「水嶋さんキレイだから、会社でもモテるでしょ?」
「は‥‥?」
「それとも高嶺の花ってタイプ?」
こういうのは30分交替なんかで順番でも決まっているのだろうか。
さっきまで会話らしきものに発展すらしなかった男が立つ。
入れ替わるように隣に座った男が、いきなり恥ずかしげもなく言いのけた。
「‥別に、普通ですけど」
「お世辞なんかじゃなくてさ〜、彼氏の一人位いるんじゃない?」
別に合コンはこれが初めてではない。
元彼と付き合うまではまぁ、それなりに楽しんできたし。
でも‥‥‥今の私には慣れなくて。
「‥‥彼氏はいないわ」
「そうなんだー?じゃ、高嶺の花ということでっ!」
‥‥だって、彼とは付き合っていないもの。
解りきった事なのに‥‥地雷を自分で踏んだ気分。
何故かこの時自分の声に傷ついていた。
【08. 秘めた本音の欠片】
つまらない。
幹事の子には悪いけど、まさにその一言に尽きる。
相手は某証券会社の若手のホープと聞いたが、本当かどうかも怪しい。
そう思ってしまうほど、軽いと言うか‥‥。
考えて物を喋っている?と疑ってしまった。
この男なんてさっきから、容姿を褒める以外の言葉を何一つ口にしていないじゃない。
彼らとタメ年でも、もっと落ち着いた男性を私は知っている。
本当、爪の垢でも飲ませてやりたい位に冷静な人を。
‥‥ううん。
逆に彼らの爪の垢を、彼にも飲ませてやってもいいかも‥‥
「って‥‥‥ねぇ!奈々聞いてる〜?」
「‥‥‥っ!!あ‥ごめんなさい」
「どうしたの?元気ないんじゃない?」
「奈々ちゃん、風邪?俺が看病するよ〜」
‥‥まったく。
「そうね。風邪、かも‥‥ごめんね、先に抜けていい?」
「あ、俺駅まで送るんで」
大丈夫、一人で帰れると言い張ったものの、いつの間にかコートを羽織った男は、私のバッグと腕を取り立たせていた。
呆れるほど素早い動作と、「送ってもらった方がいいよ〜」と同僚達の声に負けて送ってもらうことになって今に至る。
道中、彼はあれこれと話しかけてくるものの、私には答える気力もなく。
ただ帰りたい一心で駅まで早足で歩いた。
「此処でいいわ。ありがとう、おやすみなさい」
‥ああ、やっと帰れる。
心底ホッとした私に隙が出来たのだろう。
「奈々ちゃん」
「え?‥‥‥っ‥!!」
一瞬の隙を突かれ、唇同士が触れた。
「最低!」
顔が離れた瞬間に放った平手は派手な音を立てた。
驚く眼を睨みつけて、さっさと背中を向けて改札を抜ける。
気持ち悪い。電車の中で泣きそうになった。
地元の駅で降りた私の指が、携帯の着信履歴を開けていた。
『‥‥‥もしもし』
「ねぇ‥‥‥今から暇?」
ただ‥‥‥
無性に会いたい。
「急に呼び出してごめんなさい」
「いや‥‥‥」
やはり酒の勢いだったのだろうか。
こんな重苦しい沈黙が待っていると知っていたら、呼び出したりしなかった。
いつもの私の部屋。
通したリビングでさっきから向き合ったまま
じっと注がれる視線が痛い‥。
「有川く‥」
「何をされたんだ、水嶋」
顔を上げると至近距離のフレーム越し、感情が読めない眼差し。
たじろいだのはそれだけじゃなくて。
まだスーツを纏った腕から伸びた人指し指が、私の唇を撫ぜたから。
「‥‥‥あ、」
唇にピリッと刺激が走った。
‥そうだった。
電車の中で、手の甲で擦り続けていたから。
艶のあるグロスが落ちきってもまだ、唇が汚されている気がして。
‥けれど、それを有川くんに言っても仕方ない。
有川くんに言った所で「俺には関係ないだろ」で終わりそうだし、実際関係ないのだから。
「別に何もないわ。ただつまらなくて」
「‥‥それで俺を呼んだのか?」
「そうよ。だから‥‥‥会いたかった」
『会いたかった』
唐突に漏れた言葉に、言った私が、驚いた。
相当意外だったのか、有川くんも息を呑んでいる。
その音が静けさの中ではっきりと聞こえて。
‥‥私きっと、まだ酔ったままだ。
さっき零れた言葉が、どんな意味をもたらすか考えられない。
「‥‥‥」
ぐいっと腕を引かれて、強引に唇が塞がれる。
甘く痺れる感覚に意識が眩んで。
そして───奥まで重なる身体。
熱い体温にどうしようもなく落ち着ついた。
それはきっと、愛とか恋と考えなくていいから‥‥。
何も生まれない気楽さからだと、信じている。
目覚めると、随分強く陽が差し込んでいることに気付いた。
明らかに昼近くの天気だと。
のろのろとベッドから上半身を起こす。
途端に全身に走る鈍痛にも、随分慣れた。
もっとも、原因は一つしかないけれど。
‥‥‥いや、一人と言うべきか。
「‥‥いつも、容赦ないんだから」
億劫ながらも部屋着に袖を通し、キッチンのドアを開ける。
「おはよう。丁度いい所に起きて来たな。砥石か砥ぎ器が何処にあるか機構と思ってたんだ」
「吊り棚の右端上段‥‥‥‥‥って、何をしてるの」
クールな外見。
そして見かけからは想像も付かないほど激しく、底知らずな彼は今、シャツの袖を捲って包丁を手にしていた。
吊り棚からお目当ての砥ぎ器を見つけると、水に濡らし包丁を横に滑らせている。
「最近砥いでないのか?刃こぼれしている」
「‥‥‥忙しくて料理する間がなかったもの」
「駄目だろ?切れない包丁で手を切る方が危険なんだ‥‥‥水嶋、皿を出してくれないか?」
「えっ?あ、はい、お皿ね」
何故彼が?と思う暇すら与えられず、ボーっとした頭で食器を出したり配膳を手伝ったりしているうちに、テーブルの上が湯気で埋められていった。
「で、これは一体?」
「水嶋、いつも朝は食べないだろ。ずっと気になっていたんだ」
「‥‥ありがとう」
テーブルを挟んで、微笑を浮かべるから。
余計な事をしないでと言えなくなった。
「っ、おいしい!」
一口食べて思わず零れた本音。
料理好きっていうレベルじゃなく、シェフが作ったと言っても信じてしまうほど美味しい。
「‥‥そうか」
また彼は微笑う。
初めて見た、こんな顔。
胸が苦しくなるような、そんな優しさを。
‥‥お願い。そんな顔しないで。
私に隙を見せないで。
怖くなる。
「スライスガーリック、ナツメグに‥‥‥カルダモンって?この店に売ってるかしら?」
「肉の匂い消しやパンに使う香辛料だ。大き目のスーパーならある筈だから、売ってるだろ」
「そうなの」
朝昼ごはん、いやブランチを終えた後。
食器を片付けた私達は着替えて外出している。
車を走らせ、目的地は大規模なショッピングプラザ。
どうやら今日は晩ご飯まで作ってくれるらしいから、その材料や、そして有川くんの熱心な勧めにより、ストック用の香辛料と調味料を買いに。
『今日は夜まで居るから』
そう彼が言ったのは初めてで‥‥‥
正直戸惑っている。
けれど、嫌とは言えない。
「あ!このカマンベール、ここにしか売ってないのよ」
「水嶋は乳製品が好きだよな。冷蔵庫の中で牛乳を切らした事はないから」
「牛乳もチーズもヨーグルトも好きよ‥‥って有川くん、今『その割には成長してない』とか思ったでしょう?」
「いや、そうでもないと思う。意外と付いてた‥‥‥‥、っ」
「‥『意外と』、何が付いてると?」
「いや、それは」
「‥‥‥‥まさか、肉付き、とか言わないでしょうね?」
「そっ、そんな意味じゃないだろ」
肩を並べカートを押しながら話している。
端から見たら新婚に見えてしまうんだろうか。
そう意識し始めると落ち着かない。
でも、嫌ではないのだ、不思議と。
思わず眼を背けたくなった、この感情の意味。
或いはこの時、向き合う事が事が出来れば‥‥
何かが変わっていたのだろうか。
「‥‥水嶋、俺」
‥‥貴方が足を止めて、私を見たその時に。
「有川くん?まだ何か買う気?」
‥‥‥誤魔化さずにいたら。
「俺は‥‥‥」
「譲、くん?」
思い詰めた風にも見える唇から言葉が生まれる前に、それは永遠に閉ざされた。
その代わりに大きく見開かれるフレームの奥。
有川くんがこんなに驚くなんて。
正面の私も吃驚するほど。
振り返る彼に釣られ私も振り返った視線の先で、揺れる綺麗な髪が最初に眼についた。
「‥‥譲くん‥‥‥」
「‥っ!!‥‥‥何故貴女が、此処に‥」
‥‥‥一目見た瞬間に分かってしまった。
凛と伸びた背筋。
綺麗に伸ばした長い髪。
女の私でさえ惹きこまれそうな、不思議な瞳。
驚いているその表情でさえ、儚そうなのに、そのくせ強そうで。
何よりも、身を包む空気がよく似ていた。
涼やかな光の下が何よりも似合いそうな、彼女の空気が、有川くんに。
間違いないと感が告げる。
この人が、有川くんが愛していた女性だと。
「望美、先に行くなって。迷子になるだろーが‥‥‥‥って、」
「‥‥‥‥嘘」
そして、
「奈々!?」
「‥え?将臣くん、知り合い?」
そして、動揺しつつも隣の人物に私のことを尋ねるこの女性が
「ちょっ、待て、何で譲と奈々が‥?」
「‥‥‥久し振りね、将臣」
‥‥‥私から、婚約者を奪ったひとなのだと。
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