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頬に触れるくすぐったさに眼を覚ました。
飛び込む朝の光に眼を細めると、視界の隅に入る栗色。
「‥‥‥ゆき‥」
ああ、そうだったな。
夕べからこいつと同じ部屋だった。
ゆきの横顔を覆う栗色を掻きあげる。
サラサラと指を滑る髪の合間から覗く寝顔を暫く見ていた。
地肌に僅かに触れた指に小さく反応するように、ゆきは眉を顰めた。
瞼が腫れている。
俺が寝てから、相当泣いていたからな。
‥‥‥本当は起きてたんだけどな。
「わりぃ‥‥‥」
かなり無理を強いたと思う。
こいつにとって、昨日は大変な一日だったんだろう。
‥‥‥抱いた訳じゃない。
だが、こいつが嫌がるのを押さえ付けキスを繰り返した。
最後は泣いていたな。
髪を絡めた手をそのまま頬に滑らせ、掌全体で覆う。
「‥‥‥‥、んっ‥‥‥‥‥」
ゆきの瞼が僅かに揺れた。
何かを呟いている。
小さな唇から零れる言葉が聞き取れなくて、俺は耳を寄せた。
「‥‥‥け‥‥さ‥‥」
唇から零れるように呟くあの男の名前を、確かに聞いた。
「‥‥‥そうかよ」
やっぱりな、とか
許さない、とか
二つの感情が交錯する。
疲れ果てて深い眠りに就いたままの、ゆきの顎を掴み上向かせた。
「‥‥いたっ‥‥‥?」
眼を開けたが暫く焦点が合わず。
ぼんやりしていたゆきが俺と眼が合った。
「‥‥‥‥‥まっまさお、み‥‥‥っ」
慌てて飛び起きようとする身体を抱き締めて、再び寝具に押し倒した。
驚き戸惑うゆきの上に跨り、顔を近付ける。
「お前、キス下手だからな」
「なっ!?そんなこと、将臣くんに関係ないじゃない!」
ムッとして、俺を睨み付けるゆき。
俺に関係ない?
そんな言葉も、この状況では俺を煽るだけだ。
「んっとに‥‥‥鈍いな、お前」
「は?訳分かんないよ」
ゆきは精一杯怖い表情を浮かべているつもりなんだろう。
だけど、眼が泳いでいる。
どうやらしきりに左右を見渡していた。
その様は罠に掛かった仔兎みたいだ。
馬鹿だな、逃げ場所なんか与える訳ないのに。
「下手なままだとこれから先、困るだろ?」
顎を捕らえる。
逸らそうと抵抗するが、所詮は非力な女の力。
そんなもんで敵う筈がない。
「‥‥‥やっ」
嗚咽のような小さな悲鳴が、ゆきの唇から生まれた。
涙を浮かべながら、必死に目を逸らす。
「キスの勉強、しなきゃな」
「‥‥‥やだ、まっ‥‥‥‥‥‥」
ゆきの口が開いた瞬間を見計らって、舌を進入させた。
「んぅうっ」
首を振って逃げようとするから、ゆきの後頭部を手で押さえた。
逃がす気はないんだ。
ゆきとのキスは麻薬のように、俺を夢中にさせる。
「‥‥‥‥ぅんっ‥」
唇は極上の感触で、それだけで昇りつめそうになった。
今まで一度も感じた事がない位に気持ちいい。
逃げようとする舌を自らのそれで捕らえ、搦めとる。
ギュッと閉じられたゆきの眼からは、生理的な涙が筋を作って零れていた。
かなり長い間、そうしていただろうか。
それまで固まっていたゆきから突然力が抜けたので、俺はようやく唇を離した。
ずる、と力の抜けた身体を引き寄せながら自分も寝具に横たわる。
ゆきの頬は真っ赤だった。
羞恥と、酸素不足によって。
「‥‥‥‥‥‥ん、で‥」
「マジでキスが下手だな。息継ぎは鼻でするんだぜ」
「‥‥‥なんで、こんな事ばっかりするの‥?」
今にも泣き出しそうにゆきは尋ねてくる。
本気で分からないのか?
「さぁ。なんでだろうな」
「私の事からかって遊んでるの!?」
遊ぶ為だけでこんな面倒こと、誰がするんだ。
遊びなら、清盛にわざわざ会わせる筈がない。
今までずっと「北の方」を迎えなかったのは、
ずっと‥‥‥。
「‥‥‥遊びだったらどうするんだよ?」
低い声で呟くと、ゆきの眼が大きく見開かれた。
「‥‥‥っ、ひどっ‥‥‥!!」
とうとう泣き出したゆきを見ていると、罪悪感を感じる。
と同時に、僅かながら満たされた。
こいつが今泣いているのは、俺のせい。
例えお前があの男を想っていても、今傷付いているのは俺が発した言葉によるから。
溢れそうな想いのまま、ゆきをきつく抱き締めた。
「‥‥‥も、いやっ‥‥‥‥‥‥‥」
「心配すんな。今は何もしないから」
背中を宥めるように擦る。
うつむいたゆきから、とうとう嗚咽が漏れた。
優しくしてやれなくてごめんな。
でも、好きだと気付いてしまった。
やっと腕の中に捕らえた。
やっと自分だけのモノに出来る。
もう、手放す事は出来ない。
腕の中、ゆきの身体は強張ったまま。
‥‥‥それがこいつに出来る、精一杯の拒絶だった。
status quo-preservation
抱き締めたなら君は
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