それならば彼はこんなに、こんなにも優しい顔をしているではないか。
鍬を振りかざしてきた人達よりももっと。
「…………良かった。真夜ちゃんだ…」
つう、と彼の目から流れるのは、涙。
腕を握る私の手を空いた方の手で剥がし、詩紋はそのまま頬擦りする。
「……詩紋」
「…会いた、かったよ…あなたにっ…!!」
歯を喰いしばって静かに泣く、こんな彼の頬から手を外すことなんて出来ない。
慰めの言葉なんて出てこないから。
代わりに気の済むまでこのままで居ようと思った。
胸がほんの少し暖かい。
もしこれが愛しさなのだとしたら、私はきっと
詩紋を愛しく思っている。
私は知ってゆく
あの人達と同じ憎しみも
怒りも
詩紋の涙の意味も
もうすぐ私は【人形】じゃなくなるから
……今の私には気付く由もなかったけれど
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(あれ、思ったよりシリアス濃くない…?)
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