皮肉なことに、気付きたくなかった本心に気付かされたのは


‥‥‥あなたが居ない、

あなたに染まった世界で











【12.ルール違反の領域】









有川くんが北海道に行って三日。
一緒に仕事していたんだもの、そんなに変わらない筈だという予想は見事に裏切られた。
外に出ている社員からの報告や、指示を仰ぐメールや電話が結構頻繁にある。
更にクライアントの担当者への定期連絡。
一日の業務が終われば日報の作成と翌日のスケジュールを全員分確認する。


これらを全部、自分の仕事の合間にしていかなければならなくて。

改めて彼の有能さを思い知らされた。


ただ、彼を知らなかった頃と今とで違う点は、彼を素直に尊敬できるこの気持ちだろうか。

努力を惜しむ人ではない、そう言い切れる心の有り様が。



「水嶋さん、内線13番にお電話です」

「ありがとう───御電話代わりました、水嶋です」



きっと社員の誰かの報告だろう。
そう思いながら私は内線番号を押した。

けれど、耳に飛び込んだのは知らない声。



「あの、すみません。私‥‥‥」



‥‥いいえ。知らないままで終わる筈だった人の、声。

受話器を握る手にぎゅっと力が籠もった。
















「急に呼び出してすみません」

「いえ、丁度休憩時間に重なったんで。気にしないで下さい」


会社近くの喫茶店に入ると既に彼女は座っていて、私を見るなり立ち上がる。

申し訳なさそうに頭を下げるのを手で止め「座りましょう?」と言いながら、先に私が座る。
そうすれば彼女も気を使わないで済むだろうから。


ウェイトレスが水を二つ持ってきたので、先に注文を決めることにした。
メニューを持ったまま難しく眉を顰める正面の彼女は、どうやら迷っているらしい。


「えーと‥‥いっぱいあるなぁ‥」

「ここのキャラメルティー、名物なんですよ」

「本当ですか?あ、それをお願いします」



余計なお節介だった気がして反省したけれど。
直後ホッとしたように笑う彼女を見て、私も張った肩の力が緩んだ。



「じゃぁ、私もそれを」

「かしこまりました」



‥‥さて、何を言ってくるんだろうか。



「あの、水嶋奈々さん、で合っていますよね‥?」

「ええ。あなたは‥‥」

「あ、すみません!春日望美です」

「春日さん、ですね」




望美さん、とは呼べそうになかった。


彼が彼女の名前を呼んでいたのだと思うと、妬いても栓のないことなのに、痛む。


けれど‥‥彼?それはどっちの。



数分後、さっきのウェイトレスがキャラメルティーを運んできてくれた。
ひとまず会話を区切って、お互いにカップを口に運ぶ。



「あ、ほんと。凄く美味しいです」

「そう?気に入っていただけて良かったです」



にこりと笑うことで答え、白く繊細な波を打つソーサーにカップをそっと置いた。


「水嶋さんは、私が会いに来ると思っていたんですよね?」

「‥‥‥っ」



驚いて彼女を見れば、二つの眼が真っ直ぐ私を射抜いていた。



先程までの少し子供っぽさを感じる仕草も、今は完全に消えていて。

‥‥‥‥強い獣の様な鋭さを持つ、春日さんの視線に、捕らわれる。


凛とした綺麗な眼差しに。



「‥‥私、ずっとあなたと話したかったんです。水嶋さんを困らせると分かっていても、どうしても。だから、将臣くんにも譲くんにも内緒でこっそり調べちゃいました」



申し訳なさそうに苦笑すると、途端に彼女から鋭さが抜ける。
顔に出さないよう勤めて振舞いながら、私は春日さんの眼を静かに見つめた。



‥‥この人は、ただ綺麗なだけじゃない。




「それで、何の話をしに来たの?将臣のことでしょう?」

「いいえ‥‥‥あなたが譲くんを奪っていったこと、についてかな」

「‥‥‥待って。何を言ってるの?あなたが将臣と恋をしているんでしょう?」




そう。

今の彼女の一言は、あまりにも馬鹿にしている。


誰が誰を奪ったって?

将臣を私から奪っていったのは、あなたじゃないの。


醜い感情だけれど、どれ程あなたを恨んだことか。



「‥‥本当に、そう思ってる?」

「そうって‥‥‥」

「私が結婚の決まった将臣くんを惜しんで、譲くんと別れたって、本当にそう思ってる?」

「な‥‥に‥、怒らせたいの」



ふつふつと湧き上がる、怒り。

頭に血が昇って、眩んで来そうだった。

此処が仕事でも使う店でなかったら。
私が仕事の休憩中でなければ。

躊躇いもなく彼女に平手を打ったかもしれない。



「‥‥‥将臣のこと、忘れようと思った。あなたの事を彼が好きなのは知っていたから、敵わないと思ったわ。敵う訳ないじゃない、幼馴染になんて。だから‥‥」



差し出された熱い手に縋った。

彼の熱を利用することで、彼に抱かれることで。


やっと、やっと、忘れられると思ったの。



「‥‥‥それは、私のほうだよ」



声が震えた。
口を噤んだ私の後に話し出した春日さんの声が、涙を堪え震えている。
そんな彼女に私は息を呑む。

どうして‥。



「新しい会社に働くようになって、譲くんは少しずつ変わった。話しかけても上の空で、前の所では一切残業をしなかったのに、時々帰りが遅くなった」

「それは、忙しくて残業していたから」

「初めは私もそう思ってたんだよ?でも不安になって、譲くんの会社に迎えに言った事があってね。その時に気付いちゃった」

「気付いた?」



私の問い掛けに笑う春日さんは、どうしても泣きそうに見えて。



「話もしていなかったけれど、誰を見ていたのか」

「‥‥‥誰、って」



言葉は耳に入るのに、上手くピースが嵌まらないパズルに取り組んでるような、そんな感覚。




「譲くんのあんな顔、見たことがなかった‥」



ぽろり。

とうとう彼女の眼から、透明な雫が滑った。















どうやって社に戻ったのか、記憶が酷く曖昧なほど。

私の顔色を見て「水嶋さん、大丈夫ですか!?」と部署の誰かが声を掛けてくれた。

これ以上仕事に身が入らないほど打ちのめされていた私は、申し訳なく思いながらも周りの勧めで早退させて貰った。








‥‥‥何も言い返せなかったの。













歌が聴こえる。






そっと眼を開ければ視界に映るのは見慣れた天井。

あぁ。あれから帰ってすぐに、本当に熱が出たことに気付いたんだった。

どうやら着替えてベッドに入る事は、気力でやってのけたらしい。





‥‥静かなはずの部屋に、ラブソングが流れている。





これは携帯の着歌だと、ぼんやりする意識の中で思った。


誰の設定にしていたのだろう‥‥?




「‥‥もしもし‥?」

『水嶋。大丈夫か?』

「‥っ!?‥有川、くん‥」



声の主は北海道に居る人から。
相変わらずの、淡々とした口調。


なのに、無性に泣きたくなった。



『黒田さんから聞いたんだ。水嶋が早退したって‥‥‥会議室でも顔色が悪かっただろ?無理、してるんじゃないかと思った』

「‥‥‥‥‥‥」

『‥水嶋?喋られないほど辛いのか‥?』




‥‥‥淡々としているのに。

今では携帯越しにも分かる、あなたの優しさ。



「‥‥ありがとう。ちょっと風邪を引いたみたい」



ひとりでに浮かび上がる涙の気配を悟られないように、ギリギリの線で明るい声を出す。

熱があるのは本当。


だから‥‥気付かないで。





『あまり無理するなよ。少し遅れてもいい、帰ったら俺が引き受けるから』

「大丈夫。明日には治りそうだから‥‥ありがとう」

『‥‥‥‥‥ああ』



沈黙が怖くて、「おやすみ」とだけ告げて切った通話。

まだ光る着信のライトを不審に思って履歴を見て、今度こそ涙が零れ落ちた。









『私、他の人よりはそういうのって分かる。分かるんだよ。あなたは‥‥‥本当に、将臣くんだけだった?』




否定、出来なかった。




『どうして譲くんに、将臣くんの彼女は自分だって黙ってたの?どうして、譲くんと関わろうとしなかったの?将来弟になる人だったんだよ』



それは‥‥‥怖かったから。




───怖かった?


なにが怖かったの、私は。




『あなたを見たのはその時が初めてだった。でも、敵わないって思った‥‥‥どうしようもなく意識しあってる、あんな空気になんて‥‥‥私は入れない』




私は彼と付き合ってない。
有川くんは私を好きなんかじゃない。

今でも、彼が想うのはあなたなのに。




そう言ってあげるべきだった。彼女の為にも、彼の為にも。

誤解しあったまま離れた二人を、そうと知りながら放置すべきじゃない‥‥‥。







なのに。
言えなかった、どうしても。





『将臣くんはそんな私の傍にいてくれたんだよ。時間が経ってやっと、あなたを許せると思った‥‥‥‥ねぇ、水嶋さん。教えて』







その後の彼女の問いに、頷くことしか出来なくて。












「将臣っ‥‥‥!」



堪えられない涙が後から後から滑り落ちて、毛布に染みを作る。



ごめんなさい。
あなたは気付いていたのね。



将臣が春日さんを忘れられなかったのは、真実。

それはきっと本気で。
本心からの愛情で。





でも。

誠実でいられなかったのは、将臣だけじゃなかった。





私も‥‥‥。

私も、心に嘘をついていた。

自分自身すら欺いていた本心に、将臣はきっと気付いていたのね。






あなただけを愛していたなんて、もう言えない。





無意識の視線の先に、誰がいたのか。

誰も気付かなかった薬指の痕に、私だけが気付いていた理由。




将臣の口から生まれる彼の名前に、密やかな反応を示していたことも。








『最初から、水嶋さんは譲くんが好きだったんでしょう?』








彼に近付くのは怖かった、惹かれてゆくと思ったから。




それは嘘。


初めて会った瞬間に、心の一部は奪われていた。


最初から、どうしようもなく惹き寄せられていたの。












冷たくも熱い、フレームの奥の瞳に。






 


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