『バーカ、そんな顔すんなって。俺はお前の傍にずっといるから』


その大らかで強い笑顔を愛していた


『指輪‥‥?』

『言葉にするのは照れるよな。けど、ちゃんと言わなきゃなんねぇか』

『‥‥‥将臣』

『誕生日おめでとう。そろそろ結婚するか、奈々?』

『‥‥‥っ、嬉しい‥』



心の底から永遠を望むほど、

捕まえたはずだったのに



約束も、思い出も、全てすり抜けていってしまった








寂しさに溺れながらも、繰り返し願う



一人は心細い

苦しくて、怖い

私は弱いから、誰かに縋ってしまう








‥‥‥縋ってしまったの、彼に


あなたに近しい人と知りながら、それでも

彼もまた、寂しさに溺れてしまいそうだったから

一人では狂いそうだったから














【10. 彼のとなり】


















「久し振りね」


もう一度そう言った。
今度は彼の眼を真っ直ぐに見つめて。
そうしなければ立っていられそうになかったから。


「奈々‥‥」


返す彼の苦い表情を他人事の様に受け止める。

その隣で、長い髪の彼女が泣きそうな顔をしていた。
綺麗な人。
その場に居るだけで惹きつけられて止まない、輝きを持つ人。

‥‥私ですら、彼女を嫌えない。


「‥‥‥元気、だったか?」

「程々にね。貴方は?」

「まぁまぁ、ってとこだな」


辛そうな顔をしないで。
そんな貴方を見るのは苦しいの。


「奈々、俺はお前にどうしても謝りた」

「兄さん、奈々に話があるなら早くしてくれないか?俺達急ぎの用があるから」


将臣の言葉を遮った有川くんが、私の前に立った。


「譲くん、その人は‥‥?」

「水嶋奈々さん。今の俺の‥‥‥‥大切な人、です」

「‥‥‥そ、そうなんだ?‥良かっ、たね」


途端に震える彼女の声。


「‥ええ、貴女も」


馬鹿ね。

良かったなんてお互い思っていないくせに。


彼女を苦しそうに見つめていて、彼女もまた泣きそうな表情で有川くんを見ているのに。
  

「‥ごめんなさい。私達急いでいるの。もういいかしら?」

「あ、あぁ‥‥悪ぃ」

「ほら。早くレジを済ませないと、時間に遅れてしまうわ‥譲?」

「‥そうだな。じゃぁ俺達は行くから。兄さん、‥‥春日先輩」


先程の彼の言葉を裏付ける様に、カートを押す彼の腕に腕を絡める。


「譲くんっ!」

「‥さよなら」


強張っている有川くんの、強張った腕に触れて驚いた。



‥‥‥本当に私達は似ているのね。


何より愛した人を失って、傷を舐め合って。
自分を裏切った相手なのに、辛そうな顔を見たくないと思うのだから。


あなたの眼差しが物語っていた。

罪悪感なんて持たないで欲しい、と。
幸せになればいい、と。


あなたがどれ程彼女を愛していたか。

今なお続く、その深さを。















『もしもし、水嶋か?悪いが急いでエントランスに下りて欲しい』


仕事柄、黒田さんや有川くんにこうして急に呼び出されるのは珍しくない。
先方の都合で急遽打ち合わせに向かったり、資料撮影だとか、不意打ちの外出には私も耐性が付いていた。

エレベーターが開く。
中には先客がいて、私を見て笑いかけた。


「お久し振りね、水嶋さん。今から外出?」

「ええ。有川リーダーからの急な呼び出しです」

「ふふっ。リーダーって呼んだら彼は怒るんでしょう」


どうやらそんな事まで黒田さんは話しているらしい。
クスクス笑う山崎さんはもう一度私を見ると、指先で私の頬に触れてきた。


「顔色が悪いわね。あまり眠ってないの?」

「‥‥‥最近忙しくて」

「そう、眠らないと肌に悪いわよ」


ありがとうと短く礼を言った所で再びエレベーターが開く。
そこで山崎さんと別れ、社の玄関へ向かった。

既に車は玄関に止まっていて、私が助手席に乗り込むとすぐに発進する。


「急で悪い。例の件、今なら空いてるって連絡があったんだ」

「‥今から?嘘」

「‥‥‥嬉しそうだな」

「気のせいよ、気のせい」


そんな他愛もない話をしなければ、息が詰まりそうになる。
彼も同じなのか、私達は至極和やかに仕事の話をした。

そう。

あの日から三日経っても、あの事に触れていない。















「譲くん、急に呼び出してごめんね」


到着したのは先日訪問したコンサルティング事務所。

中に足を踏み入れた瞬間、私はその中心を見て‥‥固まってしまった。


「こちらこそ急にすみません。どうしても流山さんに直接お話したかったんです」

「事務所を通すと、僕の耳に届く前に潰れる話なんでしょう?彼からそう聞いてるよ」


そう言って柔らかく笑う彼は、テレビでみるそのままで。
いえ、テレビよりも輝いている。

文句なしの、飛び切り輝く美形な人。


「ふふっ。水嶋さん、呆けていないでどうか座って下さい。譲くんも。今お茶をお出ししますから」

「あ‥すみません」


そしてにっこり笑う事務所の主も、飛び切り美形。
有川くんだって社の女子が密かに騒ぐ格好良い人だ。

一体何なの、この空間は。

これは私でなくとも呆けると思う。






‥‥今日はゆきさんの姿はなかった。

辛うじて理性を保った私は、弁慶さんに勧められるままソファに腰掛け、まずは互いの自己紹介を始めた。

と言っても彼は人気俳優の流山詩紋。
長寿番組になりつつある製菓番組も、異例の視聴率を誇っているし。
彼を知らない人なんてこの国にそうはいない。
かく言う私も、彼のファンだったりする。


「譲くんに会うのは二度目だね。こちらの方は?」

「水嶋さん。仕事のパートナーです」

「‥水嶋奈々です。この度はよろしくお願い致します」

「流山詩紋です。よろしくお願いします」


必死で緊張を押さえつけたが、差し出した名刺が少し震えた。
そんな私に流山詩紋はにこやかに笑いかけてくれる。

‥‥これでときめかない人がいたら、私はその人を拝んでみたい。


「‥‥‥水嶋、書類を」

「え、ええ」


急に不機嫌になった彼を不思議に思いながらも、アタッシュケースから書類を取り出した。
それを受け取ると流山さんが眼を通す。


「‥‥‥なるほど。CMとしてのアイディアはいいと思うよ。食品関係ならイメージを壊さないから、事務所もOKを出すんじゃないかな。これは譲くんの案?」

「いえ、水嶋と考えたものです」

「ああ、確かに。女性らしい優しい雰囲気がするね」


有川くんが弁慶さんに頼んでいた事とは、流山詩紋との非公式な面会。
理由は簡単。
今私達が携わってるプロジェクトは、我が広告代理店に初めて依頼を出した一流食品企業のもの。
CMを始めとするメディアへの宣伝を製作するのだ。
勿論うちの部署が全てを製作する訳でなく、各専門のスタッフの手に掛かる。
私達はそのプロデュースを担っている。

今回のCMは思い切って目の前の彼───流山詩紋を起用したい、と言ったのは有川くん。

だが、直接彼の事務所に打診したとしても、断られるだろう。
何故なら‥‥‥。


「‥‥‥う〜ん、いいけどね。でも‥‥僕CMには出ないつもりなんだけど」


そう、彼はCMの話は受けない。
だから事務所も今まで断っていた。


「それで諦められなかったから、今俺達が貴方に会いに来たんです」


姑息だとは思うけれど、私も有川くんも彼のイメージで作っている。
だからこそ、彼は弁慶さんの伝手を頼って直接交渉の場を設けてもらった。

隣に座る私には、彼の意気込みをひしひしと感じる。
流山さんもそれを感じたのだろう。


「一回検討してみるよ。また連絡する」


最終的には打診を請け負ってくれた。

















「水嶋の家に寄ってもいいか?」


その言葉に断る理由がなく、車を走らせて私の家に着いた時は既に日が暮れていた。

殆ど会話がないまま夕食を済ませる。


言い出し難そうに口火を切ったのは、私が洗った食器を拭いている彼だった。


「‥‥‥水嶋の別れた彼って、兄さんだったんだな」


一瞬息が止まりそうになる。


「‥‥ええ」

「そうか。じゃぁ、俺の事も知っていたんだよな?」

「‥‥‥ごめんなさい」

「怒っていないから心配するなよ。まぁ、有川なんて苗字はあまりないから気付くか」


何も知らないあなたを、利用したりして。
あなたが弟と知りながらも、彼を忘れたいと、抱かれたいと願った。


気を付けていたのに。


あなたに近付かないように‥‥‥名前を呼ばないように。
同じ部署にいても、触れないように。


「望美さん、は‥‥あなたの‥?」

「あぁ、幼馴染みだった。そして付き合った‥‥けど、あの人は兄さんを忘れられなかったんだ」


‥‥‥いや、それは少し違うよな。


そんな呟きと共に落ちてゆく笑顔が痛い。

見ているだけで胸が焼き尽きるような、笑顔。


「‥あの人は、幼い頃から兄さんを好きだった、ずっと。あの人自身気付かない部分で、兄さんを想っていたんだ」

「そんな!だってあなたと付き合っていたのよね?‥‥あなたの事を想っていたんでしょう?」

「それも間違えてない。確かに俺を好きになってくれたよ。でも、俺は知っていたんだ。本当は誰を見ていたか。そして、」

「‥‥‥将臣も、ずっと心の底で彼女を愛していた‥‥‥」

「‥‥‥そうだ」



私の傍にいても、望美さんを忘れられなかった将臣。

有川くんと付き合っていても、将臣を想っていた望美さん。



「でも、どうして‥」



そこから先の言葉を、私には口にする事が出来なかった。




二人はどうして気付いてしまったのか。

一番底に巣食う本心に、どうして。




気付かなければ今頃、違う世界があったのに。





私は将臣の傍で、彼を愛して、そして‥‥結婚して。

───それでも見えない面影にずっと怯えている、そんな日々を。





そして、有川くんも怯えて過ごしていたのかも知れないの?
私と同じ様に、ずっと不安を抱えたまま?
いつか攫われてしまうと、ずっと怯えて‥‥‥生きていくことに、なったのか。



それでも有川くんはきっと、それすら背負う覚悟でいたのね。


「有川くんは、あの人を愛していた?」

「‥‥‥あぁ」

「そう。私も将臣を愛していたわ」

「は?‥‥水嶋?」


驚いたのか顔を上げた有川くんの顔にそっと手を伸ばして、眼鏡を奪う。



──愛していたわ。

あの大きな笑顔を、三年間見つめ続けていた。

けれど、もう。


「私達は、忘れる為にいるんでしょう?」

「‥‥水嶋、俺は」


余計な言葉はなくていいの。

唇を塞ぐように、そっと唇を重ねる。


「今だけ、傍にいて」












沈黙の帳が降りた夜。


そしていつものように抱かれる。

いつもより激しくて、いつもより深い繋がり。

悲しいのに、触れる指を手離せなくて、私は何度もあなたの熱をせがんだ。









将臣の傍にいたときは気をつけていたのにね。

あなたは彼の弟だけど、近付きたくないって。



だけど、今は、この手に縋っている。

この熱を手離したくないと思っている。




‥‥‥切なさの波に、呑まれて窒息する事に、なっても。




 


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