(2/2)
「あ、将臣くん。お帰りなさい」
少しだけ眼を和ませて俺を出迎える。
最近のゆきは、俺を拒絶する事がなくなった。
俺の話をじっと聞き、抱き締めればそっと身を委ねて来る。
いつだって俺を受け止め、俺の下で鳴くようになった。
心を許したんじゃなくても、その変化に愛しさは募るばかりだった。
今のゆきはただ庭を眺めていたのだろう。
室と廊を遮る御廉を全て上げて、室内に座っている。
‥‥‥‥見上げた眼にうっすらと、涙の跡が見えた気がするのは‥‥‥気のせいか?
「‥‥‥話がある。今でも構わねぇか?」
「え?‥‥‥‥‥‥うん」
頷くゆきの隣ではなく正面に座れば、合わせて程よく崩していた足を正座に直してきた。
話を振る前から、泣きそうに顔を歪めるゆき。
‥‥‥本当にバカだな、そう思った。
感情を隠し通せないコイツを平家に遣らせたのは、一体誰なんだ?
こんなに嘘の付けない素直なゆきを、平家に送り込んだ奴‥‥‥。
『師匠』でなく、もっと前にゆきに何かを吹き込んだ、元凶。
そいつを俺は殺してやりたい程憎む。
散々ゆきを泣かせた俺なのにな。
非道なのは俺も変わらないのに。
怒りをどうにか堪え、溜め息を吐き、冷静に告げるべき言葉を吐いた。
「お前、スパイなんだって?」
「‥‥‥‥‥へ?」
きょとんとした顔の真意が読み取れない。
ゆき自身、意味が分かっていないのか?
恐らくそんな所だろう。
解りやすい言葉を探しあぐねて、仕方なく一言だけ滑り出した。
「知盛から聞いた」
「‥‥‥っ‥!」
弾けたように顔を上げて俺を映す、その眼。
何でそんなに傷付いてるんだよ、ゆき。
俺からの意志でなく、知盛から話を聞いたと言えば、焦ったゆきの反応から色々と窺えると思っていた。
知盛との間に何があったのか。
‥‥‥何か、あったのか。
「違うよ将臣くん!!私スパイなんかじゃない!そんなことじゃない」
俺の袖を掴み真剣な眼で訴えてくるゆきに嘘はない。
「詳しく言えないけど、でも!私‥‥‥」
必死で言い募ろうとして、悔しそうに唇を噛み締めている。
『誰か』に口止めをされているんだろう。
こんな時でも律義に黙秘を守り通すゆきはきっと、どんな拷問を受けても喋らない筈だ。
そんな事、分かっている。
ゆきがスパイ‥‥‥間蝶だか何だか知らないが、そんな事は初めからどうだっていいんだぜ?知盛。
「‥‥んだよ。言えねぇ理由でもあるのか?」
「‥‥‥、それはっ‥‥‥」
そんなものはただの口実に過ぎない。
「まぁ、どうでもいいけどな。お前はここを出て行くから」
‥‥‥‥‥お前に罪悪感を背負わせずに出て行かせる為の。
「‥‥‥え‥?」
「得体の知らない奴を置いておける程、平家も甘くはねぇ。俺に言えないんなら‥‥‥出て行け」
恐らく福原は戦場と化すだろう。
優勢の頼朝が和議を結ぶなど有り得ない。
不安要素は徹底的に滅ぼす筈だ。
北条政子と言う安心した餌を与えたフリをし、こちらの隙を突く。
それで間違いないと俺は思っていた。
何としてでも平家は護る。
‥‥‥だからこそ、望んで此処に来た訳ではないゆきを、
巻き込みたくなかった。
「明日の正午に経正んとこの兵がこの部屋に来る」
「なん‥‥‥で?」
「何で?お前を京に送るために決まってんだろ?」
ゆきは意味が分からないらしく、聞き返そうと首を傾げた。
そんな小さな仕草にまで思わず手を伸ばして抱き締めたくなる。
それぐらい、囚われているんだな。
でも、もう解放してやるよ。
好きでもない男に自由を奪われ続けて、辛かったよな。
「聞こえなかったか?‥‥‥帰れと言ったんだ」
「かえ‥‥‥れ‥‥?」
何でそこでそんな顔するんだよ?
もっと嬉しそうな顔をすると思っていた。
もしくはホッとするかと。
‥‥‥そんなに呆然とするのは、目的とやらが果たせられなかった悔しさからなのか?
「‥‥‥何で‥‥」
「‥‥‥‥‥‥言われなきゃわかんねぇのか?」
目の前には愛しい女がいて、今にも泣きそうになっているのに‥‥‥もう触れる事すら許してはいけない。
空いてしまった手の衝動を押さえる為に、頭を掻き毟った。
「わか、んない‥‥‥飽きたの?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥そう、だな」
‥‥‥‥‥‥ゆき
飽きる訳、ないだろう?
「‥‥‥‥‥飽きた。お前、俺を満足させてくれねぇし」
「‥‥‥‥‥‥っ!!」
「怯えられてんのも流石にな。未だにぎこちないし。最初はそう言うプレイもいいとか思ったけど‥‥‥‥‥‥ま、飽きるわ」
ゆき、
これでお前を傷付けるのも最後だから‥‥‥。
お前が幸せを掴める場所に帰してやるから。
「だから、師匠とか言ったか?そこでも景時ん所にでも‥‥‥‥‥‥帰れ」
‥‥‥限界だった。
吐き捨てるように言い置いて、部屋を出る。
最後まで俺は残酷だった。
閉じ込め、傷付け、奪い、快楽を教え‥‥‥そして突き放す。
この全てが狂いそうな想い故だと、一体誰が思うだろうか。
それとも、人なら必ずしも持つ激情だとでも言えばいいのか。
‥‥‥平家を護る。
けれど、この先は平家にとっては辛い道を行くだろう。
和議を結ぶにしても恐らく此処にはいられない。
安住の地を探すべく、転々とするだろう。
それでも、ゆきが俺に惚れていたなら、何があっても離さなかった。
側で剣を振るい守り抜くと誓えただろう。
だが、そうじゃないから。
これ以上得られるべき幸せを奪ってしまいたくないんだ、もう。
廊を曲がり、使ってない室で一夜を過ごす事にした。
手近にいた女房に酒を頼めばすぐに誂えてくれる。
「サンキュー。あと‥‥‥いや、何でもねぇ。朝まで下がっててくれ」
「畏まりました」
女房の姿が消えるのを見届けてから、酒を注いだ。
‥‥‥ゆきの様子を見ててやってくれ。
思わずそう、頼みそうになった俺に笑う。
泣いている筈なんかないのに。
自嘲の笑みを浮かべたまま月を見上げれば、仄かに柔らかい。
その光がゆきの様に優しく、淡く俺を照らしていた。
月光は人を狂わせると言う。
「‥‥‥狂う、か。そうなりゃ楽だったかもな」
立ち去る前に見た、辛そうな顔が忘れられない。
最後の最後に見た顔が
笑顔だったら少しは満たされたのか
Instead of My Love
それであなたが微笑うなら
prev
BACK