「‥‥ん‥っ」



カーテンの隙間から零れる朝の光が綺麗な横顔に射し込んだ眩しさからか、眉間を顰めている。
そうすれば仕事中みたいに険しくなって。
私は彼を起こさないよう小さく笑った。



‥‥‥こんな風に土曜の朝を迎えて、四度目。



まだあれから一ヶ月しか経っていないのに。

彼の寝顔がとてもあどけない事を、知っている。












【08. 分け与えられた熱】












「‥‥ん‥‥い‥」

「起きて、有川くん」



掠れた小さな声が苦しそうで、居た堪れなくなった私はそっと眠る肩を揺らした。



「‥‥‥水嶋?‥‥あぁ、朝か」

「おはよう。辛い夢でも見た?」

「辛い‥夢?‥‥‥‥俺も寝言で何か言ってたのか‥‥ごめん」

「‥‥‥」



‥‥‥どう返事すればいいのか。


一瞬言葉に詰まった。

聞いてなかった、といえば安心するの?
それとも、素直に言った方がいい?


私が聞いたと知っても、気まずい思いはしないだろう。
別に恋人でもないのだから。
ただ、彼自身が想いを再確認して、傷ついたりしないか。
それが心配だった‥‥‥けれど。




『俺も』

それが妙に引っ掛かるのに、聞けない空気。





「‥多分、元彼女の名前」

「‥‥‥‥‥‥そうか」



多分「ごめん」ともう一度謝るつもりだったのだろう。
でも私はそれ以上、聞くつもりはなかった。


代わりにシーツにくるまったまま、有川くんの頬を手で挟み、唇に柔らかいキスをひとつ。



「‥っ、水嶋?」

「黙って‥‥」







忘れたいから、互いに求めた。

貴方の悲しい夢を忘れさせるのは、私の役目。

後になってそれが虚しさを呼ぶと知っていても、縋れずにいられない時だってある。

だから、今だけは‥‥‥溺れて。











もう一度私から軽くキスをした。
唇を離そうとしたら、今度は有川くんがそれを許してくれない。



「‥‥──っ」



ぐっと引き寄せられた身体は彼の上に乗せられて、素肌を遮る邪魔なシーツを乱暴に除け‥‥。



しなやかに動く指に翻弄される。

その間も、最後まで、ずっとキスは続いていた。
























「昼食はどうするんだ?」

「ん、いい‥‥有川くんが帰ってしばらく寝るから」

「‥‥そうか。ちゃんと食べろよ」

「ありがとう。じゃ、また月曜ね」



それが私達の時間が終わる、定番の挨拶。







土曜日の朝は遅い。


身支度した有川くんが帰ってベッドの温もりが消えるのはいつも、昼食時。
昼食を一緒にしないか?といつも誘ってくれるが、一度も頷いた事はない。

彼にはきっと分からないだろう。
金曜の夜は一緒に食べるのに、一夜明ければ拒む私の心理なんて、きっと。



そして、独りの空間が酷く虚しく感じることも。



私が望んで、彼が望んだ。
なのに、この関係に付き纏う罪悪感。

それを彼が知る日が来ない事を、今は祈りたい。




















「‥‥金曜?」

「そうなの!ほら人数が足りなくてさー!お願い!」

「奈々しか頼める人が居ないんだよ」

「と言われても‥」



目の前で両手を合わせて頼んでいる会社の同僚三人に、私は小さく息を吐いた。


何でも、金曜の夜に部署内の子達で合コンをする予定が、一人入院してしまい困っているらしい。

コンパの類が苦手な私は今まで断り続け、彼女たちも声を掛けてくることがなくなった。

けれど、今回はよっぽど困っているらしく、さっきから引き下がってくれない。



「相手は医科大生だし、たまには気分転換になるよっ!ね?お願い!」

「そうそう、結構イケメン揃いらしいよ。有川君を見慣れてる奈々には物足りないかもだけど」

「クールで恰好いい有川君と一緒に仕事してればねー」

「バカっ!それを言ったら奈々のテンションが上がらないでしょ」




「金曜の夜、か‥‥‥‥まぁ、たまにはいいかな」

「ほんと?感謝!」
 


月曜の朝。
休み明けの倦怠感が残る私に可愛らしいお願いをしていった同僚は、軽いステップでデスクに戻って行った。


‥‥有川くんに今週は無理だと断ればいいか。

気晴らしに、なればいいけれど。



















「有川くんはいつもお弁当なのね」

「‥水嶋か。食べに行く時間が取れそうにないと思ったんだ」

「そう言えば部長と打ち合わせよね。これから?」

「あぁ。13時に部長室なんだ」



時計は現在12時45分。


ああ、それでわざわざお弁当を自分で作ったの。

普通の男性なら、時間がなければコンビニで手早く済ませそうだけど、彼はそうじゃない。


以前、食事を抜いた私に
『食べられる時に食べておくのが基本だろ』

‥と、妙に実感が籠った言い方で諭された事がある。



外見に似合わずマメな人というか、用意周到な性格というか。
そんなことを思った。



「どう、リーダー?部長の許可は取れそうかしら」

「リーダーって何だよ‥‥‥まだ先方に話も振ってない段階だから、何とも言えない」

「あら、もうすぐ応援も増えそうだし?有川くんがリーダーでしょ」

「水嶋がやればいいだろ」

「絶・対・嫌」




呆れた眼差しをにっこり笑うことで返して、彼の手元に視線を向けた。

大きな箱の中身はいつの間にか殆ど無くなっている。




「‥‥‥料理上手な男性ってポイント高いわね」

「は?いきなりどうしたんだ?」

「別に。有川くん、昔からモテていたでしょ?」

「俺が‥‥?いや。モテたのは兄の方で、俺は全然」

「‥‥お兄さん‥?い、居ると言っていたわね、確か」

「‥‥あぁ」




途切れた会話が怖い。

俯い多私は、空の弁当箱がケースに仕舞われて行くのを、半ば緊張しながら目で追った。
そうすれば今度はその動作でドキドキする。




箸使いと同様、長く綺麗な指。
どうしても、どうしても視線が離せなくなって‥‥。

キーボードを叩く姿から想像も付かないこの指が、私をおかしくさせるの、いつも。








無性に触れて欲しくなる私の身体が、心を引き摺りそうで怖くなる。








「金曜の夜は空いていないんだよな?」

「‥え?」



驚いて顔を上げると、そこには有川くんの苦笑いがあった。



「行くんだろ?水嶋が参加するって女子が騒いでるのが聞こえた」

「あ‥‥うん」



じっと、絡まる視線。

眼鏡の奥から苦笑いが消え、私を見る目に表情が無くなる。

時々見かけるこんな有川くんにどきりとしつつも、余裕を装って笑った。



「まさか、行くなとでも言うつもり?」

「そう言えば、断るのか?」

「え?」




「行くな。俺といて欲しい、水嶋」

「‥‥‥!?」







しん、と辺りが静まり返った気がして、それからざわざわと騒ぎ出すような。

もしくは、背後から鈍器に殴られたような衝撃が、全身を襲う。


何か‥答えなければ。

動揺を悟られる前に。




「はいはい。冗談言う時間はないでしょ?部長が待ってるわ」

「‥‥そうだな」



───良かった。
一瞬本気にし掛けた自分に、内心で深く息を吐く。




その時ふっ‥と小さく笑い不意に立ち上がった彼に、釣られて顔を上げた。
有川くんは書類を片手に部長室へ行くのか、入り口の‥つまり私のほうに歩いて、



「‥‥そうだ、水嶋」

「なに‥んっ」




擦れ違い様に、触れるだけのキス。

刹那だけ感じる吐息の熱さに、血が騒ぐ。




「明日なんだが、14時に例の件のアポが取れた。水嶋も同行してくれ」

「え、ええ‥」









‥‥悔しい。










背の高い後ろ姿はいつもと変わりなく、隙が無くて。



不覚にも見送る恰好になった私は、彼の姿がドアの向こうに消えた瞬間、へなへなと床に座り込んだ。




「‥‥どの辺がクールなのよ」






皆は知らないの。




───彼は、危険な人。












 
 


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