御幸一也にチャレンジ

「ねえみんな、ネイキッド・チャレンジって知ってる?」

「なにそれ」

「しらない」

「いいから手を動かして」

「凪沙冷たいっ!」

 ある日、大学の友人たちとレポートに勤しんでいる時だった。集中力を欠いた友人の一人がそんなことを言い出した。冷たいも何も明日提出のレポートが全然進んでないのに、悠長にお喋りしている時間はないはずだ。だが、友人は完全に休憩モードに入ってしまったので、仕方なく凪沙も手を止める。

 曰く、海外のSNSで一時話題になったチャレンジらしい。内容はシンプル、ゲームや仕事などの作業をしている恋人の前に全裸で登場する。それだけ。なんだそれ、と眉を顰める凪沙たちだが、動画を見てすぐに分かった。主に女性が男性に仕掛けるチャレンジが多いのだが、そのどれもが大胆な恋人の姿に歓喜して作業の手を止め、熱烈なキスからのベッドになだれ込む姿ばかり。

「やりたいの?」

「やりたい!! でも、一人だとちょっと……ホラ……」

「やるったってどうするの? 配信する気?」

「まさか! だけど、みんなと一緒なら……って思って」

 そう言って、友人は恥ずかしそうに俯く。そういえばこの友人は、最近恋人がゲームに夢中で構ってくれないのだと拗ねていた。故にこそ大胆な作戦に出たいのだろうが、一人だと勇気が出ない。そんなところか。

 ふうん、と凪沙はあまり興味なさげに相槌を打つ。正直、凪沙にとってはあまり縁のない話だった。中々会えない恋人ではあるが、その会えない日々を埋めるように充実した時間を作ってくれている。だからそんなチャレンジは必要ない──のだが。

「へえー、面白そう。マンネリ解消にいいかも」

「えー……無反応だったらヤじゃない?」

「そしたらもう別れちゃえばいいじゃん、そんな冷え切った関係」

「ううん……それもそうか。よし、やってみよ!」

「えええみんな乗り気なの!?」

 思いのほか、みんな乗り気であった。こうなると凪沙だけが一抜けた、とは中々ならない。結局丸め込まれ、凪沙もまたネイキッドチャレンジを行う羽目になった。

「ね、どうせならドエロい下着つけてチャレンジしない?」

「そしたらネイキッドにならないじゃん」

「でもこんなのハダカみたいなもんでしょ! 一緒一緒!」

「えええ……」

 そう言いながら友人が検索した『ドエロイ下着』を見る。確かに全てレース生地だったりシースルーだったり、隠したい局部などはほぼ丸出しときた。こんなの、裸よりも恥ずかしい格好にも見える。うわあ、と表情を引きつらせる凪沙を他所に、友人たちはこっちのがエロいだのこっちがは普通に可愛いだのと大盛り上がりだ。

「ね、ねえ、ほんとにこんなの買うの……?」

「ったりまえでしょ、凪沙! レポート片付けたらみんなで買いに行くわよ、このドエロいセクシーランジェリーってのを!」

 何故か誘われた友人の方が乗り気だった。なんでこんなにノリノリなんだと、凪沙は一人険しい表情を浮かべる羽目になる。そんな凪沙に、友人たちは不思議そうに訊ねる。

「どしたの、凪沙。嫌なの?」

「嫌、ってわけじゃないけど……」

「けど?」

「もしかしてカレシ、こういうの嫌がる人?」

「嫌、がる、とかも……ない、と思う」

 寧ろ、その逆の可能性が高い。御幸の底無しの体力は凪沙が誰よりも理解している。時には一晩ぶっ続けで行為が行われ、朝日を拝んだことすらある。付き合い始めて数年経つが、その愛情、或いは『欲』に陰りが見えたことはない。寧ろ、会えなくなった分ヒートアップしていると言っても過言ではない。そんな御幸相手に、こんな姿で現れたら──。

「……バイト、休まないとまずいかなあ」

「はーあ、あんたんとこは仲良さそうでいいわねえ」

「い、いや、分かんないけど……こういうの好きか、知らない、し」

 御幸の性的嗜好は未だによく分かっていない。本人曰く『好みとかはない』とのことだが、少なくともAVの好みはある様子だった。だが、凪沙相手にそういった嗜好を見せたことはない。縛るだとか、目隠しだとか、コスプレだとか、おもちゃを使うだとか──野外は流石に無理としても──できることは山ほどあるが、今まで一度もそんなプレイをしたことがない。本当に好みがないのか、或いはそんな余裕もないのか……。

 そう考えると、御幸の好みを聞き出すいい機会かもしれない。というのも、そういう雰囲気になると凪沙だって余裕がなくなる。事後、ピロートークなんて甘やかな時間を過ごした記憶がほとんどない。御幸が満足する頃にはいつも凪沙は気絶するように眠りに落ちてしまうからだ。

「……うん、好みを聞き出すいい機会かも」

「その意気その意気! よーしそうと決まれば話は早いわ! みんな! とっととこのレポート出して戦支度よ!!」

「「「おー!!」」」

 そうして恋人たちとの熱い夜を過ごすべく、女たちはひとまず今日の敵であるレポートに取り掛かるのだった。



***



「……なんかあった?」

「え、いや、なんでも……ないよ」

 そんな友人たちとの約束からしばらく。友人たちは次々にネイキッドチャレンジを成功させていく中、ついに凪沙にもその番が巡ってきた。なんだかんだ熱い夜を勝ち取ったという友人たちを他所に、唯一遠距離恋愛──ということにしている──の凪沙は中々その機会が訪れず、目にするのも恥ずかしい『ドエロい下着』はクローゼットの奥に仕舞ったまま、季節は冬になっていた。だが、オフシーズンになると御幸もたびたびこの家に訪れるようになるので、もう凪沙に逃げ道はない。せっかく稼いだ金で買ったそれを、箪笥の肥やしにしてしまうには惜しい。明日はバイトも休みだ。仕掛けるなら今日だ。凪沙はそう覚悟して御幸を招き入れたのだった、が。

 いざ自分から誘おうと意識すると、途端に恥ずかしくなってきたのだ。思えば凪沙は自分からモーションをかけたことがない。何故ならそんなことをしなくとも、御幸はいつだって凪沙の手を引いてベッドに誘うからだ。いつもどうやって誘われていたのか、というかいつ着替えればいいのか、肝心な段取りが何一つ準備できていない。そんな焦りが顔に出ているのか、御幸に不審がられてしまい。

「……具合わりいの?」

「ち、ちがくて、その……ちょっとレポート、煮詰まってて」

 馬鹿正直に言ってはチャレンジにならないので、雑な誤魔化しをしてしまう。だが、幸運にも御幸は納得してくれたのか、そっか、と頬を撫でる。

「俺、待ってるけど」

「……いいの?」

「学業第一、だろ?」

 ぐさり、と背中にナイフが刺さる。雑な嘘だけに、胸が痛い。だが、チャンスだった。凪沙が勉強やレポートなどをしている間、御幸は決まって野球の中継を見る。こっそり席を外して着替えられそうだ。よし、と凪沙は早速レポートの準備に取り掛かり、御幸は御幸でテレビをつけて凪沙が撮り溜めている野球中継を見始めた。

 十分ほどしてから、『ちょっとお手洗い』と席を立つ。クローゼットから例の物を隠し持っていくことも忘れずに。御幸は試合に集中しているためこちらには見向きもしない。チャンス、と凪沙はこっそり脱衣所に向かって例の物を着用し始める。友人たちと購入して以来試着もしていない。タグもそのままだ。タグを処分しながら衣服を脱ぎ、ランジェリーに袖──はないのだが──を通す。

「うひゃあ……」

 鏡に映る自分が苦々しげに見つめ返してくる。凪沙が購入したのはホルターネック型の黒シースルーのベビードールだ。ぎりぎり乳房までは生地はあるものの、肝心の生地がシースルーなので丸出しも同然だ。ショーツはフロントオープンタイプの、所謂紐パン。大事なところも尻も全く隠れていない。首元で留めたリボンを解けば、全部が全部曝け出されてしまう。とんでもない代物だ。だが、ここまで来て後には引けない。御幸の好みを調査するいい機会なのだ。いざ、と凪沙は意を決して部屋に戻る。

 御幸はまだ、TVに視線を注いでいる。あれも仕事のうちである。とはいえ、振り返り自体は試合後に行っているはずだ。凪沙を待つためにつけたTVだ、邪魔にはならないはず。ばくばくと高鳴る心臓を押さえながら、えいやと凪沙は御幸とTVの間に割り込んだ。

「じゃ、じゃーん!」

「──」

 ぽろり、と御幸の手にしていたペンが床に転げ落ちた。まるで雷に打たれたような顔でこちらを見つめる御幸に、ただただ羞恥心が煽られる。だが、ぐっと堪え、ほぼ裸同然の格好で両腕を広げる。

「ど、どう?」

「……」

「み、御幸くーん?」

「……」

「せ、せめて何か反応ほしいなー……」

「……」

 御幸は何も言わない。雷に打たれたまま時が止まってしまったかのように、ぴくりとも動かない。沈黙が続けば続くほど凪沙の羞恥心も強度を失っていく。失敗だった、慣れないことすべきじゃなかった、友人たちは成功したと言っていたのに、何がネイキッドチャレンジか。そんなことを思い始めた時だった。ようやく御幸が瞬きをした。そして。

「だ──誰の差し金?」

「言うに事欠いてそれぇ!?」

 もっと他に言うことはないのかと凪沙は涙した。なお、お互い様であることは言うまでもないのだが、今の凪沙にその当時の記憶はなかった。

 結局、この格好のまま凪沙は今に至るまでの経緯を洗いざらい説明する羽目になった。ネイキッドチャレンジのこと、友人たちに巻き込まれたこと、この下着を購入したこと、全てだ。黙ってそれを聞く御幸は少なくとも怒ってはいない様子だが、友人たちが上げた『成果』とも違う反応だ。なんでこんなことにと思いながら話し終えた時、御幸はようやく長々とため息を吐いた。

「……だめ、でしたか」

 しゅんと、思わず項垂れてしまう。あまりに無反応すぎて、似合っていないのではと落ち込む。そりゃあ、そういうキャラではないし、こんなセクシーすぎる下着が似合うほどスタイルがいいわけでもない。そう考えれば考えるほど、気落ちする。そんな凪沙を見て、御幸は慌てたように凪沙の手を引く。

「だめじゃねえよ。すげー興奮してる」

「どこが……」

 真顔でそんなことを言われても、流石に信じがたい。ますます落ち込む凪沙に御幸はむっとしたように顔を顰めると、凪沙を思いっきり引っ張った。がくんと身体が揺れ、バランスを崩した凪沙は御幸の膝の上に倒れ込んだ。対面座位のように膝の上に圧し掛かる凪沙に、御幸はしっかりと抱きとめる。その際、臀部に感じる『熱量』は、確かに平常時のものではなく。

「……え、えと」

「冷静でいられるわけねーだろ」

「だって、御幸くん、なんか冷めてたし……」

「そりゃこんなカッコで出てきたら混乱もするって」

「あれ混乱してたんだ……」

 思考回路がショート寸前という奴か。確かに嘘は言ってなさそうだ。触れてもいないのに硬くなったそこが、計らずとも証明している。それは素直に喜ばしい。ほっとする凪沙を見下ろしながら、御幸の硬い手のひらが肩から背中まで滑り、ぞわりと震える。そんな凪沙に御幸はにやりと笑う。

「チャレンジは、成功ってことで」

「う、うん……」

「すっげえエロい。やばい。最高」

「ン──あり、がと」

 シースルー生地越しに触れられて、ぶわりと肌が泡立つ。滑らかな感触を楽しむように触れる御幸は徐々に息が荒く、熱くなっていく。

「こーいうの、すき?」

「正直、あんま考えたことなかった、けど」

「けど?」

「お前がこういうの着てるってだけでヤバい」

「……質問の答えになってなくない?」

「凪沙ならなんだってコーフンするんだよ」

「どうせなら、御幸くんの好きなカッコしたい……」

「前にも言ったろ、好みとかねえって」

「御幸くんのうそつき」

「正確には、好みは天城凪沙ってコト」

 真顔でそんなことを言われてしまえば、何も言えなくなる。なまじ御幸の言うことも嘘じゃなさそう、と思う程度には凪沙も溺愛されている自覚はある。チャレンジの目論見は半分成功、半分失敗、といったところか。仕方がない。こうなったら今後もこうしてモーションをかけて、御幸も自覚しない『性癖』を探す他ない。そんなことを考えていると、御幸の手が胸元まで伸びる。

「で、据え膳はこのまま食っていいワケ?」

「この状況でそれ聞くぅ……?」

「いや、なんか言いたげな顔してるから」

 そう言いながら、ニヤニヤと人の胸を揉みしだく恋人。そういうところはよく見てるんだよなあ、と思いながら凪沙は御幸の首裏に腕を伸ばし、ぎゅっと抱き着いた。じんわりと温もりが広がり、肩口に御幸の吐息を感じながら、凪沙は先ほどからどうしても言いたかった一言を絞り出した。


「さ、さむい……」


 ──時はオフシーズン、十二月。いくら暖房をつけていようが、ほぼ裸同然の下着に防寒効果があろうはずもない。がちがちと歯を鳴らす凪沙に、御幸は笑いを堪えながらあたたかなベッドに誘うのだった。羽毛布団に包まれながら、ネイキッドチャレンジは真冬にやるものじゃない、凪沙はそんな学びを得たのだった。

(御幸にネイキッドチャレンジするお話/プロ2年目冬)

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