時間の流れなど関係なく、一年中咲き乱れる多種多色な花々が、風に揺られる。
開放的で、けれど閉鎖的な空間。
雄大な敷地の中にあるこの場所は、私にとって、お気に入りの一つだ。
冷たく、柔らかな風が吹けば、花々と共に、
花々の中に隠れるように丸めた銀色を優しく撫で上げてくれる。
「――オイ。起きろ。」
そこに一つの声が落とされれば、私の意識は少しだけ上昇し、少しだけ身を寄せた。
けれど、それだけ。
私の意識は覚醒されるわけでもなく、直ぐにすぅすぅと規則的な寝息を、落とした声の持ち主に返してやる。
けれど相手もそれだけで納得してくれるつもりはないらしく、
「……〜〜っ!!起きろって言ってんだろっ!!このバカ猫っっ!!」
ガツンと鈍い音がして。
怒鳴り声と共に落ちてきたのは音とは違う鋭い痛み。
どうやら私は自分の眠りを妨げようとする者によって蹴られたらしい。
少し考えれば、ここに住まう者でこんな事をするのは一人しかいないのだが、
覚醒したての頭はその考えを為さなかった。
(痛いなぁ、人が気持ち良く寝てるのに……誰よ?)
顔にこそ出さないものの、煩わしさを伴いながら、薄く瞼を開ければ、
目についたのは、金色。
光を反射し、本来の輝きを一層増した彼の金色の髪は短いながらも、さらさらと風に弄ばれている。
そして美麗な髪の持ち主の歪んだ顔。
「あー……セフルだぁ。おはよー?」
へらり、笑えばセフルの眉間の皺がより一層深くなったのが解った。
「『おはよー?』じゃないっ!このバカ猫っ!!
起きたならさっさと立てよっ!お館様が僕達全員をお呼びだっ!!」
「アクラム様がー?ふーん。……それで?わざわざセフルは私を呼びに来てくれたんだー?」
わざとらしくニヤニヤ笑えば、単純と言うかセフルらしいと言うか……。
「なっ……!!僕はお館様に頼まれたから仕方なくお前を迎えに来てやったんだっ!!
お館様に頼まれなかったら、誰がお前みたいなバカ猫迎えに来るかっ!!」
案の定、顔を真っ赤に染め上げて怒鳴り散らされてしまった。
「あはっ。その割には『セフル君』、顔真っ赤ですけどー?実は私の事、好きだったりしてー。」
まあ、こうなる事を判ってからかっていたのだから、特に気にする事もなく、更にからかうのだが。
「〜〜っ!!ぼ、僕がバカ猫を好きになわけないだろっ!!いっつもニヤニヤ締まりのない顔しやがって…!!
もう良いから早く立てっ!!」
(そうやって一々むきになるから、皆にからかわれるのになんで解んないかなぁ?学習能力ないのかなー?ないんだろうなー。馬鹿な奴ー。)
流石にこれ以上彼の機嫌を損ねるのは面倒臭い事になりそうなので、それを口にする事はない。
面倒臭くなくても、腹の内をあの人以外の者に見せたりしないが。
それに何より、今のこの状況に飽きてしまった。
今度はセフルの言葉に素直に従い重い腰を上げると、最初からそうすれば良いんだよ。と、セフルの満足そうな顔。
本当に彼は単純で愚かだ。
でも嫌いじゃない。
好き、と言えば嘘になるけれど。
固まった躯を解すように、プラプラ手足を動かし、天に向かって軽く、屈伸をすれば、
呆れた顔をしながらも、
「僕は先に行くからな。お前も早く来いよ。……ま、待ってるからな。」
律儀に言葉一つ残して、目の前にいた筈の彼は姿を消した。
「……本当、可愛い奴。さて私も行きますかねー。」
そう呟やかれた声の余韻も消えぬまま、セフルの後を追うように、
私も一瞬にして姿を消す。
初めからそこに誰もいなかったかのように。
けれど花々だけは、彼女がいた事を証明するように、今だ自身を揺らす風と共に、
淋し気に鳴いていた事を彼女は知らない。
「……来たか。―――ミヤ。」
暗闇の中に堕ちるように吐き出されたのは、低くも艶やかな声。
声は、その中に所々咲いた提灯の明かりと共に、
暗闇にその存在を主張するかのよう。
彼が私の名を呼ぶだけで、ぞくり、幸せな身震いがして、快感に酔いしれる。
その直後、言葉違わず姿を現せば、金、銀、金茶、豪華絢爛に輝く色達。
見目麗しい彼等は、京の愚民達に忌み嫌われる『鬼』と呼ばれる一族だったりする。
そして私に向けられた刺すような熱い視線。
一言に視線と言っても呆れ、怒り、無関、楽しみ……多種多様な感情が手に取るように見えて。
それが少し面白くて、喉を鳴らした。
「遅くなってゴメンナサーイ。御主人サマ。」
まあどんな熱い視線を貰っても、彼以外からのものならば特に気にしたりはしないし、気にならない。
だから、いつも通りの笑顔を張り付けて、その場に留まらず、タンタンと小気味良い音を立てて、調子良く歩を進める。
向かう先は自分の名を呼んだ彼の元。
唯一無二の飼い主の元。
それは自分だけの場所。
ここに存在する全てのモノを統べる彼、アクラム様の隣は何時だって自分だけが許された定位置なのだから。
周りも皆、それを認めているらしく、冗談じみた(おそらく冗談?)非難の声は上がるものの、嫌がらせじみたものはされた事がない。
……ない筈なのだが。
(………あれ?)
「……御主人サマ?ここにある筈の物がないよー?」
初の嫌がらせを受けたのだろうか?
アクラム様に貰ったその時から、ずっと彼の隣に敷いてある、
動物の毛で拵えた厚手の布は、姿どころか形すらない。
もしアクラム様以外の誰かが片付けたとしたら容赦はしない。
けれど、返されたのは意外な言葉。
「あぁ、あれは薄汚れていたのでシリンに洗うよう頼んである。大事な私の猫をそんな処に座らせられわけがないであろう?
だから今日はここに座れば良い。」
微かに微笑んだアクラム様が私に指先で示したのは、彼自身の膝の上で。
それにご機嫌になった私はアクラム様にだけ見せる満面の笑みを零すと、勢いよくアクラム様の膝へと飛び乗った。
仮面が端正な顔の半分以上を覆っているせいで、表情こそ読めないが、口許が僅かに上がっている事からアクラム様も満更ではなさそうだ。
そしていつも通り、アクラム様のしなやかな指先が私の髪を優しく撫で上げる。
それが擽ったくて、心地良くて。
アクラム様が好きだと言ってくれた緋色の目を細めた。
「……さて。では本題に移ろうか。」
その言葉をきっかけに、アクラム様の指先だけは私の毛並みを堪能してはいるが、
安穏とした空気がガラリ、殺伐した物変わる。
ごくり、と。
誰か唾を飲む音が聞こえたが、私にとって主から発っせられるものは全て子守唄の如く心地良いもので。
セフルに無理矢理起こされたせいで、まだ存在していたらしい眠気も手伝って、欠伸混じりに自分の主を見上げてみる。
流石にこれには今まで黙認していた彼らも耐え切れなくなったらしく、
とうとう非難の声が上がってしまった。
「ミヤっ!!アンタお館様の膝の上に座らせて頂きながら、お館様のお話の最中に欠伸とはどういうつもりだいっ!?」
「そうだぞ!!バカ猫っ!!真面目にお館様の話を聞けっ!!
聞かないなら膝の上から今すぐどいて、こ、こっちに来いっ!!」
叫んだのはアクラム様を愛してやまない、無駄に色気を垂れ流したシリン。
そしてそれに便乗したのはやっぱりセフルで。
私はと言えば、そんな二人を尻目に、
やっぱり鬼もヒトで、感情は人間と変わらないんだなぁ、
なんて呑気な事を考えてみたりした。
「……シリン、セフル。よさないか。お館様の御前だ。」
そして、低音で二人を宥めるように諭すのは、アクラム様の副官であり、つまりは鬼の一族の副官、イクティダールになるのだ。
ちなみにイクティダールは割と好きの部類に区別されたりする。
イクティダールは賢い。
何より自分の立場を弁えているし、アクラム様に忠実だから。
私と同じ毛色と言うのが少し気に入らないけど。
「まあまあ、イクティ兄許して上げてよ。シリン姐もセフルもそんなにカッカしないでさー。ねっ?御主人サマー?」
「「誰のせいだと思っているんだ(だい)っ!!」」
「あははっ。ハモってるしー。第一、二人が勝手に怒ってるだけでしょー?」
私は欠伸をしただけだ。
それを何故アクラム様ならまだしも、ただの駒である彼等に怒られなきゃいけない?
そして引っ掛かるのはセフルの奇怪とも言える可笑しな言動。
仮にアクラム様の話を聞いていなかったとして、何故ゆえに自分の居場所を離れ、
セフルの隣になんて行かなければならないのか。
全くもって謎である。
「ミヤ、二人をからかうのはそれくらいにするがいい。」
「………はーい。」
「ほら見ろ!!バカ猫、お前が悪っ「セフル、シリン。お前達もだ。」」
「ミヤは鬼の一族の猫だが、私の飼い猫であってお前達の飼い猫ではない。
それにミヤの行動の全てを私が許している。
ミヤの主が私だという事を忘れるな。」
「「……は…い……。」」
「分かれば良い。では話を戻そう。」
『絶対的支配』
なんて焦がれる言ノ葉。
誰よりも美しく、気高いこのヒトを何と呼べば良いのだろう。
世に出回る言葉が陳腐過ぎて、アクラム様を形容する言ノ葉が見つからない。
「……今度こそ龍神の神子となる器が見つかったのだ。」
「……と言うことはー?」
「準備は整った。今日中にも龍神の神子となる娘をこちらに呼び寄せる。
セフルとシリン。お前達には早速京に赴いてもらう。イクティダールは四神の社にいる蘭を見ていろ。
――良いな。」
「「「……はっ。お館様の仰せの通りに。」」」
そう言って、三人は直ぐに姿を消してしまう。
……若干一名、何か言いたげな視線を残して消えたのは気のせいだと思う事にする。
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