御幸一也の合コン

「悪い御幸、今日ほんとは合コンだったんだわ」

「すんません用事思い出したんで帰りますお疲れっした」

「だああああ待て待て待てっ!!」

 くるりと踵を返す御幸を食い止める先輩たちの手、手、手。ハメられた、何が新人との交流会だ。おかしいと思ったのだ。男しかいない飲み会のはずなのに、みな慣れない洒落っ気を出しているし、なんか練習中もそわそわしていた。だが、普段付き合いの悪い御幸でも、『たまには付き合え』と絡んでくる先輩たちの重圧を無視できなかった。良くも悪くも、スポーツ選手は年功序列の超縦社会。例え御幸でも、先輩の命令に逆らえない。

 で、練習を終えてシャワー浴びて御幸が連れ出されたのは、繁華街の会員制の食事処。個室を押さえているというので店員に案内されるまま部屋に通されてみれば、見覚えのある女性たちが席についているのが見えて、御幸は顔をひきつらせた。ハメられた、と。女性たちは名前はうろ覚えだが、既視感を覚えた。恐らくアナウンサーか何かなのだろう。インタビューされたこともあるような、ないような、だ。どういうことかと男たちに詰め寄れば、彼らはあっさりと白状した。

「俺、彼女いるの知ってますよね?」

「知ってるし悪いとは思ってるよ! でも、向こうが『御幸がいるなら』って言うから!」

「相手はあの天下のアナウンサー様だぞ!! 俺狙ってる子がいてさあ!」

「黙って座っててくれるだけでいいから! な、俺らの顔を立てると思って!」

 天下のプロ野球選手たちが合コン一つに情けない顔で御幸に嘆願する、ファンには見せられない光景だと御幸は思った。だが、頼れる先輩たちの頼みであっても、こればっかりは素直に聞けない。恋人がいる身で合コンだなんて、凪沙に合わせる顔がない。帰りたい、今すぐに。寧ろこの足で凪沙の家に向かいたい。

 だが、今回だけ、お願いだから、助けてイケメン、と泣きつかれた御幸は、さんざん悩んだ挙句携帯を取り出した。そして、半泣きの先輩たちの前で慣れた手つきで電話を始める。

『はいはいモシモシ? 今日飲み会じゃないの?』

「悪い、今日飲み会じゃなくて合コンだった」

『え? なに? なんで?』

「騙された」

『二十一世紀を生きてる上でそのワード使うことあるんだ……』

 凪沙の困惑したような声が耳に流れてきて、御幸は重々しくため息を吐いた。そして、嫌々ながら事情を説明し、凪沙の様子を窺う。

「もう帰るからさ、今からそっち行ってもいい?」

『いや、それはいいんだけど……帰っちゃったら、先輩たちアナウンサーさんたちに嘘吐いたってことにならない?』

「なるけど、いいんじゃね? 嘘吐く方が悪いんだし?」

「鬼!」

「悪魔!」

「カノジョホシイ!」

 嘘つきたちが被害者面でやいのやいのと騒ぎだす。そんな悲痛な声が聞こえていたのだろうか、電話の向こうで恋人がくすくすと笑う声が聞こえる。

『今日くらい、先輩の顔立てたら?』

「お前までそういうこと言う?」

『勿論、私だってあんま行って欲しくないけどさ。相手は取引先みたいなもんだし、あんまり印象悪くするのもどうなのかなーって』

「そりゃそうだけど」

『こうして連絡くれるだけで、十分嬉しいし、私は御幸くんのこと信頼してる。だからさ、これっきりです、っていうのはどうかな?』

「お前はそれでいいの?」

『色々加味した上で最善策だと思うよ。あとは、御幸くん次第』

 凪沙だって『付き合い』なのは百も承知なのだろう。それに、強い言葉でないにしろ、抵抗感は示している。御幸としてもチームプレイを行う上であまり先輩たちの機嫌を損ねたくない気持ちはある。だから凪沙の気遣いは純粋にありがたい。ありがたいのだが、純粋に『行きたくない』御幸としては素直に頷き難く。

「……」

 しばし悩んだ末、御幸は凪沙との通話を繋いだまま、困惑した面持ちの先輩たちにずいっと突き付けた。

「『御幸一也を今後一切合コンには誘わない』と、こいつに誓ってください」

 先輩の顔は立てるも、容赦はしない。苦笑いする凪沙の声を前に、大の大人たちが『僕たちは御幸一也を今後一切合コンには誘いません』と声を揃えて告げる光景を、店員はそれは奇怪な物を見る目付きで眺めていたのだった。



***



「御幸一也です。彼女いるんで、俺のことは置物だと思ってください」

 それから始まる合コン。華やかな女性たちを前にも御幸は一歩と気を緩めない。初手からかます御幸に、男たちは『頼まれてもコイツは連れてこねえ』と心に決める。女性陣もお前何しに来たんだとばかりに視線が突き刺さるも、御幸はどこ吹く風。一人ウーロン茶を注文する男の守りは鉄壁で。流石扇の要と誰かが呟いた。

 それでも、盛り上げ役がなんとか場を回すことでそれなりに和気藹々とした雰囲気にはなる。御幸も流石に話しかけられれば最低限の返事を返しながら、大して腹の足しにならない食事を胃に収める。美人アナウンサーたちにデレデレする先輩たちを見ながら、こんな人らでも球場に入れば頼りになるから不思議なものだとしみじみ思っている、と──。

「御幸さん、カノジョいるんですか?」

「ん、ああ。はい」

「へえ〜! どんな人ですか?」

 サラダを貪る御幸に話しかけてきたのは、隣に座ってきたいかにも男に人気のありそうな清純派アナウンサー。ごくりと野菜を飲み込み、御幸は首を傾げる。

「どんなって……高校の同級生スよ」

「えーっ、すごいですねー! 写真とかあります?」

「ないっすね」

「え、なんで……」

 即答する御幸に、彼女は面食らったような顔で訊ねる。当たり前だろとばかりに、御幸はなんだかよく分からない名前の肉料理を摘まむ。これは美味い、凪沙に作ってやりたい。

「写真撮るような場所行かないんで、俺ら」

「……へ、へえ、そうなんですね〜」

 一応凪沙の写真はあるにはあるのだが、大体寝顔なのでとても人には見せられない。おまけに旅行どころかデートすら行かない二人なので、写真を撮るという機会がないのだ。当然、大昔に撮ったコスプレのプリクラなど、死んでも見せられないわけで。

 御幸たちの間の会話が滞り始めた頃、すでに酔っぱらった先輩が横から茶々を入れてくる。

「そうなんですよ、こいつほんと顔だけで、全然おもしろくねーんですよ!!」

「ほんと、彼女ちゃんも何が楽しくて付き合ってんだかさあ!」

「どこの世界にデートでキャッチボールしに公園行く馬鹿がいるんだよ!」

「いいじゃないすか。あいつ、そこらのプロより球種あるんですよ」

「ワンコちゃんってサードじゃなかったっけ?」

「そうですけど、こないだはスクリュー投げてきましたからね」

「オメーの彼女パワプロで作ったの?」

 呆れとも感心とも取れる表情で頷く男たち。一方で女性陣はあまり野球に詳しくないのか、或いは人の彼女の話なんか興味がないのか、曖昧な表情で相槌を打っている。すると横の女がにこりと美しい笑みを浮かべる。

「へえ〜、じゃあ御幸さん、スポーツ好きな人がタイプなんですか? 私、実はボルダリングを──」

「んー、そういうわけでもないっすね。そもそも、デートで外出ること自体あんまないんで」

「……」

 好きになった相手がたまたまスポーツ万能だっただけで、それに対して特別思い入れがあるわけではない。そもそもオフの日は基本的に体を休めると決めているし、万が一怪我をしては元も子もない。オフは凪沙の家でゆっくりと映画見たりゲームをしたり、一緒に料理をしたり、御幸はそんな穏やかな時間を過ごしている。

「で、でも、彼女さん幸せですよねっ!」

「そーすかねえ」

「そうですよ! だって、こーんなイケメンな恋人がいるんですもん! しかもプロ野球選手で将来も安泰! 羨ましいなあ、彼女さんが」

「……あいつも、そう思ってくれてりゃいいんですけど」

 そんなもので彼女の心が繋ぎ止められるのなら、いくらでもくれてやるのに。人に言われるほど、御幸は人としてできていない。彼女の心が遠く離れていかないか、いつだって不安に駆られる。お互い様だといつも凪沙は言う。確かに、こうして直接的なモーションをかけられる機会は圧倒的に多いのは御幸だが──。

「彼女さんとは付き合い長いんですか?」

「んー……高校の頃からなんで、もう三年くらいスね」

「長いですね〜! じゃあ、よっぽど素敵な彼女さんなんだ!」

「ええ、本当に。俺なんか勿体ないくらいの恋人です」

 にっこりと、邪気のない笑顔を取り繕う女に真顔で返せば、相手は再び面食らったような顔で目を見開く。なるほど、こういう切り口もあるのだな、と御幸は思う。褒められ慣れない人間は、こういう時、口を揃えてこう言うのだろう。『いやあ、そんなことはないですよ』と。

 謙遜を美徳とする意識が強い国だ、ここから凪沙の悪口を掘り起こすつもりだったのだろうが、そうはいかない。姑息な手には乗らないし、そもそも御幸は本心からそう思っている。彼女に対する不満があるとしたら、さっさと結婚してくれないことぐらいだ。既婚者になればこんな面倒事にも巻き込まれずに済むのにと、一人ウーロン茶を呷る。するとポケットに入れた携帯が振動したので引っ張り出す。そこには、先ほど電話していた恋人の名前が浮かび上がっている。

『お迎え参上!』

『近くのバッセンで暇潰してるね』

『あと、もーこの車乗らないから!!』

 帰りの準備も整った、と御幸は内心笑みを深める。普段ならこんなこと頼まないが、今日は特別だ。合コンに参加する男を迎えに来るほどの信頼感があるのだと、見せつけなければ。こんなこと何度も起こってもらっては困る。どうも横の女は自分を狙っているらしいし──恐らく、『御幸がいるなら』なんてめんどくさい注文付けたのもこいつだろう──、仲睦まじく帰らせてもらうとしよう。

 流石にすぐに席を立つ真似はできないので、タダ飯をのんびりと楽しみながら、時折絡みに来る女たちを無心で交わす。色仕掛けも何も一切通じず、黙々と食事を進める御幸に彼女たちの心は少しずつへし折られていき。

「御幸、お前二次会は?」

「すんません、『お迎え』来てるんで俺はこれで」

「お前合コンにワンコ呼んだのかよ……」

「容赦ねえなあほんと」

「もう頼まれても呼ばねえよクソが」

 男たちの小言も何のその。約束は守った御幸に怖いものはない。さっさと支度をして店を後にする男に、声をかける勇者はいない。御幸の脳にはもう、凪沙と会うことしかない。きっと近場のバッティングセンターで涼しい顔して自前のバットを振り回していることだろう。そして御幸の顔を見るなりこう言うのだ。もうあの車やだ、ぶつけるの怖い、そんなことを言いながら頬を膨らます姿が容易に想像できる。

 すぐ行く、そう返して携帯を仕舞った時だった。目の前に、あの清純派アナウンサーが立っている。

「彼女さんですか?」

 酒気に頬を赤らめた姿は、先輩たちには大層魅力的に見えるのだろう。けれど御幸にしてみれば、取るに足らない有象無象の一人。そうです、と頷く御幸に、女はまた一歩近づく。

「ご一緒してもいいですか?」

「一緒も何も、俺これから帰るんスけど」

「──私、二番目でもいいなあ、って思うんです」

 その横をすり抜けようとした時、静かな声で言い始める女。そうまでして『御幸一也』が欲しいのかと、心底ゾッとする。けれど女は、美しい微笑みを浮かべるだけ。

「なんていうか、お試し? っていうと聞こえ悪いんですけど、気分転換がてらにどうかなあ、と」

「……」

「自分で言うのもなんですけど、私、それなりに市場価値高いと思うんですよ。お試しチャンス、どうです?」

「……逆に聞きたいんスけど、気分転換で浮気するような奴と付き合いたいんですか?」

「私が『最後』になるなら、気にしません」

 にっこりと、誰もが目を奪われるような笑顔で信じがたいことを宣う女。御幸の性格を何一つ知らないくせに、何故そこまで言えるのか。心底理解できないし、理解しようとも思わない。ただ一つ言えることは、この女はただでは引かないということで。

 他の者は二人のやりとりをオロオロした様子で見守る。俗にいう修羅場を前に、誰もが閉口してしまう。誰も助けてはくれなさそうな雰囲気に、御幸は大仰にため息を吐いた。そして。

「……じゃ、あいつに勝ったら考えます」

「勝ったら、とは?」

「今バッセンにいるらしいんで、あいつより打てたら、ってことで」

 運動にも自信のあるらしい彼女は、更に笑みを深める。どんな『スポーツお化け』が待ってるとも知らないで、随分いい気なものである。踵を返して歩き出す御幸の後を、ひょこひょこと女が追いかけてくる。更には二人が心配になったのか、合コンに参加していた全員がついてくるのだからおかしな行進である。

 プロ野球選手にアナウンサーの行軍は、人ごみに紛れてしまえば案外誰にも気付かれることはなく。徒歩五分の場所にあるそれなりに設備の整ったバッティングセンターへ向かう。一応凪沙には電話したものの、バッティングに集中してるのか電話には出てくれない。まあいい、どれだけの自信かは知らないが、せいぜいその高い鼻っ柱を折られればいい。そう思って彼女を探す。

「──お、いたいた」

 見つけた。ちょうど打ち終わったのか、ヘルメットを取りながら凪沙がブースから出てくるのが見えた。横に佇む女が、一瞬勝ち誇ったような笑みを浮かべたが、無視して凪沙の元へ向かう。

「うわっ、なになに。二次会会場バッセンなの?」

 こちらと、そして後ろに控える錚々たる顔ぶれに、凪沙はぎょっとしたように後退る。横の女が何か言いたげに一歩前に出てくるので、させるか、とすかさず御幸がそれを制する。

「悪い、この人と一打席勝負してくんねえ?」

「ごめん。分かんない。なんで? ドウシテ?」

「……俺の、二番目でいいんだと」

 諸々の経緯をフッ飛ばしてそれだけを耳打ちすれば、察しの良い彼女はうわあと顔を引き攣らせる。ちらり、と自信に満ちた女の顔を見て、苦虫を噛み潰したような凪沙は流石にやり辛そうな表情を浮かべている。

 無論、お互い凪沙が負けることなんて想定していない。どんな運動神経の持ち主だろうと、天城凪沙を超えるバッティングセンスがあるなら横にいる女はアナウンサーではなくソフト選手になっているだろう。故にこそ、ただボコボコにしても彼女のプライドに傷をつけて更にひと悶着起こりそうだ。かといって負けてしまうのも論外だし、ギリギリの具合で手を抜いても『まぐれだ』と食い下がりかねない。

 鋭い眼光が右へ左へ動き、思案するのが目に見えて分かる。だが、何か閃いたような顔で凪沙は御幸の横を通り過ぎる。全員で凪沙の後を付いていけば、とあるバッティングマシンの前に辿り着いた。ブースの中に打席があり、野球選手の映るパネルの向こうにピッチングマシンがある、ありふれたものである。凪沙はくるりとこちらを向く。

「分かりました、勝負しましょう。ただし」

「……ただし?」

「私をダシにされるのは癪なんで、コレで」

 これ、とブースの外にあるパネルを指差す凪沙。それを見て、ようやく凪沙の狙いが分かった御幸は吹き出しそうになった。所謂これは、対戦タイプのマシンだ。何人ものプレイヤーが、交互にブースに入って一イニングずつ打ち合う。

 ──ただし、球種とコースは外のパネルで指定するもので。

「二人交互に一イニングずつ、御幸一也の配球相手に戦う[・・・・・・・・・・・・]。どう?」

 競われるのは、純粋な打撃センスだけではない。御幸一也の隣が欲しくば、彼の頭脳をも上回れ。それが凪沙が挑戦を受ける条件だった。野球には疎い女も、流石にそれは不公平と思ったのか異を唱える。

「彼が手を抜いたら、私の勝ち筋ないでしょ」

「この人が『野球』で手を抜くような人間なら、プロになんかなってないですよ」

 だよね、と見上げる瞳はどこまでも挑戦的だった。当然だ。いくらマシンによるピッチングでも、素人二人に裏をかかれるような配球を見せては、プロ野球選手の名折れである。二人だけならともかく、他のアナウンサーやチームメイトもいるのだ。素人にぽんぽん打たれるわけにはいかない。例えそれが、将来を約束した恋人相手であっても、だ。

「一応ソフトやってる身なので、ハンデで私は百四十キロまで、そちらは百キロまで──いや、これでも速いかな……」

「……いいわ、それで。あまり手心加えられても、納得いかない」

「決まり。それじゃあ、そういうことで」

 そう言って、先行は相手に譲り自前のバットを手渡す凪沙。だが、敵に塩を送られたくないのか、女はそれを断ってレンタルシューズと備え付けのボロバットを手にブースに入る。美人なアナウンサーが野暮ったいヘルメットと小汚いレンタルシューズを履いて、華やかなワンピースを身に纏って打席に入る姿は実に奇妙な光景だ。だが、勝負とあらば手は抜けない。御幸はブースの外にある操作パネルを覗き込む。

 球種は『ストレート』『シンカー』『カーブ』『チェンジアップ』の四つ。球速は八十キロから百六十キロまで選択が可能。これを一イニング操作して、彼女たちを打ち取るだけ。先行、アナウンサーの彼女に使える球速差は二十キロ程度か。先の口振りから運動には自信がありそうだし、あまり楽観視できるような手札ではない。だが、どんなプロだって『分かっていても打てない打球』は存在する。おまけに投手はコントロール正確無比なピッチングマシン。普段ノーコンばかり扱っている御幸に、これほど心強い相棒はいない。

「み、御幸……?」

 ニィ、と笑みを深める御幸を、チームメイトの誰かが恐る恐る呼ぶ。だが、時既に遅しとばかりに、隣に佇む凪沙が深い深い溜息を吐いた。

 で、結果など言わずもがな、である。とはいえ、御幸の想像以上にアナウンサーは反応が良かった。度胸も満点、百キロ程度余裕でバットに当ててきた。それでも、四つの球種を内外高低自在に操る御幸の前に、三者凡退で終わった。性格わっる、と背後から先輩が呟くが気にしない。御幸はこれが仕事である。悔しそうにヘルメットを脱ぎながらブースを出てくる女を見ながら、凪沙が肩をくるりと回す。

「じゃ、ヒット一本で私の勝ち?」

「三凡だし、そういうことになるな」

「おっけーい。まあ、二点はいけると思うよ」

「マシン相手だからって調子乗ってねえ?」

「どんな好リードでも、所詮機械ですからねえ」

 そう言いながら、女と交代でブースに入る凪沙の背中のなんと逞しいことか。いつのまにかチームメイトたちもお手並み拝見とばかりに見つめている中で、凪沙はあくまで自然なフォームで構える。ヒットぐらいは許すが、点まではくれてやる気のない御幸は「さて」とボックスに入る凪沙を見る。

 バッターボックスのギリギリに立ってバットを構える凪沙。いくら運動センスがあっても手足や身長は平均の彼女は、ここまで内角に投げればぶつかるぎりぎりまで身を寄せないと外の打球にバットの芯が届かない。つまり、彼女はどう足掻いてもアウトコースが不得手なのだ。

「(──ただ、その程度は読んでるだろうな)」

 コースが分かれば八割は打てる、と言われるスポーツである。狙い通りの球を放るのは愚策中の愚策。ここまで内側まで踏み込んでいるのなら、狙い通り内に放って詰まらせるのもアリか。ただ、得意コースに馬鹿正直に放る、なんて選択が、果たして正しいものか。全く、彼女が男でなくて良かったと、パネルを操作して御幸は第一球を投げさせた。

「──!」

 球速百四十キロ、当たれば骨も砕ける剛速球高めのストレートが凪沙の真横を通り抜けてネットに突き刺さるり、ヒッ、と背後の女たちが息を呑む。初球は見送ることにしたらしく、凪沙はぴくりとも動かない。

「(意識は──変わんねえか。びびりもしねえのかよ、こいつ)」

 少しは怯んで外側に引っ込んでくれればいいものの、足は一歩と動かずに、バットもぶれることなく構えたままだ。全く、可愛げのない恋人である。

 さて次は、表示される球種・速度を見下ろす。セオリー通り、速球の後は緩急をと百二十キロチェンジアップを選択する。だが、セオリーなど天賦の才を前には塵芥!

「っしゃあ!!」

 その『目』に緩急など通用しない。凪沙のバットは見事にボールを捉え、弾丸ライナーは易々と三塁方向へと吹き飛ぶ。大型のスクリーンには『二塁打』の文字が見えて思わず呻くと、生意気な笑みを浮かべた凪沙がバットを肩に振り向いて。

「あれえ? ゲームとはいえ、天才捕手のリードもこの程度?」

「このヤロッ……!」

 見事なまでの二塁打に、アナウンサーとの勝負はついたはずだ。だというのに、負けず嫌いの恋人たちの間には違う火がついてしまい。結局、三つアウトを取るまでに二塁打一本、ヒット二本を叩き出し、三振が取れたのはたった一回。センターフライとサードゴロで、ようやく凪沙は一イニングを終えたのだった。

「──あーもー、マシンならもっと打てると思ったのに!」

「あれ以上打たれてたまるかよ。ったく……あれ?」

 本来の目的も忘れてマシンに齧りついていた御幸が振り返ると、アナウンサーたちの姿はどこにもなく。チームメイトの一人だけがぽつんと残っているだけだった。

「皆さん、帰ったんです?」

「お前らがギャーギャー遊んでる間にな」

 どうやら、敗北を認め時間の無駄だと判断した女たちはサッサとこの場を後にしたようだ。先輩二人も消えているので、お持ち帰りできたかどうかは、明日会った時に聞くとして。

「先輩はよかったんですか?」

「二番目でもいいとか言う女はちょっとなあ」

 なるほど、この人はどうやら御幸に言い寄っていたあのアナウンサー狙いだったらしい。年の近いこの先輩が、ごく普通の女性観を持ってくれていたことにほっと胸を撫で下ろす。

「しっかしワンコちゃん、すんげーな」

「これでソフト愛好会ですからね。本気でスポーツに打ち込んでたら、今頃渡米してソフトやってたんじゃないですかね」

「勿体ねえなあ……マジで才能あるだろ」

「いえいえそれほどでも」

 照れたようにぺこりとお辞儀する凪沙。それを誇らしげに眺める御幸を見て、末永くお幸せにと先輩はどこか疲れたように告げたのだった。

 なおそれ以降、御幸が合コンに誘われることはなかった。

(合コン騒動に巻き込まれるお話/プロ2年目冬)

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