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「‥‥‥後白河院宛ての書簡を全部チェックしてくれ、経正」

「はい。もう書かれたのですか?相変わらず仕事が素早いですね」

「まぁな。これで平和が来るってんなら、さっさとしちまうさ」



手にしていた書簡を委ねると、経正は淡く笑った。

雪見御所の内は三草山の戦の後始末もとっくに終わり、束の間のゆったりした空気が流れていた。






‥‥‥つい先日までは。






今は戦が始まるのでは、と思えるような慌ただしさ。
そこかしこで、備蓄や武器の所在について指示する声がした。


そして、還内府として政務に使うこの部屋は特にそうだった。
膨大な量の仕事を黙々とこなし、次から次へと経正に和議に必要な書類を運ばせる。
その一方で、万一の為にと軍備の指示を忠度殿達に出して行く。



「還内府様‥‥このままではお倒れになってしまいます。どうか、お部屋で休まれては‥‥‥?」

「そうですね。将臣殿はここ数日、眠っていないでしょう?今、貴方に倒れられては大変です」



部屋付きの女房が、俺を心配して声をかける。
それを受けて経正が眉目を顰めた。



「サンキュー。心配要らねぇよ。ま、もうちょっとで休憩にするか‥‥‥もう下がってていいぜ」

「‥‥‥畏まりました」



筆を止め、優しい笑顔で返事をする。

尚も心配そうな女房の後ろ姿を見送ってから、経正は溜め息を吐いた。



「本当に‥‥‥随分とお疲れのようですね。今日はお部屋でお休み下さい」

「あ?‥‥‥‥‥‥ああ」

「ゆき殿もお待ち兼ねでしょう」



ああ、そうだった。
経正の心配そうな視線の中には俺だけでなく、ゆきも含まれていたんだな。

密かにゆきに会い、言葉を交わしている経正。
こいつは純粋に、俺と離れているアイツが不憫だと思っている様だ。



「なぁ経正、ひとついいか?」

「はい、何なりと」

「‥‥‥アイツといつも、何話してんだ?」

「それは‥‥‥」



困った様な笑顔で、曖昧に言葉を濁す。



「将臣殿がご心配なさる様な事など何も」

「‥‥‥そうか。だったらいい」

「ゆき殿から直接お訊きになられては?」



俺が還内府の仕事をこなしている間、そして経正の手が空いている時。
ゆきとよく二人でいるらしい。
またそれを見掛けた惟盛辺りが面白おかしく俺に報告してくるもんだから、本当は苛立っていた。


直接ゆきに訊け。
そう言うって事はアイツに口止めされてるんだな。



「‥‥‥そうするぜ。じゃぁな」

「ごゆっくり」





ごゆっくり、か。


確かに部屋に戻るのは一週間振りになるからな。





本来なら、ここまで根を詰める事もなかった。


経正が心配していたのはそこだろう。



ただ、部屋に戻らなかったのは。

‥‥‥戻れなかったのは。





理由が如何なるものであろうと、経正と何度も会っているゆきに‥‥‥苛立ちのまま抱いてしまいそうだったから。





また震える身体を力で押さえ付けるのか。

涙を流しながら俺に止めてくれと懇願するゆきに、無理矢理感情の全てをぶちまけるのか。


















外には丸い月が浮かんでいる。
中秋の名月にはまだ早い。
が、劣らない程に幻想的だ。



渡廊の途中で足を止めて少しだけ眺めていれば、共にこの夜月を見上げたい面影が浮かぶ。

愛しくも壊したいゆきの栗色の眼が、この月をどう映すのだろうか。




「‥夢見が悪いからな、最近」



ここ数日、政務の合間の午睡でいつも、同じ夢を見ていた。

その記憶をかき消そうとしては、毎日自分の成すべき事に没頭していた。



「俺らしくねぇよな。こんな事で動揺するのも」



見るのはありもしない、まさに『夢』。







ゆきが夢に出始めたのは最近の事だった。



夢の中ではあの弾ける笑顔。

その白い手を掴んで自分の胸に引き寄せると、甘える様に目を閉じる。
一糸纏わぬゆきの指先や、頬、唇にキスを落とす。
たちまちゆきの頬は上気し、熱で潤んだような瞳で自分を見つめてきた。
そして甘い甘い声を上げて、絶え切れないのか俺の首に縋り付いてくる。

『将臣くんっ‥‥‥』

吐息と共に漏れる名前。





決まってそこで眼が覚めた。



初めてその夢の後に目覚めた時、泣きそうになった。

腕の中には、その晩気を失う程抱いたゆきの寝顔。
胸が痛んだ事を覚えている。


泣いて、泣いて‥‥‥いつもの様に泣きながら、俺に付き合ったゆきが。


俺を映すゆきは笑みを無くしてしまった。
もう、夢の様には笑わない‥‥‥。






あれから顔を合わせたくなくなって、今に至る訳だが。



「まったく‥‥‥一週間で限界かよ」



眉間に皺を寄せても、黙々と仕事をこなしていく。
お陰で随分と早く、福原で行われる「和議」の準備が出来た。




‥‥‥だが、限界だった。
随分と正直な身体だと苦笑する。



「‥‥‥寝てりゃいいけどな」




俺の側に居る事。

ゆきにとって苦痛なのは分かっている。
だからせめて、眠ってくれれば‥‥‥。


俺の欲をぶつけずに、ただ隣で眠るだけで済むかもしれない。







この角を曲がった先に、寝室。



立ち止まった方がいいのかもしれない。
ゆきの為にはこのまま引き返した方が‥‥‥。












俺の真実欲しかったものに、気付いてしまった今となっては‥‥‥

‥‥‥このまま離れてしまった方がいいのかも、しれなかった。




 
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