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「ゆき、辛かったら寝てろよ?」

「‥‥‥‥‥あ」



将臣くんと迎える朝はいつもいつも身体が怠い。


昨夜の名残が残っていて、何度も重ねた身体は激しい運動の後みたいに疲れている。

何とか半身を起こして掠れる声を絞り出した。



「将臣くん‥‥‥行って、らっしゃい」

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥ゆき」



御廉を押し上げた体勢のまま将臣くんは立ち止まって、私をじっと見ていた。


なんで見てくるのかな?


そう思ったけどすぐに答えが分かった。



‥‥‥今まで、将臣くんに行ってらっしゃいなんて一度も言った事がないんだった。

呆気に取られた顔のまま将臣くんは引き返してきて、褥に片膝をついた。



「‥‥‥まさ‥‥わっ!」



強い力で腕を引っ張られて、そのまま抱き締められて。

びっくりして眼を瞑ったら、ピリッと首筋に刺激を感じた。

将臣くんが強く吸ってるんだ。痕が残るように。



「‥‥‥んっ」

「‥‥‥丸見え」

「へっ?‥‥‥‥ぎゃ!?」



気が付けば胸元を隠していた衾が、はらっと落ちていた。

今さらなんだけど、そりゃ散々見られてるんだけど、でも‥‥‥!



「はははっ、色気ねぇ声」

「‥‥‥‥‥!?」



羞恥心よりも久し振りに将臣くんが声を出して笑う姿にびっくりして、私はぽかんと見てしまった。


それをどう思ったのか。
‥‥‥笑いを引っ込めてちょっとだけ滲んだらしい涙を親指で拭いている。



男らしいその仕草。

私の胸が、何だか落ち着かなかった。



「‥‥‥あんま朝から見せんな。我慢出来なくなるだろ?」

「え‥‥‥?」



聞き返そうとした唇に一瞬触れただけのキスを落として、将臣くんは立ち上がった。



「‥‥‥行ってくる、ゆき」



少し低く、囁くように。



振り返らずに出て行く背中。

部屋に残るのは、顔が赤い私の火照る素肌。



何故かずっと鼓動が大きく響いていた。














昼頃になった。


ようやく起き上がる気力が沸いてきた。
何とか着物に袖を通して、まだ倦怠感の残る身体で部屋を出る。



「‥‥‥お腹すいたなあ‥」



朝餉を摂る事をすっかり忘れていたツケで、お腹が煩く音を立てた。


‥‥‥誰も聞いてないよね?


途端に後ろからクスクスと笑う声がした。



「あら、随分と辛いようですね」

「‥‥‥時子様、こんにちは」



振り返った先にいたのは時子様。
情けない顔の私に優しく笑い掛けて、「こちらにおいでなさい」と手招きしてくれる。

連れて行かれた時子様の部屋で、みずみずしい瓜を頂いた。
程よく冷えた瓜はおいしくて、心が緩めば世間話も弾んだ。

普段はあまりお会いする事がないけど、優しいお方だって印象が強い。

けれど、この方は‥‥‥平清盛の正室。
そう思うと緊張してきた。



「将臣殿が最近忙しくいらっしゃるので、さぞ寂しいでしょう?」

「え、と‥‥‥」



なんて答えればいいのか悩む私をよそに、柔らかい笑顔で時子様は続けた。



「和議に備えて動く将臣殿達を余所に、清盛殿は屋島に足繁く通われておられるのです」

「‥‥‥屋島、ですか?」

「ええ。そこで安住出来る様に準備なされているのですよ」

「‥‥‥屋島」



私が将臣くんの許婚だからなのか、時子様は重要な筈の事柄をサラッと教えてくれた。
















清盛様は屋島に何度も通っている。


和議前という、こんな時期にも関わらず‥‥‥。















これが私にとってどんな意味を持つのか。

何も知らない時子様に、申し訳ないとさえ思った。




丁度よく山積みの瓜も平らげて、話も一段落したので私は頭を下げた。



「美味しかったです。ごちそうさまでした」

「いいえ‥‥‥また、良い甘味が手に入ればご一緒しましょう」

「はい」



優しく微笑む時子様に罪悪感を感じて、慌てて部屋を出ようと立ち上がった。



「‥‥‥ゆき殿。お願いしますね」

「えっ‥‥‥」



振り返った視線の先。
時子様の眼は、庭に向けられている。


今のはどんな意味が込められているんだろう。


悲しそうな声、だった‥‥‥。






















部屋へ帰る為に廊を歩いていると、少し先の部屋の御廉が揺れた。



‥‥誰かいるのかな。


漏れる声から、男女が話しているんだと分かった。




邪魔しちゃ悪いからなるべく足音を潜める。
さっさと通り過ぎれば気付かれることもないと思った。



「こちらが‥‥‥‥です」

「ああ、サンキュー」



女の人の声に続くのは‥‥‥‥今朝、聞いたばかりの声。

どきんって心臓が大きな音を立てて、足が止まってしまった。

風に捲れた御廉が、垣間見せたのは、女房装束の綺麗な女の人と、予想通りの彼の姿。




何で、将臣くんが‥‥‥?



やだな。
何で私、柱の陰に隠れてるんだろ。

何で私、
聞き耳立てようとしてるのかな。



「‥‥‥将臣様‥」



艶のある女房の声で分かってしまう。

この人、将臣くんが好きなんだ。



「‥‥‥最近、全然私の所に来て下さいませんのね」



顔なんて見えないのに、悲しんでいると分かるような声。
なんて可愛らしい声を出すんだろう。



「‥‥‥どうしてですか?将臣様‥‥‥もう、私の身体には飽きてしまわれたのですか」


「‥‥‥‥っ」



胸が、痛い。
その言葉で私は、心臓を深く抉られるような苦しみを覚えた。

こんなに煩かったら、心音に気付かれてしまいそうなのに‥‥‥。

収まって、お願い。



ちょっとでも響かない様に、夢中で胸を押さえた。



「少し前まであんなに通って下さったのに‥‥‥!あの方が来られるまでは‥‥」



とうとう泣き出したらしい、彼女の嗚咽が更に打ちのめす。

さっきチラッと見た彼女と将臣くんが重なり合う姿が、簡単に想像出来てしまった。





将臣くんの腕の中で、私は知らなかった世界を知った。

理性ではどうしようもない快感と、
感情だけでは語れない、肌を合わせる心地よさも‥‥‥
息が詰まりそうな、頭が真っ白になるあの瞬間も。







私と同じ事を、彼女にも与えたの‥‥?


同じように、その手で、その唇で‥‥‥‥。



片手で口元を押さえる。

そうしなきゃ、声が漏れそうだったから‥‥‥息を止めて。



嗚咽が少し続いた後、黙っていた将臣くんが溜め息を吐く声がした。



「悪い‥‥‥愛してる女がいるんだ。だから‥‥‥精算しなきゃな」




雷が落ちて、痺れたような‥‥‥衝撃を受けた。







息の仕方すら忘れてしまったみたいに、苦しくて苦しくて。






将臣くんには愛してる女の人がいたんだ。


だから、精算するって‥‥‥。





「や‥‥‥‥嫌です!そんなのっ‥‥!」

「‥‥‥悪かった。戯れだったとか言わねぇ‥‥‥けど、ごめん」



激しく泣きじゃくっている声と、衣擦れの音。



「‥‥‥ふ‥ぅうっ‥‥」

「ごめん、な‥‥‥」



くぐもった将臣くんの声から、泣いてる彼女を抱き締めているんだと分かった。





力が入らなくて、それでも柱に掴まって、何とか立ち上がる。

御廉から眼を背けながら早足で歩き出した。











あの人はいいな。
将臣くんの腕の中で、泣けて。



「やだよ‥‥‥おかしい、私。おかしいよ‥‥‥」



何で涙が出てるの?


何で廊が滲んで、まっすぐに歩けないの?









将臣くんには愛してる人がいて、だから他の女は精算する。




‥‥‥ただそれだけの事じゃない。






もともと私、将臣くんに恋愛感情なんか持ってなかった。

無理矢理私の身体を奪った事を憎んでいたけど、最近はそれもやめたくなったけど。

ただそれだけだよ。









良かった。



他に想う人がいるんだったら

あの人のように


私も解放されるんだ‥。



「‥‥ふ‥‥ぇ‥‥っ」







ああ、本当にバカだな。










恋なんかしていない。

恋する訳がない。

あんな事をした将臣くんを、好きになるのはおかしいよ。




「‥‥バカ‥‥なんだからっ‥」





本当の気持ちに



‥‥‥‥‥‥今頃になって気付くなんて。




もっともっと、後になって気付けば良かったのに。





我慢しても我慢しても、溢れ出てくるこの想いが何なのか。
もう少しだけ眼を逸らしていたかった。





ついには耐えきれずに、足が止まってしまう。

ボロボロと零れた涙は足取りとは逆に、視界のほとんどを奪っていった。





 
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