御幸一也と借り人競争Re@

※バージョン@















 体育祭。それは、何かとイベントがスキップされがちな野球部員が三年間欠席もなく参加できる、数少ない学校行事である。文化部にとっては気の重いイベントでも、運動が得意な者たちにとっては、ちょっと身体を動かせば普段の授業を全てスキップできる、そんな素晴らしい行事の一つ。どちらかといえば凪沙は後者の部類。ただ、あまりに得意すぎて、毎年毎年過労死レベルの出場を求められるのが、悩みの種ではあるが。

 とはいえ、高校最後の体育祭だ。最後の最後だと、今年ばかりは全力で楽しもうと、少女は今日もいくつものリレーに出場し、数多の運動部員たちに負けずとも劣らず脚力を見せつけ、一年生たちは『なんだあの化け物は』と畏怖の眼差しを向ける。図らずとも、彼女が女性の身で紅白戦に参加した理由を、少年たちは思い知ったのだった。

「いやあ、今日もいい仕事したなあ」

「仕事しすぎだろ」

「陸部とデッドヒートかますな」

「A組の得点の二十パーセントぐらい稼いでない?」

 クラスメイト達の称賛、もとい半ば引かれたコメントに出迎えられながら、いい汗をかいたと凪沙は自席に置き去りにしたタオルを肩にかける。秋の澄んだ風が吹き込むも、動けばまだまだ汗が吹き出す。ふう、と椅子に腰を下ろしながら一息つく。

「次、何だっけ」

「あれあれ、借り人競争」

「ああ……」

 夏川の声に、凪沙は呻くように答える。青道体育祭名物『借り人競争』は、その名の通り借り物競争の人限定バージョン。お題は思春期の少年少女の好奇心と羞恥心を突き動かすものばかりで、毎年毎年様々なドラマを生み出す。毎年毎年そのドラマを生み出してきた側の人間としては、そんな苦い顔にならざるをえない。

野球部[ウチ]から出てる人いたっけ」

「事情知らない一年生が何人か巻き込まれたとは聞いたけど」

「誰?」

「奥村くんとか」

「「ああ……」」

 いかにもな人選に、凪沙も夏川も納得したように頷いた。彼も、なんというか独特な後輩である。借り人競争の実情もろくに説明されないまま、怪我の危険はないからと、人数足りないからと、唆されている姿が目に浮かぶ。事情を痛いほど理解している二・三年生は、お調子者以外借り人競争を避けているので、顔見知りが出場することはほとんどない。

 奥村はどんなお題で誰を借りるだろうか、なんて話しながらタオルを被って汗を拭っていると、梅本と夏川がアッと息を呑んだ。

「え!?」

「うそ、なんで!?」

「どしたぁ〜?」

 タオルを被る凪沙は、何が起こったか視認しておらず。友人たちの驚きの声を聞きながら、タオルを引っぺがす。ざわめいているのは梅本たちだけではなく、クラスメイトや周りの生徒たちは一点を見つめてざわめいている。どうしたんだろう、と顔を上げ、みんなが見ている方向を見ようと立ち上がって──凪沙もまた、目を飛び出さんばかりに見開いた。

「み、御幸くん!?」

 そう、視線の先、借り人競争の出場者列に並んでいる生徒たちの中に、自分の恋人であり、野球部前キャプテンである御幸一也の姿があったのだ。当然ながら、御幸だって例年借り人競争に揉まれており、何が起こるか知らぬはずもない。加えて自らこの競技に名乗りを上げるほど盛り上げキャラでもないわけで。一体何が起こったのかと、御幸を知る者全員が──何せ彼はチームを甲子園出場に導いた立役者、有名人なのだ──信じられないものを見るような目で、ぼうっとした表情で列に並ぶ御幸を見つめている。

「凪沙、知ってた?」

「う、ううん。出るなんて、一言もっ」

「じゃあ、一昨年の凪沙ちゃんみたいに、誰かの代理?」

「代理引き受けるような性格じゃないと思うけど……」

「その言い方もどうかと思うけど全面的に同意だわ」

 なにせ、人付き合いの悪さで言えば恋人の凪沙でさえ太鼓判を押すほどだ。クラスメイトのメンバーのために、なんてお人好しではないはずだ。まあ、一昨年の凪沙のようにジャンケンで負けてやむなく、という可能性はなくもないが……。

 なんて言っているうちに借り人競争がスタートする。なんと、御幸は第一走者だ。何故か険しい顔をした奥村と共に駆け出して、お題が書かれた紙を手に取る。一体どんなお題を引くのだろう。

「まあ、御幸くんの場合、何引いたって凪沙ちゃん連れてけばいいんだもんね」

「そう考えると別に面白みはないよなー」

「いやいや、去年十分玩具になったでしょ。勘弁──して……」

 そう言いながら、凪沙の声は不自然に途切れる。そう、去年も一昨年も、凪沙も御幸は借り人競争騒動に巻き込まれた。特に去年は付き合い始めたことが周りにバレた頃だったため、相当からかわれた。だから、覚えている。よく、覚えている。もっと正確に言えば、今、鮮明に思い出したのだ。去年何があったのか。去年の御幸が、何を凪沙に耳打ちしたかを──。

『来年は絶対、俺が『借り』に行くから』

 耳元で囁かれた、些細な約束。そんな約束、今の今まですっかり忘れていた。もしも、もしも御幸が、その約束を果たすつもりなら。もしも、そんなものの為だけに、御幸が恥も外聞も捨てて、借り人競争にエントリーしたとしたら。


「──約束、したろ?」


 気付けば呆けた凪沙の前で、御幸一也が笑っていた。悪戯っぽく笑むその姿は、プロ野球選手に進路を決めた男ではなく、ただの高校生の、どこにでもいる少年に見えた。マジか、と唖然とする凪沙に、御幸はお題の書かれた紙を手に、顎で示す。

「行こうぜ」

「あ、う、うん……」

 戸惑いながら、誘われるがままに立ち上がれば、途端に全方位から口笛やら拍手やらが飛んできて、かあっと顔に熱が集まる。御幸も恥ずかしそうに顔を赤らめてはいたものの、どこか開き直った様子で「はっはっは」と笑っていた。

「御幸ィ! どーせなら担いでいけよ!」

「色気ねえなあ、お姫様抱っこぐらい言えねーのか!」

「お、いいね! これがほんとのウィニングランってな!」

「勝ち組ってか、オウオウ見せつけてやれよ!」

 誰が言い出したか、周囲から──主に野球部だろう──そんな風に二人を囃し立てる声が飛んでくる。見せつける気はない、断じて。いやいや、と声に気圧されながらかぶりを振る凪沙だが、今日の御幸は悪い方に吹っ切れてしまっているらしい。よし、と背後で聞こえたかと思うと、膝裏にと腰に手を回されたかと思うと、一気に御幸に抱き上げられた。悪乗りした生徒たちの歓声とともに、凪沙の顔は夕焼けより真っ赤になる。

「御幸くん今日どうしちゃったの!?」

「たまにはいーだろ?」

「酔ってんの!? 誰この人!?」

「お前の彼氏ですけど?」

 こんな御幸一也知らないのだが。羞恥と困惑で混乱した凪沙を抱きかかえたまま、御幸は口笛と歓声を背負いながらグラウンドに戻っていく。ゆらゆら揺れながらも、御幸の両腕がしっかりと凪沙を支えており、落下の心配はない。ああ、信じられない。去年の些細な約束だけで、こんな恥ずかしいイベントに特攻するなんて。真っ赤な顔を手のひらで覆いながら、ひえええ、と悲鳴を上げる凪沙。けれど御幸は、赤らんだ顔のままくしゃくしゃに笑うだけで。

「あ、因みにお題は『好きな人』だったわ」

「ピンズドで引けてよかったねえ!!」

「怒んなって。……いいだろ、これが、最後なんだし」

 少しばかり低くなった声に、はっとして指の隙間から御幸を見上げる。ああ、そうだ。こんな馬鹿ができるイベントは、これが、最後。御幸はあと数か月もしないうちに、寮を出てしまう。凪沙だって受験があるし、卒業まで日はない。御幸なりに、イベントを楽しもうという思いで、こんなことをしているのだろうか。

「おお! 我らがヒーロー、御幸選手がやってきました! 見せつけるように彼女さんをお姫様抱っこ、羨ましいことこの上なし!」

「さてお題を拝見──おお、『好きな人』ですね! では、御幸先輩、このマイクに向かって彼女さんの好きなところを、語ってください!」

 ゴール地点へ向かうと、体育祭委員もノリノリで凪沙を抱えてきた御幸に向かってマイクを向ける。ええい、こうなったらヤケだ。向けられたマイクに凪沙と御幸は一瞬顔を見合わせた。そうして、遠くに聞こえるワーキャー騒ぐ声を耳に、腹を決めた凪沙は御幸と同時にこう叫んだ。

「「全部!」」

 マイクを通してグラウンドの端まで届くような声で叫ぶ御幸と凪沙のバカップルに、多くの生徒たちがキャーッと悲鳴を上げた。何だかんだ、御幸の恋人として、そして飛び抜けた身体能力を持て余していることもあり、凪沙も校内ではそれなりに有名人である。数多の拍手やヤジに後押しされながら、凪沙を抱えたまま御幸はゴールテープを切り、二人してヤケクソ気味に笑い飛ばしたのだった。

 これもまた、振り返ってみればいい思い出だったと、言い切れるように。

(体育祭リベンジのお話/3年秋)

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