すきだらけ

 うわ、ラッキースケベ。そんな馬鹿馬鹿しいワードが脳裏をよぎって、笑いそうになった。

「御幸ぃー、背中見えてるよー」

「おっと」

 前方を歩いていた御幸は、風呂上がりだったのだろう。Tシャツの端がぺらりと捲れており、白い背中がチラ見えしていた。くるりとこちらを振り向く御幸を見ながらぼんやり思う。珍しい物を見てしまった、と。

 というのも、御幸は周りの馬鹿ども──主に倉持や沢村だ──と違って、そこら辺で着替えたり、暑い厚いと上半身裸になることがないからだ。モラル云々の話じゃなく、彼は単純に人前で肌を晒すのがあまり好きではないらしい。曰く、風呂も人の少ないうちに入るためか、彼の裸眼姿を見た者はいないとまで言われている。つくづく、普通の球児らしくない男である。

 まあでも、そういうとこに惹かれたんだと思う。

「よく見てんね、流石マネージャー」

 にっ、とからかいがちな笑みを前に、好きだなあー、って気持ちがじんわりと広がってく。いつ、どこを、具体的なことは覚えていない。ただ、気付いたら目で追うようになっていた。そんなありふれた、そんな小さな小さな片思い。

 そりゃ、好きな人だし、よく見ちゃうでしょうよ。

「マネージャーは関係ないと思うけど……」

「そ? じゃあ、何でわざわざ教えてくれたんだ?」

「御幸、肌見られんのあんまり好きじゃなさそうだったし」

 私の答えは想定外だったのか、御幸はきょとんと眼を丸くした。肌を見せるとか、素顔を見せるとか、そういう──他に言い方がないので、あえてこう称すが──御幸は人に隙を見せたくのだろう、というのが私のの見解だ。周りに気を許していない、わけではない。壁を作っている、とも少しニュアンスが違う。警戒心が強い、わけでもない。ただ、隙がない。そんな感じなのだ。

 私の言葉に、御幸は黙りこくってしまった。しまった、気付かれたくなかったのだろうか。内心動揺する私と御幸との間に、一瞬の沈黙が横たわる。けれどすぐに、へえ、と彼はどこか試すような目を向ける。

「なんでそんな風に思うわけ?」

「なんで、って……」

 理由なんか、いくらでも想像できる。好きな人相手なのだから、お手の物。ただそれを本人相手に告げるのは何となく憚られた。でも、御幸は私の答えを聞くまで逃がす気はないようで、じり、じり、とその巨体が迫ってくる。じわじわと後退る私の背中に、自販機がこつんとぶつかる。逃げられそうないと観念した私は、その考えを口にする。

 何故、チームメイトにすら隙を見せたくないのか。隙はいわば自分の弱味だ。それを晒すことで、自分のペースは容易に乱されてしまう。だから、隙を封じて、余裕を持つ。そうすることで、自分のペースを乱さないよう心掛けているのではないだろうか。御幸、割とマイペースなとこあるし。

 たどたどしくも語る私の話を、御幸は真剣に耳を傾けていた。一体何喋らされてるんだろう、と思いながら語り切ると、御幸は納得いったように頷いた。

「ふーん、なるほどね」

「あ、答えは教えてくれないんだ」

「そりゃあ、答え言ったら『隙』になりますし?」

 つくづく人が悪い。肯定も否定もくれないままに、御幸は飄々と笑む。この人は、多分、ずっとこうなのだろう。隙を突かれ、ペース乱されて、感情むき出しになる御幸は、この想像力を以てしても描くことはできない。見てみたいけどなあ、御幸のそういう姿。

 すると御幸は突如、その長い指でピッと私の額を弾いた。

「わりー顔してる」

 そう告げる御幸は、実に楽しそうだった。御幸ほどじゃないけどなあ、なんて零しながら弾かれた額をさする。じんとした痛みは蒸発するように消えていき、勿体ないなあ、なんて思う私は、中々に重症だろう。

「何考えてたんだよ」

「御幸の隙はどうやったら作れるかなって」

「よく見りゃ意外と隙だらけかもな?」

「まさかあ。甲子園優勝してもヘラヘラしてそうじゃん」

 流石の御幸でも、甲子園という大舞台に足を踏み入れたら感極まって泣いたりするだろうか。全く想像できないけど。どこにあるんだ、その『隙』とやら。じいっと高い位置にある御幸の顔を見上げるも、残念ながら見つかりそうにない。顔が険しくなる私を他所に、御幸はいつものようにヘラヘラ笑う。

「そうして見てれば、いつか見つかるかもな、『隙』」

「なんかここまできたら、絶対暴いちゃる、って気になってきた」

「その意気その意気」

 御幸はからから笑いながら、私に背を向けて食堂の方へ歩いていく。なんか知らないけど、とりあえず御幸を見つめてもいい権利ができたらしい。ラッキーと思うべきか、脈なしと嘆くべきか。腕を組んで首を傾げていると、ふと御幸のシャツがまだ捲れっぱなしであることに気付いた。さっき直さなかったらしい、人がせっかく指摘してあげたのに。

 なので私は、何の意識もなく、その背中に向かってこう叫んだのだ。

「御幸ぃー! すき[・・]ー!!」

「ぶほっ」

 その瞬間、前を歩いていた御幸は物の見事につんのめった。こちらを振り向く彼は、先ほどの余裕めいた笑みが嘘のように真っ赤っかに染まっていて。

 その理由に気付いた時、私もまた爆発するかと思った。

「ちがっ──!! 背中! まだ直ってないからっ!!」

「わ、分かってるて! 声でけーんだよ!」

「ご、ごめ──あの、だから、じゃあねっ!!」

 いても立っても居られず、私は脱兎の如くその場から走り去った。別に、そういう意味じゃない。御幸だって分かってるはずだ。なのに何で、あんなにあからさまに動揺すんの。隙、見せないんじゃないの。隙、探さないと見つかんないんじゃないの。あんな、ただの言葉遊びでもない、言い間違えのようなものに。なんでよ、御幸。

 ──翌日、会話を盗み聞きしていた沢村たちのでかい口によって、一夜にして私が『大声で御幸に告白した』というとんでもない誤解が広まってしまった。結局、その誤解は三か月解けないまま、からかわれ続けてしまい、最終的にその誤解を解く必要性がなくなってしまったのだった。何はともあれ、『すき』を生んだ私の勝利である。



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