(2/2)

 



隠形の術は本当に便利だとこの時ほど思った事はなかった。

庭を巡回する衛士の眼に、私の姿はそこにある風景の一部として映っているんだろう。


雪見御所って実際に京にある御所と同じ造りらしくて、やたらと広い。

広い挙げ句に渡殿と呼ばれる渡り廊下で、ただっ広い建物同士を結んでいる。




私達の部屋から、目指す場所へは幾つか渡殿を歩かなきゃなんないから、見つからなくて済む隠形を施してきて助かった。

怪しまれない様にちょっとずつ、経正さんから聞き出した情報。
それによれば宝物殿は、この廊を曲がった先にあるという。



あと一息。



ようやく緊張から開放されて溜め息を吐いた、時だった。



「‥‥‥こんな所に、何用か‥‥女房殿?」











‥‥‥知盛と呼ばれていた、あの男の声。


「‥‥‥っ!」



鷲掴みにされた心臓が悲鳴を上げた。

背後から冷ややかな殺気を感じる。

つ‥‥‥と、背中に汗が流れるのを、妙にリアルに感じた。



「‥‥夜目を盗んで這い回る気配に来てみれば‥‥‥まさか、女房が一人とは‥‥‥な」

「‥‥‥」



ドキッとした。
何でこの男には、隠形術が通じてないの。

‥‥‥何か言わなきゃ。

何か言わなきゃ、何か。

ここで足止めされてはいけない。



「‥‥‥まだ新参者なので、あの、部屋が分からなくて‥‥」

「クッ‥‥‥ならば送って差し上げよう」

「‥‥‥いえ、そんな。私は大丈夫ですから‥‥‥」



用意した扇を広げて俯けば、顔は隠れる。

そんな事をしてる間に、知盛は正面に回り込んできた。



「ふん‥‥‥何もそう、遠慮召される事も‥‥あるまい」

「‥‥ゃ」



クックッと這うような低い笑い声が、いつの間にか寄せられた耳元で響く。


それだけで震えが止まらなくて、
怖くて、怖くて‥‥‥。



「顔を‥‥‥上げろ」

「‥‥っ!!」



知盛の指先が伸びて扇を弾いた。



「や、だ‥!」

「‥‥‥これはこれは」



無理矢理掴まれた顎を持ち上げられる。

恐怖で浮かんだ涙がゆらゆらと揺れる中、突き刺す眼差しとぶつかった。






封じていたかった、記憶の底から滲み出て来る‥‥‥‥‥‥‥‥‥私を殺そうとした男の、怜悧な眼。



「久方振り、とでも言えば良いか‥‥‥ゆき殿?」

「‥‥‥知盛‥殿」

「兄上の許婚であるお前が‥‥‥此処に何故来た?」



ギュッと更に強い力が籠って、まるで拷問のように痛い。

ううん、きっとこれは拷問。


ここに、夜中に来た不自然。
それだけは言えないのに。将臣くんにだって言えないのに。



「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

「クッ‥怯えるだけのつまらん女だと思っていれば‥‥‥なかなか面白い」

「‥‥っ‥」



ギリギリと軋む音が聞こえているかのように、痛くて、顎が砕けそうだった。

‥‥‥言えない。

涙が一筋だけ流れたのを、頬に滑る熱で感じた。



「‥‥‥言えません」



頭が強張ってまともに考える事が出来ない今、下手に誤魔化す事なんて私には出来ない。

たった一言。それが精一杯だった。


私の言葉に何を感じたのか。
知盛はすごく楽しそうに、クッと笑いながら頬を歪ませる。


そのまま顔を近付けて来た。



「‥‥‥やぁっ‥」



キスされるのは絶対にイヤ。
だから、必死の思いで顔を背けた。



「クッ‥‥‥強情な女だ。身体にお訊きした方が‥早いと見える」

「‥‥‥‥‥‥ダメっ!!」














将臣くん以外の手で


私に、触らないで








カッとなった一瞬、身体が恐怖を忘れたみたい。

咄嗟に懐から肌身離さず持っていた呪符を取り出した。


呪言も唱えずに手を伸ばして、ただ知盛の胸に押し付けた。
そんなんじゃ何も起こらない。
って普段の私なら分かりきっているんだけど。



「‥‥‥っ!?」



でも、それだけで吹っ飛ぶ知盛を見て、眼が真ん丸になった気がした。






‥‥‥師匠は、どれだけ凄い物を持たせてくれたの。




何はともあれ今の危機は脱した。

後で何と追及されても、将臣くんに何て吹き込まれてもいい。
そんなのは何とか切り抜けてみせる。




でも、今‥‥‥この男に抱かれるのだけは嫌だった。




廊の隅で座り込む知盛には悪いけど、近寄りたくないから逃げよう。


そう思って来た道を振り返った私の耳に、再び声が聞こえた。



「お前が探しているものは、此処にはない」

「っ!な、何のこと?」

「‥‥‥クッ‥‥‥さてな。父親が大切になさっている‥‥‥秘宝、とでも言おうか」




‥‥‥何も返せなくて、そのままそこから逃げた。














住んでいる殿の近くまで一気に走れば、いくら略式の女房装束と言えども重さで疲れ果てた。



「‥‥‥はぁっ‥‥怖か、った‥‥」



怖くて怖くて、そしてホッとして、そのままずるずると座り込んだ。
廊のシンとした冷たさが、汗ばんだ足元に心地いい。

荒い呼吸が段々と静かになってゆく。
同時にちょっとずつ頭も冷えて来た。







‥‥‥やっぱり、私はおかしい。



知盛なら、何か知ってるかもしれない。

冷静に考えればあれはチャンスだったかも知れないのに。




『身体にお訊きした方が‥‥‥』




逆に、聞き出せたかもしれないのに。

平家の目的を、探しているものを手に入れる方法を。



将臣くんにだって散々、無理矢理抱かれたんだもの。


今さら、知盛にだって‥‥‥



「‥‥‥‥‥‥っ!‥‥」







ほら、おかしい。















何で将臣くんじゃなきゃ嫌だって、考えるの?












『‥‥‥‥は、ぁっ‥‥ゆき‥』

『いや、何でもねぇっ‥‥‥』



あの時、とても切ない眼をしてた将臣くんは何を言いたかったのか、知りたいと思った。


あれから、きっと私は。

私は‥‥‥。





帰って来るのは明日。

将臣くんが今朝、そう言ってた。


なのに、なぜか帰って来ていると思った。

‥‥‥帰って来て欲しいって、思った。







いっぱい泣いたのに

痛い思いも散々したのに

正直、男は怖いって怯えもしたくせに










‥‥‥‥‥‥‥会いたい。



会って、抱き締めて欲しい。



あなたの全部を受け止めるから‥‥‥‥‥‥









急ぎ足はいつの間にか走り出していて、息がまた荒くなった。


見慣れた庭が綺麗で、だけどそれも気を引かない位に急いて、急かされて‥‥‥。




「‥‥将臣くんっ!」




机帳を蹴飛ばす勢いで部屋に入った。






‥‥‥‥‥‥いた。

丁度、手袋を脱ごうとして

いきなり飛び込んで来た私を見て、眼を見開いている、将臣くんが部屋にいた。



「はぁっ!?‥‥‥ゆき!お前どこにいたんだよ!?心配しただろうが!」



‥‥‥怒ってる顔も、もう怖くなかった。

それは私を少しでも心配してくれたからだって、信じたくなったのかな。



おかしいよ、私って本当に。

何よりも今、思うのが‥‥‥



「‥‥‥‥‥ね」

「‥‥んだよ」



ああ、ダメだな。
上手く言えないや。



「ははっ。何て眼してんだよ。また襲うぞ?」

「‥‥‥いいよ」

「‥‥‥なっ‥‥?お前何言って‥?」



どうして今、将臣くんが驚いてるの?
いつもはそんなじゃないのに。



「‥‥いい、って言ったのか?」

「うん」

「お前が泣く事するぜ?」

「‥‥‥‥‥‥うん」



気が付くと息苦しいくらいに抱き締められた。


汗の匂い、そしてまだ乾かない服。

どこに行ったのか、何も知らないけど‥‥‥もしかしたら必死で帰って来てくれたのかな。







‥‥‥‥‥‥なんて、自惚れもいいところだね。








塞がれた唇。

首をゆっくりと這う、指。

袷を広げて‥‥‥将臣くんの指がゆっくりと、胸を辿って‥‥‥。



「‥‥‥あっ‥」








どうしようもなく感じていた私。

これから迎える瞬間を期待して、ドキドキしてきた。


探しているものの在処。
ここに無いと、知盛の言葉。
それが真実か、今なら聞き出せるかもしれないのに、今は聞きたくなかった。













ねえ、教えて。


言葉にできないから、代わりに身体で










あなたじゃなきゃダメだって思った

この感情の意味を







The Blank Map
この世界のカタチ



 

prev  
BACK

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -