キラークイーン

 自慢に聞こえるかもしれないが、御幸一也にとって異性からの告白は日常茶飯事である。

 思ってくれること自体は嬉しくないわけではないが、とはいえ回数が多いとどうしたって煩わしさの方が勝ってしまう。だから常にそういった声には同情の余地なく、一切の希望を持たせないようにすっぱりと断るようにしている。どんな美人が相手だろうが、御幸にとっては有象無象の一つに過ぎない。どうせ今の自分には、野球しか見えていないのだから。だけど。

 今日この日ほど、告白されて困惑したことは無い。

「御幸先輩が好きです! 付き合ってください!」

 そう言って頭を下げてくる少女に、勘弁してくれと御幸は逃げ出したくなった。

 彼女は一学年下の後輩。今年になってマネージャーとして入部してきた子だ。同じく入部してきた吉川とは違い、とにかく仕事ができると梅本たちが太鼓判を押していたので御幸もよく覚えている。一度教えたことは絶対忘れないし、入部早々スコアも付けられるだけの知識もある。おまけに、かなりの美人だ。愛嬌のある吉川と対を成すように、どこか凛とした大和撫子のような面差しには、多くの男たちが『どっち派』かで下世話な話で盛り上がった。そんな相手が告白してきたのだ、決して嬉しくないわけではないが、やはり御幸の想いは変わらない。自分の一番は野球なのだから。だからいつものようにキッパリすっぱりと、いっそ相手の心を折るぐらいの言葉でお断りをするはずだったのだ。

「御幸先輩のファンになって、私、特待生になるぐらい勉強したんです! 絶対お邪魔にはなりませんから、嫌ならすぐ捨ててくださって結構です!! だから一度でいいんです、チャンスだけは貰えませんか!!」

 何も言わない御幸に、彼女は必死に頭を下げる。その熱意は見事なものだ。ちょっと重い気はしないでもないが、これだけの美人に此処まで言い寄ってもらえるのは、純粋に嬉しいと思える程度には、御幸も人の子である。ただ、相手が悪すぎた。彼女でなければ、御幸は何の憂いもなく『今は野球に集中したい』と言えたのに。

「いや、あの──結城、さん」

 ──そう、全ては彼女の苗字が『結城』でなければ、の話である。

 今目の前で御幸に告白する少女は、あろうことか現キャプテンである結城哲也の二つ下の妹なのだ。確かに、どこかオーラすら感じる凛とした顔立ちは実によく似ており、名前を聞いたその誰もが似てる似てると口々に言うほどだ。しかも厄介なことに、彼女は兄どころか兄の友人たち──要は先輩部員たちから非常に可愛がられている。もはや結城哲也の妹、というよりは、野球部三年の妹分、と言っても過言ではないほどで、あの誰に対しても当たりが強い小湊でさえ、彼女には甘いのだ。

 さて、そんな彼女に絶賛言い寄られている御幸としては、非常に厄介な事態である。確かに美人だとは思うが、やはり付き合う気はサラサラない。だから断りたいのだが、相手は先輩たちの可愛い可愛い妹分。下手に冷たく突っぱねると後が怖い。兄の方も怖いし、兄を気取ってる連中も厄介だ。だから何とか遠回しに、穏便に、御幸にしては優しく説得しようとしているのだが……。

「俺、そんな──暇、なくて、さ」

「大丈夫です!! お忙しいことは兄を見て重々理解しています!!」

「それに、ほら──部の規律的にも、さ」

「ご安心を!! 楠木先輩を筆頭とする一軍選手たちも恋人がいることを確認しておりますので!!」

「あの──俺、高校ではそういうの、別に考えて、なくて」

「ご心配には及びません!! 私が、その気にさせますので!!」

 この熱意である。イエス以外の答えが許されないレベルの圧だ。言葉を失う御幸に、彼女は胸を張って兄によく似た涼やかな瞳を煌めかせる。

「絶対、振り向かせてみせます。だから、付き合ってください!」

 よく言えば前向き、悪く言えばしつこすぎる後輩に、御幸はその場で頭を抱えて蹲りたくなる。そうできないのは、この一世一代の告白を、盗み聞きしている兄『たち』の姿がチラチラと見えるからだ。適当なこと言って傷つけて、泣かせてしまった日には明日どんな目に遭うか分かったもんじゃない。悲しいかな、運動部という縦社会制度に大いに不満を持つ御幸だが、尊敬する先輩たちにはどうしても頭が上がらないのである。

「……すみません、困りますよね。こんなの」

 黙りこくる御幸に、ようやく彼女の方が一歩引いてくれた。そう、困る。非常に困っているのだ。だから潔く諦めてほしい。そんな思いが一ミリでも届いたのか、彼女はこんなことを言い出したのだ。

「それに、御幸先輩の立場を思えば──ほんと、困りますよね。兄や先輩たちには一部員として扱って欲しい、とは常々申し出てはいるのですが……」

 意外にも、御幸の事情はそれなりに汲んでくれているらしい。そこまで分かっているならせめて引退まで待っていて欲しかった。それならチャンスぐらいは──なんて、思えたかもしれないのに。そう思う程度には、彼女の評価はそれなりに高いのだ。だが、そんな御幸の感情の機微を目敏く見抜いたのだろうか。少女の眼光が御幸を貫いた。

「──でも、御幸先輩と付き合うためなら、手段は選びません」

 まるで挑むように。それこそ、好投手に相対する兄と同じように、少女は鋭い目で御幸を見つめる。愛だ恋だと呼ぶにはあまりにも強烈な視線に、無意識のうちに背筋がぴんと伸びる。だってそれは、そんな甘ったるい感情では構成されていない。

「あなたと付き合うためなら、結城哲也の妹という立場だって、利用しますよ」

「利用、て──」

「私を突き放すと、兄や先輩たちが怖いでしょう? だからあなたは、私を他の女の子と同じように、冷たく切って捨てることができない」

「そ、れは」

「ああ、なんという僥倖。これを使わない手はありません」

 にこり、と表現するにはあまりにも強かすぎる、その笑顔。ナイフのように光るその眼差しは、まるで御幸をターゲットに定めたアサシンのよう。闘気は静かに、けれど触れるもの全てを融かし、飲み込んでしまいそう。そのオーラに気圧されて後ずさりする御幸を一歩と詰め寄ることなく、しかして確実に追い詰めていく。

「必ず、口説き落とします──どうか、お覚悟を」

 お命頂戴とばかりにそう残して、少女はスタスタと去っていく。残された御幸は呆然と、その背中を見送る他なく。そんな強かな妹分の告白に、兄『たち』は感心したように頷いている。

「アイツあんな肉食系だったのかよ」

「うむ。目的のために努力を怠らない、流石は俺の妹だ」

「努力は──まあ、してるだろうが……」

「見る目はさておき、面白くなりそうじゃん」

「御幸が折れるのが先か、あの子が諦めるのが先か──」

「俺は御幸の負けに賭けるね」

「俺も」

「俺も」

「俺もだ」

 賭けにならない賭けに、先輩たちは随分と楽しそうだ。他人事だと思って気楽なものである。御幸はいよいよその場にしゃがみ込んだ。

「皆さんいいんスか……俺があの子取ってっても……」

「は? 何言ってんの、お前」

 応援しているのかと思いきや、小湊は無慈悲にも冷たく突っぱねる。まさか、なんて顔を引き攣らせながら先輩たちを見やれば、それはもう恐ろしい形相の兄『たち』の笑みが待ち構えていて。


「残念だが──あいつに惚れるのは、俺たちを認めさせてからの話だぞ?」


 代表である実兄は、それはもう楽しそうに腕を組みながら御幸を見下ろす。前提条件が間違っている、と言い切れるほど彼女の貪欲な好意から逃げられる気もしないのが情けない話である。どうすりゃいいんだよ、とその場で項垂れる御幸がその人を『兄』と呼ぶようになる未来は──意外にもそう遠くはないのかも、しれない。



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