Permanent Preservation

 引っ越しとは、思わぬお宝を発掘する作業と同義である。

「うわ、懐かし!」

 アルバムなんかを整理している時、ぽろりと膝に落ちたパンフレットを拾い上げて、思わずそんな声が漏れた。それは、母校の高校紹介パンフレットだった。こんなの普通、中学の受験の時に見ては、高校を入ったら捨ててしまうものだけど、これは特別だ。何故ならこのパンフレットは、私がこの高校に入学した後に刷られたものだからだ。

 では何故こんなものを後生大事に持っているのか。理由はシンプル。このパンフレットそのものに、数えきれないぐらいの思い出が籠められているのだ。

「わっかーい……」

 ぺらり、とパンフレットを捲る。校舎の写真や紹介文もそこそこに、二人の男女が制服を身に纏っている写真が掲載されている。その片方が自分なのだから、そりゃあ後生大事に保管したくもなろう。

 学校紹介のパンフレットのモデルになって欲しい、と学校側から依頼があった時、これも一種の仕事かと嘆息したものだ。というのも、私は当時ティーン向け雑誌の現役モデルだった。といっても誰もが知るような芸能人ってわけじゃないし、そこまで名が売れたわけでもなかった。とはいえ、『学校に芸能人がいる』というだけで箔が付いたらしく、校内ではそれなりに有名だった。そんな私に白羽の矢が立つのは、当然と言えば当然だったのかもしれない。

「ひゃー、かわいー!」

 写真には、十年近く前に撮られた写真。肌の張りが違うな、なんて思いながら視線をスライドさせると、そこには当時片思いしていた人の写真。まだ垢抜けない姿ではあるが、変わらぬ輝きがそこにある。ああ、懐かしいなあ。なんて写真に指を滑らせる。

 パンフレットには制服を紹介する体で男女一人ずつモデルが選出された。現役モデルの横に並び立つのだから、男側を選出するのはさぞ大変だっただろう。けれど結局校長がウキウキとして連れてきたのは、御幸一也という男だった。接点はほとんどなかった私でも知っているぐらい、彼は有名人だった。母校を数年ぶりに甲子園に連れて行った、野球部のキャプテン。しかも既にファンがいるほどのイケメンだった。二人で並んだらお似合いだ何だと教頭だか理事長が歓声を上げていた日を、今尚思い出せる。柄にもなく緊張する私に、『モデルなのに?』とからかってきた悪戯な笑みに、私はあっさりと恋に落ちたのだ。

 そんな青春の甘酸っぱい一ページに、ほう、と溜息を零す。

「こんなことなら、あの時告白しちゃえばよかった」

 けれど、片や現役モデル、片や高校球児。生活サイクルも、趣味嗜好も、何もかも違う。結局接点なんてその程度。告白なんてとんでもない、遠くから彼を応援することしかできない、そんな高校生活で幕を閉じてしまった。結局彼はプロ野球選手の道に、私は大学に通いながらモデル業に打ち込み、その結果SNSではまあそこそこ名の知れたインフルエンサーにはなれた。その間、色々な人に出会った。アイドルやら俳優やらモデルやら、色んな人と言葉を交わしてきたし、それなりに好意を向けられることはあった。それでも、私の心には御幸一也との思い出が燦然と輝いていた。どんなに魅力的な人だろうが、金持ちだろうが、イケメンだろうが、球場で汗だらけの泥だらけになりながら野球をする彼には、到底及ばなかった。

 もう二度と戻れぬ場所とは知りもせず、たおやかに笑う学生だった頃の私たちを見つめながら、そんな想いに浸っていると、リビングの向こうから「おーい」と、声が飛んできた。

「そっち終わった?」

「あ、ごめん、あと少し!」

 それは夫の──正式には、夫になる人──の声だった。しまった、思い出に浸っている暇なんかない。引っ越しまで猶予がない。慣れ親しんだ一人暮らしの家を引き払い、私はこれからこの人と共に暮らすのだから。慌てて荷造りを再開するのと同時に、引っ越しの手伝いに来てくれた彼がこちらの様子を覗きに来た。

「こらこら。真面目にやれって」

「いやあ、懐かしいの見つけちゃってさあ」

「なにこれ──あー、俺らがモデルになったパンフか」

 懐かしいな、と彼は──御幸一也は眼鏡の奥の瞳を柔らかく細める。この撮影をきっかけに始まった恋がどうしても諦めきれなかった私は、何年か越しの同窓会で猛アタックを仕掛け、交際にこぎつけたのだった。それげ巡り巡って結婚に至ったのだから、無駄な片思いしてる暇があったら素直に告白しておけばよかったと、心底後悔したものだ。

「まだ取ってたんんだ、このパンフ」

「そりゃあ、思い出の品ですから」

「思い出の品、ねえ」

 ニヤニヤする一也、それすらも許してしまうぐらいベタ惚れなのだから仕方がない。家宝にするね、と抱き締める私に、一也が「あ」と間抜けな声を上げた。

「このパンフ、ちょっと貸してくんね?」

「なんで?」

「いーからいーから」

 そう言うが否や、一也はパンフを私の腕から抜き取ってしまった。文句を言う間もなく、家のチャイムが鳴り響く。いけない、家具引き取り業者が来てしまった。それまでにここの箱詰めを終わらせたかったのに。慌てて引っ越し準備に戻る私は、一也が家宝を何に使うのか問い詰めることをすっかり忘れ、新生活の準備に奔走したのだった。

 後日、オフシーズン恒例の現役野球選手を集めたバラエティ番組で、新婚故に弄られていた一也が、突如家宝のパンフを取り出して「妻です」と大々的に紹介した姿を見て、私は椅子ごと引っくり返った。



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