御幸一也のお土産

 プロ野球選手となって初めて、ペナントレースが終了した。先輩の故障や不調も相俟ってシーズン後半から一軍帯同が許され、数こそ少ないがスタメンでマスクを被る機会もあった。キレるリードと得点圏での勝負強さをアピールし、CSこそ逃したものの、いいスタートダッシュを切れた一年になれたと御幸は思う。とはいえ、正捕手の座はまだ遠い。十も離れたベテラン勢に食らいつこうと、御幸や秋季キャンプへと赴くのだった、が。

 今、御幸の目の前にあるものはといえば。右を見ても左を見ても、菓子の山・山・山。御幸にとっては何ら魅力を感じないそれらも、恋人が見たらきっと宝の山なのだろう。故にこそ、この宝の山から恋人がとびきり喜ぶ物を探さなければならないのだが、中々どうして上手くはいかない。所謂お土産コーナーに立ち寄った御幸は、ありとあらゆるパッケージを眺めながら頭を抱えた。

 野球選手は試合やキャンプの為に各地へ赴く。時に新幹線で、時に飛行機で。その際、ホームに戻るまでほんの少し時間がある。恋人の天城凪沙は人並に甘いものを好む。普段あまり遠出できない彼女へせめてもの旅行気分を味わってもらえればと、御幸は遠征の都度凪沙への手土産を購入していた。とはいえ、土産物も千差万別である。どれが彼女の好みに合うのか、そもそも美味いのか不味いのか、短い時間で見定めるのは難しい。おまけに、御幸はあまり甘い物が得意ではない。いちいち試食して確かめるわけにもいかず。

「お前、こっちのどら焼きとあのチーズケーキ、どっちが好き?」

「一也さあ、俺のこと太らせて食う気?」

 なので、バッテリーを組んでる投手や先輩たちのアドバイスを仰ぐことにした。使えるものは何でも使うのが御幸のやり方である。不満たらたらの相棒もまた身体作りには熱心で、あまり菓子類を口にしないのだが、不得手ではないらしく一口二口なら味見をしてくれる。

「俺甘いもん好きじゃねーからさ。頼むぜ、ヘンゼル」

「誰がヘンゼルだ。ったく、こういうのはお前が選んでやるべきなんじゃねーの?」

「どーせなら美味いもん買っていきてえし?」

「べっつに気にしねえだろ、あのワンコなら。……ったく、俺の方がワンコの好みを覚えてきそうだぜ」

 そう言いつつ、なんだかんだ凪沙との仲を応援してくれるこの相棒は渋い表情のまま二つの土産を咀嚼した後、「どら焼き」と答えた。御幸は頷き、数個ほど入ったどら焼きの箱を手にレジカウンターへ向かう。

「一也! もう新幹線出るぞ!」

「分かってる!」

 相棒の声を耳に、御幸は慌てて弁当とお土産を手に走り出したのだった。

 新幹線に揺られながら、ホームへと戻る。周りは眠っていたり、ゲームをしていたり、読書をしていたりと、それぞれ各々時間を潰している。土産を膝に抱える御幸は、凪沙に連絡をする。来週からは貴重なオフだ。土産を楽しみにしていて欲しいと連絡すれば、即座にレスポンスが来る。

『楽しみです! 御幸くんのお土産にハズレなしなので、嬉しい!』

 その文面から、華やかに微笑む彼女の姿が容易に想像できる。込み上げる笑みを抑えられない御幸に、両隣に座るチームメイトが携帯を覗き込んでくる。

「なーにニヤついてんだよ、御幸」

「一也のことだしどーせあれっすよ、ワンコでしょワンコ」

「お前あれだなあ、ほんと一途っつーかなんつーか」

「いーでしょ別に、俺が何してたって!」

 こうなると前後に座ってる先輩たちもなんだなんだと顔を覗かせてくる。高校ではようやくからかいの声が減ったのに、まさかプロに行ってからこの手のからかいが増えるとは思わなかった。誰も彼もが私生活は『無』に等しい御幸一也が、唯一執着する恋人の存在が気になって仕方がないのだろう。ほっとけと言えない縦社会が、御幸の抵抗を阻んでいく。

「一也が土産買ってくってことは、そろそろまたデートだな」

「付き合ってもう何年にもなるんだろ? お熱いねえ」

「これで遠征先でも大人しいんだもんなあ、マジでラブラブなんだな」

「流石にラブラブは死語じゃねっすか」

「うるせーぞクソノーコン!」

「俺にもこんな青い頃があったんだなあ……」

 言い放題である。特に年上の選手たちにとって、中々会えない時間を縫うように逢瀬を重ねる一途な恋人たちがそれはもう眩しく見えるらしい。事あるごとにこうしてもみくちゃにされる。

「けどよお、御幸もお前マメだよなあ」

「な、なんですか、急に」

「俺、いちいち嫁や子どもに土産とか買って帰らねえからさ」

「俺も俺もー。ご機嫌取りとかめんどいもん」

「買うとしてもマネージャーに任せちまうしな」

 既婚者たちは「だよなあ」なんて言い合って笑い合っている。彼らからすると、御幸のこの態度は会えない恋人への『ご機嫌取り』に見えるらしい。御幸からするとその反応の方が信じられないのだが。

「なんでそんなマメなのお前。天下の野球選手だろ」

「ワンコちゃん一般人なんだろ? 御幸みたいな優良物件手放さねえだろ、普通」

「御幸おめー自分のツラ鏡で見たことねえのか」

 きょとんとする御幸に、先輩たちが立て続けに言葉を投げつける。なるほど、世間一般的には『そう』見えるのか、と御幸は驚いた。世間をときめかせる容姿端麗なプロ野球選手、自分が『優良物件』である自覚はある。その物件目当てであらゆる声が御幸にかかるのだから、無自覚で色という方が無理な話。対して恋人の天城凪沙はといえば“普通”とは言い難い部分ばかりだが、一応は一般人である。誰もが羨む容姿端麗な恋人ではないし、誰もが焦がれるような芸能人というわけでもない。客観的に見えれば、先輩たちの言うように『御幸一也ほどの優良物件を一般人が手放すわけがない』と、考えるのだろう。だけど。

「別に──ただあいつ、喜んでくれるんで」

 そうだ、ただ喜んでくれるから。たかだか数千円もしないそのお菓子の箱を見て、彼女は笑ってくれるのだ。今の時代、ネットで容易く手に入るそれを見て、彼女はいつだって顔を輝かせてくれるから。美味しそう、これ初めて見た、幸せ、そんなことを言っていつも凪沙は笑うのだ。その顔が見たくて、自分ではろくに食べもしないお土産をいつも見繕うのだ。

 御幸の話を聞いていたチームメイトたちは、ぽかんと御幸を見つめている。まさかそんなシンプルな理由だったのかと、言わんばかり。どいつもこいつも他人を蔑ろにしすぎだろ、と思いながら御幸は肩を竦める。

「大体、こんなんで気持ちが繋ぎ止められるなら苦労しないですよ。あっちは無限に出会いがある大学生。いつ捨てられるか、毎日気が気じゃないんで」

「……お、お前が?」

「俺のことなんだと思ってるんですか」

 そりゃあ、御幸だって凪沙の気持ちを疑ってるわけじゃない。気持ちが離れていくとは思っていないが、『気持ちは移ろう』と怯える彼女の気持ちが移ろわないとは言い切れない。それこそ、ちっとも傍にいない『業界人』よりも、釣り合いの取れる『一般人』に心奪われない保証がどこにある。全く、こんなものでご機嫌取りになるなら苦労はしないというのに。

「先輩方もそんなんじゃ、いつか家帰ったらもぬけの殻ですよ」

「こ、怖いこと言うなって……」

 ぶるりと震える先輩たち。現地で女遊びの絶えないベテラン勢でさえ、『離婚』の二文字は恐ろしいらしい。移ろった側の男たちほど、野球以外何にもできない者が多い。掃除洗濯だけじゃなく、税金計算やら資材管理、酷いと一人で新幹線のチケットを買えない者すらいる。

 他人がどのような家庭を築こうと御幸には関係がない。遊びたい奴は遊べばいいと思うし──御幸を巻き込まなければ、の話だが──、浮気だ不倫だなんてスキャンダルも、試合に支障が出なければ構わないとさえ思っている。けれど、野球選手=遊び人という図式に御幸が当てはめられるのは我慢ならない。こっちは彼女の気持ちを繋ぎ止めんと、いつも必死なのに。

 だから少しぐらい、御幸の不安を味わえばいい。

「……ま、まあ、あれだ。たまには家族サービスしろよ、お前ら」

 話を聞いていたらしい、年配のコーチがそう締めくくった。そう告げる彼もまた、現役時代は何度となく週刊誌に女遊びをすっぱ抜かれた既婚者である。全く、どいつもこいつもと御幸は新幹線の座席に身を委ねた。



***



「美味しい! 神! 生きててよかった!!」

 そうやって、御幸はいつものように数少ないオフの日に恋人の家に向かう。いつものように、相棒の協力を得て選んだお土産を手に。嬉しそうに箱を開けて『どら焼き!』と顔を輝かせる凪沙が愛おしい。甘味の好き嫌いはないらしく、彼女の淹れた緑茶──湯呑なんて食器はこの家にはないらしく、テーマパークのお土産だというマグカップに淹れられた──を手に、御幸もどら焼きをかじる。柔らかな生地と、仄かな甘みのあんこは御幸でも食べられる代物だった。

「御幸くんのお土産、いつも美味しいよねえ」

「そりゃよかった」

 幸せそうにどら焼きを頬張る凪沙。何ともお手軽な幸せである。本人曰く『幸せ上手』なのだが。

「でもさあ、別にいつもお土産持ってこなくても大丈夫だよ? タダじゃないんだしさ」

「そんな高いもんでもねえし、気にすんなって」

「そりゃまそうだけども……」

 億プレイヤーの御幸相手には杞憂な話である。しかし、だからといって甘えることのない恋人は、でもなあ、と頬を膨らませる。

「なに、もう甘いもんは飽きたとか?」

「まさか! 無限に食べたいぐらいだよ! でも──」

「太る、とか?」

「残念! 今のバイトしてるうちは、カロリーはあって困らない!」

 凪沙のバイトは野球選手ばりの体力を要する。高校時代と何ら変わらぬ体型を維持する彼女は、特にダイエットは必要ないらしい。他に何の問題があるんだよ、と訊ねる御幸に凪沙溜息を吐きながらどら焼きの包装紙を片付ける。

「ううん、いつもお土産貰って悪いなあ、って」

「なんだよ、そんなことか」

「だって、私なーんにもお返しできないのに……」

 困ったように眉を顰めながら、凪沙がそんなことを言う。お返し──お返しなんて、そんなもの求めていないのに。強いて言えば、その笑顔がお返しになるのだろうが、流石に本人を前に正直に言えず。

「……もう十分、もらってるって」

「んー?」

 凪沙の唇をそっと撫ぜると、見慣れた瞳が御幸を映す。彼女がここにいる。御幸の瞳の中にもまた、彼女の不思議そうな顔が映っていることだろう。そこに彼女がいるだけで、なんだっていい。御幸のポケットの中にある鍵で閉じられた扉の向こうに、いつだって彼女がいるならそれでいい。それもまた、口に出すことはできないままに、けれど思いを籠めた瞳に凪沙も何かを悟ったのだろうか。顔を赤らめてさっと目を逸らす。

 もにょもにょ何か呟く彼女の顔を見て、たまには自分の舌で土産を吟味してみるかと、御幸はふとそんなことを考えた。

(お土産を買って来てくれるお話/プロ1年目冬)

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