御幸一也と同窓会

 大学二年が終わり、春休み。そろそろ来る就活や卒論の足音に怯えながらも、それでも学生生活を満喫している頃。凪沙は青道野球部同窓会という名目で個人経営の居酒屋にやってきた。店は貸し切りで、もともとは御幸世代の成人を祝した会だったのだが、どこからか聞きつけた結城世代もちらほら顔を覗かせていて、凪沙が店に一歩踏み入れた時点でもう大騒ぎで合った。

「お! 天城!」

「うわー久しぶり!!」

「お前変わんねえなあ!」

 店に一歩踏み入れるだけで、OBや同世代にワッと囲まれる。マネージャー同士は卒業後たびたび顔を合わせていたが、選手と会うのは大学が同じ結城と白州、それからちょっとした事件で呼び出した前園と、恋人の御幸を除けば、実に卒業式ぶりであった。マネージャーの集まっている席まで向かうと、川上がこちらに手を振ってるのが見えた。

「久しぶり〜! あ、川上くん誕生日おめでとう!」

「あ、うん。ありがと、天城」

「これでうちの世代は全員成人かあ。大人になっちゃったねえ」

 もともと成人済みの面々は個々に集まったりしていたらしいが、世代全員呼ぶのは初めてだ。何故なら川上の誕生日が三月末なので、アルコール解禁とならなかったためだ。『俺はノンアル楽しむから』と言う川上を誰も許さず、こうして合法的に飲酒ができるようになるまで待ちに待って、こうして御幸世代成人会(命名:麻生)と相成ったわけだ。

 夏川、梅本、藤原の席まで移動すると、幹事の倉持が近付いてきた。

「よう、久しぶりだな」

「おっす倉持くん久しぶり! お変わりなく」

「お互いな。で、彼氏は? 一緒じゃねえのかよ」

 で、プロ野球選手の恋人はといえば現在オープン戦真っ只中である。今日はデーゲームなので、夜には来られるはずである。酒が入るなら明日は休みがいいと中々の無理難題をどうにか調整を付けたと聞いているので、現在移動中のはずだ。そういえば試合が長引いていたし、遅くなるとメールが来ていたような。

「試合長引いてたし遅れるかもって、連絡来てない?」

「来てねえな。チッ、そういうのは幹事に言えっての……」

 同意見である。助かった、そう残して倉持は席を離れる。その間久々に会う藤原と会話に盛り上がっていると、ドリンクの注文票がさっと回されてきた。昨今の飲み会は、とりあえずビールはご法度である。それぞれ好きにアルコールを注文すれば、すぐさま大量のジョッキが運ばれてきて。

「御幸は遅れるらしい! 先、乾杯すっぞ!」

 倉持の良く通る声に、タメ口だぞー、と野次りながら先輩たちもまたジョッキを掲げる。それから乾杯の掛け声で、全員がジョッキをぶつけ合った。

「なんかこのメンバーでお酒飲んでるの、変な気分になるね」

「あー、分かる。この空間にいると、まだ高校にいる気がしてくる」

「卒業してもう三年になるのにねえ……」

「私なんか四年も経つのよ……もう就活なんて、考えたくないわ……」

 項垂れながらジョッキを置く藤原に、憐みの視線を送る元マネージャー三人。凪沙たちもあと一年で就活、その後に社会人である。考えたくないと、凪沙は一気にジョッキを呷る。

「でも凪沙はいいわよね、御幸くんと結婚すれば将来安泰だもの」

「いやいや、何が起こるか分からないですし、ちゃんと就活しますよー」

「そりゃそうだけどさ。御幸くんはその辺何も言わないんだ?」

「何も、とは?」

「家に入ってほしい、的な」

「あー、野球選手と結婚するアナウンサーって、大体引退するよね」

「それは言われないかな。就職したいって言ったらいいよって」

「まあ、あの子は奥さんの世話が必要、ってタイプじゃないものね」

 確かに、それは大きいかもしれない。父子家庭の御幸は、大体一人で何でもこなせる。それ故か、結婚後に仕事を辞めて欲しいとは思っていないようだ。理解ある恋人で本当に助かる。

 それから元マネージャー四人で話に花が咲く。恋人の話、大学の単位の話、部活やサークルの話、バイトの話。そこにアルコールと焼き鳥やつまみとくれば、話の種は尽きることはない。ジョッキが何倍も進み、酒に弱い藤原が眠たげに目を擦り始めた時、華やかな女子の輪に果敢に切り込んでくる部員が一人。

「盛り上がってるね」

「小湊先輩!」

「はい横失礼」

 うつらうつらする藤原の横に遠慮なく座るこの人も、変わらないなと凪沙は思う。ただ、何故かその手には一升瓶が握られているのが気になって。

「先輩、いくら先輩でもアルハラはいかがなものかと」

「お前俺のことなんだと思ってるの? 自分用だよ、自分用」

「ならいいですけども。あ、すみません店員さん、お冷四つお願いしますー!」

 夏川と梅本は酒に強いようで、さっきから肩組んで大騒ぎしている。そろそろ酔いを醒まさないと帰れなくなりそうだと、凪沙はお冷を注文してから小湊に向き合う。

「どうしたんですか?」

「ん、いや。久々に可愛い後輩たちの顔でも見てやろうかな、と」

「そんなこと言って、御幸くんの話のネタでも探りに来たんでしょー?」

「へーえ。お望みならそうするけど?」

「あ、すみません何も言ってないですオミズアリガトウゴザイマース」

 店員が運んできた四つのコップには、冷えた水がたっぷりと注がれている。小湊の凄みから逃げるように、それらを藤原たちに配り回る凪沙。そんな、女の花園に我が物顔で居座る小湊の背中に勇気づけられたのだろうか、こちらのテーブルに何人かの選手がやってきた。

「天城ひっさしぶりだな!」

「お前まだ御幸と続いてんだって?」

「すげえなあ、あれから五年ぐらい経ってるのにな」

 懐かしい面々にそんなからかいの言葉をかけられる凪沙。なんだかあの頃に戻ったような気がして、胸がぽっと暖かくなる。藤原に無理矢理水を飲ませて叩き起こしながら、凪沙もまた懐かしい選手との話に花を咲かせるのだったが──。



***



 からんからん、と店のベルが鳴る。結局、御幸が店にやってきたのは約束の時間から一時間経過してからだった。仕方がない、試合が伸びた上に道が混んでいて、掴まえたタクシーは驚くほど進んでくれなかったのだから。そんな言い訳をしながら指定の店に入ると、中は夏かと思うほどに暑く、大いに盛り上がっている。店内はこれでもかというほど酒気が満ちており、ワイワイガヤガヤ大騒ぎである。だが、そんな酔っ払いたちも流石に来訪者に気付いたようで、みんなワッと御幸に集う。

「御幸オメー久々だなあ、オイ!」

「見てたぞ試合! 二打席連続本塁打とかヤバすぎだろ!」

「んだよ、手土産のつもりか? ちくしょー、かっこつけやがって」

「うるせーな、打たなきゃ打たないで文句言うんだろ?」

 御幸もまたプロに入ってからほとんど元チームメイトたちに顔を合わせていなかった。それでも、三年の隔てを感じさせないやり取りが続く。上着を預けながら狭い店内をぐるりと見回すと、店の一角がひと際大盛り上っており、目が留まった。何故ならそこに、恋人の姿が見えたからだ。

 ──ただその近くには女子マネだけでなく、小湊や伊佐敷といった上級生の姿が見える。ああ、どうしてか。笑い転げる彼らの後姿を見て、胸騒ぎがするのだ。

「──あ! みゆきくん、だ!」

 くるりと振り返る可愛い恋人。微笑ましい限りなのだが、その顔は見たことないほど真っ赤っかだ。トマトか林檎のようである。立ち上がってこちらに歩いてくる姿も可愛いのだが、ふらっふらである。頭から突っ込んできそうなその足取りに、慌てて抱き留める。ヒューヒューと周りから口笛を吹かれるも、全く気にならない。真っ赤な顔でへらへら笑う凪沙に、御幸の表情筋は引き攣るばかり。

「お前、大丈夫かよ」

「へーき! げんき!」

 不思議と、酔っ払いはみな同じことを言う。だが、全然呂律が回っていない。おかしい、彼女はさほど酒に弱くはなかったはずだ。少なくとも同じ量、同じペースで飲んだ時は御幸の方が先にノックアウトしたほどだ。

「こいつに何飲ませたんスか、亮さん……」

「お前ら揃いも揃って失礼すぎだろ」

「天城、亮介の焼酎を水と間違えて飲んじまったんだよ」

 先輩二人の弁明になるほどと頷いた。確かに、テーブルには透明な液体の入ったコップがいくつも並んでいる。素面ならともかく、酔っぱらった頭では判別つかないのかもしれない。水だと思ってコップを一気に呷る恋人の姿が容易に想像できるだけに、誰も責められない。

「とりあえず水飲んで座っとけ」

「やだ!」

 幼子のようにけらけら笑いながら、舌っ足らずの声がそんなことを言う。ぎゅうっと胸元に抱き着いてくる凪沙に、口笛の嵐は止まらない。

「いいぞー、バカップルどもー!」

「そいつ今日のヒーローだぞ、お祝いしてやれー!」

「そうだそうだ! キース! キース!」

 こうなると誰も止められない。店内はもうキスのコールで統一されていた。困ったことに凪沙はそのコールを受けてにっこり微笑むと、背中に回してた両の手で御幸の頬をガッと掴むなり、唇を重ねてきた。瞬間、爆発でも起こったかのような大騒ぎ。もっとやれ、御幸やられっぱなしかよ、他所行けバカップル、などなど。何とも言えないむずむずとした表情を浮かべる御幸に、凪沙はしてやったりとげらげら笑うばかり。明日酒が抜けた時、彼女にこの記憶が残っていないことを切に願う。

「んで、お前何飲むんだよ、御幸」

 そしてそんな大騒ぎにひとしきり笑い転げた幹事が、目に涙を浮かべながら訊ねてくる。正直、身体に気を遣ってアルコールはほとんど飲まない御幸だが、この酔っ払いムードの中に一人素面ではいたくない。一瞬考え、半ばキレ気味に「ビール!」と叫ぶ。倉持が店員に追加のアルコールを頼んでいるのを見て、相変わらず顔を真っ赤にした凪沙が言う。

「のむの?」

「飲ましてもくんねえのかよ……」

 頼むから今日ぐらいは飲ませてくれ。そんな思いで凪沙を見ると、凪沙は真面目腐った顔でこう言った。

「だってみゆきくん、のむと“きすま”になるじゃん!」

「バッ──!!」

 とんでもないことをとんでもない声量で言ってげらげら笑う酔っ払い。素早くその口を手で塞ぐも、時すでに遅し。またその場がどっと沸き立った。

「ギャハハハッ、御幸お前まじ!?」

「おま、そんなキャラかよ……ブフッ!!」

「ダハハハッ、天城っ、サイコーだな! もっと言え言え!」

 箸が転がっても笑う生き物たちは、ジョッキを手に息も絶え絶えに笑い転げている。だが、そんな周りを他所に御幸の思考は極めて冷静だった。おかしい、明らかに凪沙の様子がおかしい。彼女はこんなことを大声で、しかも人前で言うタイプではない。十中八九酒のせいなのだろうが、にしたってなんなのか。笑い上戸、ともまた違うような気もする。

 これ以上悪さしないよう凪沙を連れたまま御幸は手近なテーブルに付く。凪沙は何が楽しいのかけらけら笑ったまま御幸にもたれかかる。そんな凪沙に、横のテーブルから助け舟が寄越される。白州だ。

「天城、何か変だぞ」

「見りゃ分かるって、そんなの……」

「喋り上戸、とでも言えばいいのか……何聞いても馬鹿正直に答えるんだ」

「なんだよ、それ……」

 それはまた厄介な酔っ払いである。凪沙曰く、御幸自身も泥酔した時は散々な目に遭ったというが、御幸にその記憶はなく。どっちが厄介か録音しておいてやろうか、なんて考えが過るほど。

「試してみる?」

 そこで、ひょいと顔を覗かせてくるのは、今日イチ顔を見たくない先輩。小湊はにやりと笑みながらジョッキを片手にやってきて、当たり前のように御幸の正面に座る。そして。

「天城、御幸のどこが好き?」

「えがお!」

 輝かんばかりの笑顔に、なるほど『コレ』か、と御幸はすぐに状況を把握した。変なこと言われなくてよかったと思う半面、あの頃と変わらないその答えに急に気恥ずかしさが込み上げる。人前でのキスを見られた時以上だ。まだ飲んでもないのに顔を赤くする御幸に、小湊はつまらなさそうに鼻を鳴らす。

「じゃ、御幸の嫌いなとこは?」

「ちょ、亮さんそういうのは──」

「きらい……」

 先ほどの即答とはうって変わって、きょとんとした表情で御幸を見上げてくる。悩んでいるのか、ビー玉のような瞳が御幸の顔をじいっと見つめる。まずい、流石にそれは聞きたくない。凪沙の口におしぼりを突っ込んでやろうかとテーブルの真っ白なおしぼりに手を伸ばしたその時、彼女はふにゃりと笑った。

「ない」

「……は?」

「きらい、ない、です」

 ぽつぽつと、たどたどしい言葉を紡ぎながら、凪沙は柔らかく微笑んでいる。ぎゅ、っと胸が締め上げられたような気分になる。そりゃあ世間では優良物件だのイケメン捕手だのと騒がれている御幸だが、実際はそんないいものじゃないと自負している。恋人と会えるのは月に一度あるかないか、記念日だってメールを送るのがやっと、マスコミが煩わしくて外出してデートなんて行けやしない。御幸がこの道を進むと決めてから、どれほど彼女に我慢を強いているか分かったもんじゃない。だというのに、彼女はこんなにも穏やかに笑うのだ。嫌いなところは、ないのだと。

 まさかそんな答えが出るとは思わなかったのか、小湊も意外そうな顔でふにゃふにゃと言葉にならない言葉を発している凪沙を一瞥する。

「……ふーん、つまんないの」

「もう俺らで遊ばないでくださいよ……」

「あのさあ、もっとなんかないの? 御幸に言いたいこととか」

 御幸の抵抗はガン無視だった。まるでそこにいないものとして凪沙に詰め寄る小湊。諦めを知らない人である。だが、これには凪沙がピクリと反応した。今にも寝落ちそうな顔ではあるが、それでも思うところがあるらしく口を開いたのと、御幸がテーブルのおしぼりを掴んだのは同時だった。

「ひとばんで、ごむひとはこ、は、しぬ──もごっ」

 嫌な予感が的中した。今日一番のとんでもない発言をすべて言い切る前に凪沙の口におしぼりをねじ込むも、時すでに遅かった。

「御幸、お前さあ……」

「バケモンかよあいつ……」

「金玉おかしくなりそう」

「てかゴムって一箱いくつ入ってんの?」

「うるせー童貞に聞くな」

 古今東西、リアルすぎる下ネタはドン引きされると相場が決まっている。数秒前までの騒ぎは嘘のように静まり返り、畏怖と敬意に満ちた視線が四方八方から向けられる羽目になり。一方爆弾発言をした張本人はと言えば、爆弾を落とすだけ落として一人夢の世界に旅立っているのだから本当にいい加減にしてほしい。御幸はその場で頭を抱えながら、運ばれてくるビールを一気に飲み干すのだった。

 なお、凪沙はきっちりと記憶に残るタイプだったので、目覚めた時に悶絶八倒する離れ業を披露したとかなんとか。

(同窓会でバカ騒ぎするお話/プロ3年目春)

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