意識を向けたことなんてなかった。




ただ、ライバルで。

ただ、負けを認めたくない。

気を許せない

それでも、能力と努力を認めている。

私の中での彼はそんな存在だった。




そう

一度知ってしまえば




磁力のように惹き寄せられてゆくから

‥‥‥深く関わるのが怖かった。










【01. 後ろめたい朝】








『奈々は強いから、一人でも生きていける』


『でも、あいつは俺がいないと駄目なんだ』


別れる時の言葉なんて、大概在り来たりなものなんだろう。
兎にも角にも婚約までしていた三年の恋は、揺らぎ始めてから消えるまで僅か一ヶ月だった。


『ごめんな‥‥奈々』


大好きだった彼の眼は、もう私を映さない。
それをはっきり線引きしてくれた「ごめん」の言葉。

そんなもので簡単に恋って終わるの。
三年でも、十年でも、終わる瞬間はあっけない。












「じゃーねーっ!」

「ちょっ‥‥奈々、大丈夫?」

「うん!だーいじょーぶ!!ちゃんと帰れるって!」


幼馴染兼親友の亜美の手を払いながら笑い、別れを告げた。
ああ、心配そう。それもそうか。


「ほら、彼氏待ってるよ?帰った帰った」

「うん‥‥‥でもやっぱりこんな状態のあんたを放って置けないし」

「あー、気を遣わなくっていいってー!親友を僻むほどまで落ちぶれちゃぁいませんよ、奈々さんはっ!」

「‥‥そんなテンションだから心配なんでしょうが」


尚も帰り辛そうな亜美から定期パスを奪って、無理やり改札に連れてから再び押し付けた。


「‥‥感謝してる。付き合ってくれてありがと」

「何かあったらすぐに電話するのよ?分かった?」

「はいはい」

「‥‥‥じゃあ、行くね」


仕事帰りに泣いて電話してしまった私の為に、同棲中の四つ先の駅から何も言わず来てくれた亜美。
バーで散々話を聞いてくれた。
涙に付き合ってくれた。

もうそれで充分。

渋々と改札を潜る後ろ姿に、多大な感謝を込め手を振る。
いつもの私からは想像も出来ない位ノリノリなのは、すっかり出来上がっているから。
それは、酔った頭でも理解していたけれど。


「‥‥‥うっ‥」


‥‥‥フワフワした感覚は手をブンブンと振った事で、平衡感覚まで可笑しくなったのだろうか。
終電間際、人の途絶えがちな駅のロータリー。
ふらふらとベンチに辿り着いて倒れるように座った。



あたま、痛い。



このまま眠ってしまえば、楽になれる‥‥‥。


「‥‥‥おい!?水嶋?」


何処かで聞いたような、曖昧な声が驚きながら私を呼ぶのが可笑しくて笑ってしまった。



‥‥‥それが、最後の記憶。












「‥‥‥‥‥‥んっ‥‥」


気が付けば朝で、此処は一人暮らし中の我がマンション。
そうと分かるのは天井とライトの形が見慣れているから。


ああ、ちゃんと帰って来れたと、酷く安堵した。

幾ら酔っているとはいえ女の身で駅のベンチで一夜を過ごすのはあまりにも危険すぎる。
自暴自棄になって襲われてもいいとか思う程若くもないし、やはり自分が可愛い。

これからはアルコールを控えよう。
自棄酒なんて私には無理だ。

ほっと息を吐き、そう言えば今日は土曜日で出社しなくていいんだと思い出した。


『金曜日に振ってくれるなんて都合良すぎる男だねー!土日で泣けって言われてるみたい!』


なんて、酔ってケラケラ笑いながら亜美に言ったっけ。




‥‥‥だったらもう一眠りしようとして気づく、違和感。


身体がなんだか怠い。

寝返りすら打てないレベルの怠さで、しかも熱に浮かされたように火照っている。

幸いベッドは普段よりも凄く暖かい。
そして、気持ち良い。
もう一眠り‥‥と、うとうとしかけて、やっと隣に気付いた。


「‥?」


気持ち良いのは、人肌の滑らかな心地からだと。

頭が真っ白になり慌てて飛び起きた。


「‥‥えっ!?」


一気に血の気が引く音。

心臓が凍りつく心地、どくんと血管が不自然な収縮を覚える。



服を着ていない、生まれたままの私にまず驚いて

そのまま視線を恐る恐る滑らせる。


「‥‥‥嘘‥‥」


衝撃なんてすんなり飛び越えるくらい驚いた。

知らない男を連れ込むよりマシなのか。
いや、知らない男との方がまだいい。
まだ一夜の事件で済む。
更に言えば、見知らぬ男の方が何倍も良かったかもしれない位だ。

 
幾らなんでもタチが悪すぎる。


有川譲、は。


ショックのあまり言葉も出ず、呆然と隣で身動ぎする物体を眺めていた。


「ん‥‥」


スーツ姿しか知らない。

だから剥き出しの腕がこんなにしなやかだとは想像したことがなかった。
そもそも彼に関する一切の想像をしたことはないけれど。

上掛けから覗く肩の、無駄のない筋肉は全然ひ弱そうでなくて、寧ろ逆。
鍛えてるのか、多分そうだろう。

眠そうに眼を擦る動作はあどけない。



「‥‥‥水嶋?」

「えっ‥‥と」

「おはよう」

「お、おはよ、う?」


先程の私のようにぼんやりと視線を辿らせて、グリーンの瞳が私を捉えた。

眼鏡のない綺麗な色にらしくもない間の抜けた返事を返してしまって、慌ててしまう。


「‥‥今何時だ」

「11時だけど‥」

「‥‥‥ああ、11時か」

「‥‥‥‥」

「しまった。連絡するのを忘れていたな。兄さんも外泊していれば助かるけど‥‥」



兄さんに見つかったら後々までからかわれるしな。

等、ぶつぶつ呟きながら眼鏡を取っている彼を不思議に思い、声を掛けずにいられなかった。


「‥‥‥あの、これはどういうこと?」

「‥は?」


上半身を起こしたのは紛れもなく同僚の有川譲。

眼鏡をかける指先に、一瞬見惚れてしまった。
‥‥この手がどんな風に触れるのだろう、と不埒な考えを引き起こして、慌てて否定した。

銀のフレームがカーテンから差し込む陽光にキラッと光る。
そうなると本当にいつもの、厳しい表情を浮かべた有川譲だった。



‥‥いや、いつもより何だか隙のある表情だけれど。



「どういうこと?説明して」

「いや、その前に‥‥‥‥悪いが服を着てくれ」

「え?」

「‥‥水嶋、見えてる‥‥‥」

「え?」


指を向けた先は、私の胸元。


「‥‥‥‥!?」


慌てて上掛けを引っ張る。
有川譲が隣にいたことのショックで気付かなかった。


フラれて、亜美と飲んで泣いて笑って騒いで
記憶失くすほど酔って
目覚めたら自宅のベッド。

隣には同僚の、何かと衝突する男が眠ってて
しかも、一糸纏わない‥‥‥‥。



最悪だ。

頭がガンガンと痛む。


「あのさ、水嶋」

「ま、待って!私から言わせて!」

「あ、ああ」


怖くて何があったか‥‥‥いや、何かあったのかなんて聞けそうもない。
ましてや有川譲がこれからを示唆する言葉とか。
「彼」と同じ、男なのだから。


「私達の間にあった事は忘れて」

「‥‥仕事に支障が出るからか?」

「ええ。一度位で勘違いするほど、お互い子供でもないでしょう」


なかったことにするしかない。
そうしなければ自己嫌悪に潰れてしまいそうだから。


「‥‥‥‥分かった。月曜日、ちゃんと来いよ」


暫く何も言わず黙々と服を着てから、有川が一言だけ残して出て行った。

‥‥もう一度、寝なおそう。












『私達の間にあった事は忘れて』




自分の発言に後悔する日が来るなんて、

この時は思いも寄らなかった。






 


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