御幸一也はすっぱ抜かれた

『イケメン捕手・御幸一也、Gカップ元アイドルAと同棲秒読みか!?』

 自分の恋人が浮気しているという噂を聞きつけてコンビニに下世話な週刊誌を読みに行ったら、撮られた写真の後姿が自分だった。Gカップでもアイドルでもないので大笑いしながら雑誌を買った。売り上げに貢献していいか迷ったが、とりあえず立ち読みはよろしくない。

 ──いつかはこうなるだろうとは思っていた。凪沙の恋人は今を時めくプロ野球選手。しかもその顔立ちの良さが幸いして、御幸はかなりメディア露出も多い。雑誌の表紙を飾る仕事から、球団の公式チャンネル出演まで、様々だ。本人は「練習時間が減る」「野球選手の仕事じゃない」「早く正捕手になって仕事断りたい」などぼやいているが、とはいえ顔だけじゃそんな仕事は押し付けられない。早くして一軍合流するほどの確かな実力があるからこそ、球団はここぞとばかりに売り出しているのだ。所謂嬉しい悲鳴なのだが、そうはいっても本人にサービス性も社交性も欠落しているのだから、『試合をする』『練習をする』以外の仕事は総じて価値無しと断じる御幸の気持ちが分からないわけではないが。

「『熱愛発覚……御幸一也が愛した勝利の女神は、豊満ボディの元アイドルか』……そっか……豊満ボディだったのかあ……私……」

 この手の雑誌を買うのは初めてだが、まあ下世話なものである。やれ誰それの浮気だ不倫だ、そうでなければ休みの日にパチンコ行ってるだとか、なんと過去不祥事を起こした芸能人が一家団欒中の写真すら載せられている。放っておいてやれとしか思えない。そもそも、不倫や浮気だって家庭内の問題である。第三者がぎゃんぎゃんと口出すことではない。だというのに、この手の雑誌が後を絶たないのは、世間がそれを求めているからである。スポーツマンシップ溢れる清らかな野球選手の裏の顔を、誰もが知りたいのだ。その好奇心を理解できないとは言わないが、こうして写真を撮られるのはやっぱり怖いものである。

 ため息交じりで該当のページを開く。自分だ。間違いなく、天城凪沙の後姿が激写されている。家の近くのスーパーでトイレットペーパーやら二リットルの水やら重くてかさばる物を買って、御幸と二人並んで帰路についている時の写真だ。お互い、外でいちゃつくような性質ではないし、ほとんど外に出ないので油断していた。これを撮られているということは、自宅も割れている可能性も高い。ううん、と唸っていると家の鍵がガチャガチャ開けられる音がした。この家の鍵をもっている者は、自分以外に一人しかいない。今日は試合なかったもんなあ、と思いながら出迎えようかとゆっくりと身体を起こして玄関へ向かうと──。

「天城っ!!」

「おわっ!?」

 血相変えた御幸一也が飛びかかってきたもんだから、ぎゃあと一声上げて凪沙はなすがまま御幸に抱きしめられることになった。どさっ、と御幸の手にしていた荷物が床に落ちる。最後に顔を合わせてから実に一か月ぶりの抱擁、中々の熱烈ぶりである。流石勝利の女神、なんてどこかご満悦気分でいると、御幸が肩を掴んで凪沙を引き離す。

「浮気じゃ──ねえぞッ!!」

「はい!?」

「お前──だけだって──あんなの──デタラメだ!!」

 息を切らせて叫ぶ御幸。必死の形相だ、勝ち越しがかかったホームインへのヘッドスライディングだってこんな顔をしないというのに。その一言に、彼が何を訴えにこの家にやってきたのか察した。

 そもそもの事の始まりは、青道の同学年のグループライン。元チームメイトの麻生から『御幸がついにすっぱ抜かれたぞ!』というメッセージと共に週刊誌の見出しの写真が飛んできた。Gカップの元アイドル、なんて表題にきっと誰もがメッセージを見て笑い転げたに違いない。だってメンバーの誰もが、御幸の浮気を疑っていない。浮気する暇があったら一回でも多くバットを振り込みたいと考えている男だから、プロ野球という厳しい世界の第一線で戦っているのだ。故にこそ、グループラインは大いに盛り上がった。

『御幸お前……』

『顔だけはいいからなー』

『凪沙に謝れ浮気野郎!』

『誰よその女ァ!!』

『相手次第では東条に言いつける』

『多重修羅場やめろ』

 誰もが分かってて茶化している。とはいえ、麻生は見出ししか撮影していなかったので、その実どんな書かれ方をしているのか分からなかった凪沙は、どう反応したものか悩んだ。浮気は全く疑っていないが、内容次第では他人事とは笑い飛ばせない。故にこそ、凪沙はこのメッセージを残してコンビニに目当ての雑誌を買いに行ったのである。

『御幸くんへ。お話がありますので至急ご連絡ください』

 結果として、嫌な予感は的中した。すっぱ抜かれた相手がのがアイドルやら女優やらキャスターやらだったら、まだよかった。御幸の浮気は疑っていないので、週刊誌のでっちあげだと思えるからだ。だが、相手が自分なら話は別だ。週刊誌の食い物にされるようなら、プライバシーの侵害だと訴えるのも辞さない。故にこそ、売り上げになるのは癪だったがこうして雑誌を買って、真相を確かめていた。そこに御幸がやってきた、のだが。

 どうやら御幸はグループラインしか見ていないらしい。何に対してすっぱ抜かれたのかは見聞きしていないようで、チームメイトたちのからかいを真に受け、本当に浮気を疑われていると信じているらしい。この慌てよう、逆に心当たりでもあるのかと言いたくなるが、御幸一也に限ってはありえない。同じ仕事でも試合と練習以外の時間を割かれるのさえ嫌がる男だ。自分から心離れて何人もの相手と関係を持つぐらいなら、潔く別れを告げてくれるはずだ。

「浮気なんか、してない」

 だから彼がこう言うのなら、疑いはしない。のだが、今までにないぐらい切羽詰まった顔でそんなことを言うので、ちょっとした悪戯心がむくむくと芽生えてきた。しかし、凪沙はあまり嘘が得意ではない。浮気者め、と心無い嘘を吐いても天才捕手の目にはすぐ見抜かれてしまう。なので。

「……」

 御幸を見上げて無言を貫く。とはいえ、ポーカーフェイスを保つのは至難の業だった。込み上げそうな笑みを必死で飲み込み、口元をきゅっと結ぶ。見上げる御幸は肩で息をしていて、不安げに揺れる瞳に流石に可哀想になってきたところで、御幸がスッとしゃがんだ。その時。

「ひえ!?」

 膝裏に手を回されたかと思うと、そのまま自然な動作で横抱きにされた。足が地面から離れ、突然の浮遊感に慌てて御幸にしがみつく。御幸はむすっとした表情のまま足取り一つ乱さずに凪沙を抱きかかえたまま部屋に入り、ベッドに放り投げるようにして下ろし、そのまま凪沙に覆いかぶさる。

「ちょちょちょちょ!!」

「信じてもらえねーなら、いい。態度で示す」

 冷たい声で言い放ち、べろりと服を捲られ、熱い手のひらが素肌を這う。ぞわりと総毛立つ。がぶりと脇腹に甘く歯を立てられ、御幸の顔が見えないまま鈍い痛みに声が漏れる。しまった、流石にからかいすぎた。この声色は、明日の朝日を拝めなくなってしまう。明日はバイトがあるのに。

「じょ、冗談! 冗談だよ! だーれも疑ってないってば!!」

「いいって。そもそも五年待つってのが無理な話だったんだよ」

「約束! 準備期間って約束!」

「もういい。寮出る。てかもう寮出るって言ってきた」

「入寮してまだ四年経ってないでしょ!!」

「結婚したら出れるし。もういい、家買う。つーか今から買いに行こ」

「コンビニでおにぎり買う感覚で言うのやめなさい!! ていうか聞いて! 撮られたの私!! すっぱ抜かれたの私!! いつの間にGカップ元アイドルになってた私だからっ!!」

「……ぶっ、」

 じたばた抵抗しながら白旗を上げると、胸元に顔を埋めた御幸が吹き出した。ふるふると震える肩に、からかわれたのはこっちだったと知る。

「ええー、いつ気付いたの」

「ポーカーフェイス下手すぎ。笑い堪えてるのすぐ分かったわ」

「おかしいなあ、天才捕手を欺ける演技力は一体どこへ」

「不必要な嘘が下手なんだろ」

「それはまあ……っていうか、いつまでがぶがぶしてんの!」

「俺はこのまま続けてもいいんだけど」

「ダメー! その前に作戦会議ですよ!」

 身を捩って御幸の腕の中からするりと逃げ出す。少し残念そうにため息を吐くも、御幸はそれ以上追いかけず、ベッドに座る形で凪沙を見る。凪沙は先ほど買ってきた週刊誌を手に御幸の隣にぽすりと座ると、途端に恋人の顔はぎゅっと歪められる。

「何、買ったの」

「立ち読みするわけにもいかないしね」

「それは……まあ、そっか」

「内容はともかく個人情報が洩れてたらまずいでしょ。写真見る感じこの辺で撮られたっぽいし、場合によっちゃプライバシーの侵害だよ、こんなの。訴えて賠償金むしり取ってやるっ」

 凪沙だって覚悟はしていた。故にこそ、その一線を越えたかどうかは厳しくチェックするつもりだ。こんなことたびたび発生しても敵わないし、記者によっては凪沙自身を張り込んだり、インタビューのため声をかけてくる可能性だって大いにある。顔もよく知らない誰かの話のタネになるのも金の卵になるのも、凪沙はごめんだった。

 気付けば隣に座っていた恋人は凪沙を膝の上に乗せ、大人が子どもに読み聞かせをするような体勢で、子どもにはとても読み聞かせられない週刊誌を読む。見開きには、御幸と二人で夜のスーパーから出て荷物を手に歩いている写真が載せられていた。凪沙の姿には目線が入っており、服装も若干のぼかしがかかっている。最低限のプライバシー保護といったところか。けっ、と凪沙は零す。だが、御幸が歩いている道の周りはほとんどぼかしが入っていない。この辺りは人通りも多い、もしかしてあのスーパーか、なんて思う人もいるかもしれない。だが残念なことに、これが家の中の盗撮ならまだしも、家の外での出来事の場合はプライバシー保護法に該当しない。ましてや一緒に並んで歩いているだけ、これだけで訴えるのは難しそうだ。けっ、と再び吐き捨てる。

 ちらりと自分を抱きかかえる御幸を見上げる。写真の御幸はキャップにマスクをつけている。一応身バレ対策をしたつもりだったが、目元だけで特定されるとは思わなかった。

「ウウー、身バレ対策も形無しかあ」

「やっぱマスクよりサングラスの方がいいかもな」

「でも、夜にサングラスって不自然じゃない?」

「夜間運転用のサングラスとかあるし」

「夜間運転用?」

「反射光だけカットするんだと」

「なぁるほど」

 確かに、こうした雑誌でプライバシーを保護する際、口元ではなく目元に黒線を入れることが多い。次までにサングラスを常備しなければと、凪沙は温かな座椅子に身を委ねながら文章を読み込む。

 見出しがこれなら内容も呆れるほど中身のない文章のオンパレード。球団関係者とかいう謎の人物によって語られる御幸の私生活。寮と球場と遠征先のホテルの行き来だけの御幸が、プライベートで訪れる場所は決して多くない。そのうちの一つが現在の恋人の家なのだと語る謎の男。元アイドルの彼女との出会いは球団のイベント会場で、二人の交際は密かにスタートしたのだという。

「流石に適当すぎない?」

「あー……先輩の浮気相手との出会いがそんなんだったかも」

「なるほど、テンプレート化された文章なのかな」

 野球選手の露出はそこそこ多い。出会いなんて業界人同士であればいくらでも転がっている。テキトーなこと書きやがって、と御幸は憎々しげに呟く。凪沙のプライバシーはギリギリ守られても、御幸の名誉毀損には当たるかもしれないなと思った。

 そうして二人仲睦まじく──実際この時も仲良く夕食の話をしながら歩いたものだ──凪沙のマンションに消えていく姿まで激写されており、普段ほとんどファンサービスを行わないストイックなイケメン捕手のプライベート姿はとても珍しい。それだけでも釣りがくるレベルの情報だろうに、それだけじゃ足りないと編集部は判断したのだろうか。『箔』をつけられたらしい。『元』とつけることで身元をぼかし、胸のサイズを載せることで俗っぽさを演出する。下らない手法だと思う。腹立たしいことに、凪沙の胸のサイズは雑誌の中で不自然に修正されている。

「私、こんなに胸大きくない!」

「こんな手の込んだことまでするのかよ、最近の週刊誌って」

「悔しい……こんな大きな胸が欲しかった……!」

「怒るとこそこじゃねえだろ」

 妙なところで怒りを滲ませている凪沙に、御幸も呆れ顔だ。だが、『胸のサイズを修正しなければ記事に載せる価値無し』と烙印を押されたようなものだ、ムカつかないはずもない。そんな恋人を慰めるように、御幸は腰に回した手で、確かめるように凪沙の胸を掴む。

「まー、昔より大きくなってきてるし、チャンスはあるんじゃね?」

「……誰かさんに育てられましたので」


「俺のおかげですか」

「そりゃそうでしょ」

 今更その手を振り払うことはしないが、どうにもセクハラ親父くさい言い回しが引っかかる。とはいえ御幸の言う通り、成長期などとうの昔に終わったはずなのに胸のサイズはアップしていて、ブラジャーを一新したのも記憶に新しい。揉めば大きくなるというのは俗説だとは思うが、敢えて乗ると御幸は上機嫌で鼻を鳴らした。

 ただ、そんなことを言ってる場合ではないはずだ。

「御幸くんさあ、これいいの?」

「なにが」

「いやこれ普通に名誉毀損では?」

「んー……そう?」

「このままだと、御幸くん巨乳のアイドル好きにされちゃうよ」

「そーいうもんか? 週刊誌に書かれてるようなネタだぜ?」

「火のないところになんとやらって言うしね」

「ふーん」

 御幸はあまり関心がなさそうだ。確かに、業界人はこういったゴシップにいちいち気にしていたらキリがないとは言うが、だからといって放っておいてもいいのだろうか。凪沙の不安そうな表情に、御幸はシニカルに肩を竦めた。

「打率と防御率低迷の方がよっぽど大騒ぎされるしな」

「……それもそっか。じゃあそっちはいいのか」

「そっちって?」

「世間体の方。球団からは何か言われなかったの?」

 何せイケメン捕手として売り出しまくっている御幸一也である。最近はグッズやらコラボ弁当やらが発売されるようになり、財布は嬉しい悲鳴を上げている。御幸のグッズやら弁当はいつも飛ぶように売れることから、女性人気も非常に高いことが窺える。そんな球団としては、女性関係のスキャンダルは避けたいところだろう。いくら本当に付き合っている相手がいるとはいえ、『元アイドルのGカップ』だけでは流石に世間的に心象も悪い。だが、御幸は心配無用とばかりにかぶりを振る。

「逆に、少しぐらい煙が立った方がいいってさ」

「そういうもんかなあ」

「偉い人に言われたよ、俺。『お前、他人に興味があったのか』って」

「え、御幸くんそこまで人付き合い悪かったっけ?」

「まあ、キャバクラとか合コンとか、断り続けてるしな」

「……今更だけどさ、それ先輩から嫌な顔されない? 大丈夫? 付き合いなら、その、私に気を遣わなくてもいいよ?」

 そりゃあ本音を言うとそういった場所に行ってほしくないが、それで上から『付き合いが悪い』と干されるのも問題だ。良くも悪くもプロの世界など体育会系の権化である。酒と金と女が成功の証という文化は未だ根強いと、御幸はよく零している。その付き合いの中で上手くやれなくては、いくら実力があっても試合に出してもらえない。結局のところ誰が出場するかは監督が決める。監督の周りにはそういった古い考えの人間が多い。彼らに気に入られなければ、この先で戦い続けることは難しい。彼から活躍の機会が奪われるぐらいなら、自分の我儘など通すべきではないと凪沙は思う。

 そんな凪沙の考えは重々理解しているからこそ、御幸はむっと顔をしかめるのだろう。凛々しい目付きが今はさらに鋭く、眉間のしわが深く刻まれている。

「そういうとこは、お前の気にするところじゃねーの」

「でも……」

「それ含めて、俺の戦いなんだから」

 そんなことを言われてしまえば、凪沙からは何も言えない。胸元から今一度胴回りに回される腕を信じるだけ。大丈夫だと、力強く物語るその温もりは、凪沙にとって信用に値するものだったから。

 それに、と彼は続ける。

「上の連中はともかく、同世代の奴ほど飲み歩くの好きじゃねえしな。俺だって飲めるようになってもそんな飲むつもりねえし、心配されなくとも、味方は割といるんだぜ」

「あー、そういや先輩もお酒NGだもんね。スポーツ選手なんだし、当然っちゃ当然か」

「そういうこと。飲み歩きまくってる奴の方が、プロ意識欠けてんの。大体、行きたくもねえとこに連れ回されたらな、今は『パワハラ』っつって晒し上げることだってできんだし?」

「ふむふむ。そういう古き風習を叩き切るのも、若手の仕事ってね」

 何でもかんでもハラスメントだと訴えるのも問題があるだろうが、この場合は嫌がる人間に酒やら女を宛がう方が大問題だろう。昨今の世間は、特にそういったハラスメントに厳しい。付き合いがいいに越したことはないのは確かだろうが、悪かろうと最低限の人間関係の構築と確固たる実力があれば誰も文句を言わない世界であればいいと、凪沙は思う。

「……あー、でも」

「でも?」

 ふと、思い出したように零す御幸。何事かとその顔を見上げると、にやりと如何にも何か企んでますとばかりの含み笑いが凪沙を見下ろす。おおっと、何やら嫌な予感が胸の内を縦横無尽に駆け巡る。

「監督たちが近々会いたいとは言ってたな」

「……だ、誰と、ですかな?」

「そりゃあ、キャバクラも合コンも見向きもせず、休みの日には決まって土産持って家に通い詰めるほど御幸一也が熱上げてる、謎の女の子に?」

 ──まさか恋人の父親よりも先に監督に会うための挨拶を考える羽目になるとは、凪沙も思わなかった。

(週刊誌にすっぱ抜かれるお話/プロ1年目秋)


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