(1/2)

 



一睡も出来なかった。

月を肴に手にした杯に、透明な酒を注いで注いで‥‥それでも意識は冴えたまま。



‥‥酔えない。

考えることは多すぎる。



和議の行く末。

もし戦になった場合に備えて、帝と尼御前をどのルートで逃すのが一番安全か。

俺の居た世界で余りにも有名な、源義経による「一の谷の奇襲」。


そして、ゆきの態度から‥‥おぼろげに輪郭を浮き出していく
譲や望美が世話になってるあいつらの正体。


気のせいだと思いつつも、振り切れないわだかまりが残る。



‥‥だが、それよりも今、胸を占めるのは。




「情けないよな。俺も、かなり」







雨が降り出した。

月が俺の前から姿を隠せば、暗闇に呑まれそうになる。


女房が去り際に灯してくれたらしい、燭の赤だけが仄かに揺れた。











「‥‥‥殿、将臣殿!」

「‥経正か」


いつの間にか転寝をしていたようだ。
廊の欄干に凭れていたからか起きた瞬間にも肩が痛んだ。

顔を上げれば平家の中にあって唯一人、俺と志を同じくする経正が眉を顰めていた。



大方、ゆきを連れ出した報告と苦言でも言うつもりなのだろう。


だが経正が口を開き発した言葉は想像もつかないものだった。



「将臣殿、ゆき殿の姿が見当たりません」



‥‥‥何を、言ってるんだ。


「先程から、女房達と兵に手分けして探して貰っているんですが‥‥ゆき殿は何処にも‥‥」

「‥‥っ!!分かった、俺も行く」



撥ねるように飛び起きるとそのまま走り出す。



「あ!将臣殿!」



呼び止める声に舌打ちしながらも仕方なく足を止めた。

気が急いて仕方ないのに呼び止めるな。



「ゆき殿付きの女房が泣きながら私に教えてくれました。ゆき殿は昨日ずっと‥‥泣いていたと」

「‥は?んな訳ねぇだろ」



泣いていた?気のせいじゃないのか?

解放されたんだ。
喜んだとしても、ゆきが絶対に泣く訳ない。


この時、俺の眼に浮かぶものが何だったのか、俺自身には分からない。

けど経正は俺を見て、目尻を上げた。
こいつにしては珍しく怒りを露にしている。




「将臣殿!彼女は貴方の名を呼びながら泣いていたのですよ?」




不器用なのは俺なのか、ゆきなのか?





‥‥何で泣くんだよ。

何で俺の名前なんか呼ぶんだよ。




足は真っ直ぐにゆきの元を目指すのに、頭の中は謎だらけだった。



















ざぁざぁと音を立てて、雨が降っていた。

雲が、空が、泣いてる様に激しく降る。


「‥‥‥ったく、あいつはどこにいるんだよ!」



もう、随分と探し回った。

邸を出ない事は分かっている。
確かに、ゆきは陰陽師だ。
以前、土御門の邸で見た時の様に、気配を絶つことなど朝飯前だろう。


だが、それはないと確信していた。
理由を聞かれても困る。



あいつはまだ、何処かにいる。





‥‥‥今更だ。
あれだけ酷い仕打ちをしておいて、ゆきが逃げないと信じてる俺もどうかしている。




渡殿を速足で歩く。




眼は、焦る様に早鐘を打ち鳴らす心音は、ただひたすらにあいつを求めていた。














お前が愛しいと
ゆきが好きだと

‥‥‥何故言えなかったのだろう。







何故、伝える事を諦めていたのだろう。


もしかしたら、無理矢理抱かずに済んだかも知れないのに。
もしかしたら‥‥‥突き放せずに済んだかも知れないのに。



















その時、土砂降りで視界がはっきりしない庭を見たのは。
吸い寄せられる様に欄干に足を進めたのは。


‥‥‥偶然、とは名付けたくない。

必然だと、思った。



























「‥‥‥‥‥‥ゆき?」


ゆきは、庭の桜の側にいた。

激しい雨に打たれて、辛うじて立っていた。

視線が虚ろで‥‥‥空を見上げて。
小さな肩を、頭を腕を、容赦なく雨粒が打ち付けていく。



‥‥‥消え入りそうなほどに、儚く見えた。



「ゆき!」



俺の声にゆっくりと顔を向けたゆきは、この雨よりも激しく泣いてるように見えた。



「何してんだよ」



取り敢えずこいつを中に入れなければ。


俺自身が濡れる事はどうでもよかった。
欄干を飛び越えてゆきの元まで走る。



有無を言わせずその身体を抱き上げると、再び渡殿へ走った。



「還内府様!ゆき様は‥‥‥まぁ、ゆき様!?」

「悪い、俺の部屋に拭布とこいつの着替えを頼む」

「はい、還内府様の分もお持ち致しますわ」



普段からゆきに付いている女房達が、今度は着替えを取りに去って行った。

ゆきが身動きするから、一旦降ろしてやる。


水を吸い切った衣は重く、指先や頬が青ざめていた。
こいつはどれほどの時間、あそこに立っていたのだろうか。



「‥‥‥風邪を引くから部屋に戻るぞ」



口から零れるのは、何故こんなにも素っ気無い言葉なのか。





本当はもっと優しくしてやりたかったのに。







ゆきからの返事がない。

全身から水を滴らせて、俯いたままだった。



‥‥‥当たり前、なんだ。

こいつの笑顔を奪ったのは、俺自身。

こいつ自身を手に入れた代わりに無くしたものは、あまりにも大きかった。








→next

  next
BACK

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -