愛の言葉はないけれど

 広報から話を聞いた時、こんなのもプロ野球選手の仕事なのかと、御幸は愕然とした。

 ただ野球をやっていればいい、勝利こそが最大のファンサービス、という時代は野球観戦人口の減少と共に過ぎ去った。娯楽の溢れ返るこの現代は、コンテンツ同士が少ない人口を奪い合うのが常である。それは野球選手だって例外ではないし、その大切さは御幸だって理解しているつもりだ。

 故に、ファンサービスとして様々なイベントを企画する広報には頭が下がる思いではあるが、人には向き不向きというものがあり、そしてこれは御幸にとっては『不向き』以外の何でもないサービスであった。

「えーと……これでいい? 聞こえてます?」

 スマホに向かって、おずおずと話しかける。すると、スマホの画面には目まぐるしい勢いで文字が流れていく。『聞こえてるよ』『喋ってる!』『みゆかず〜〜〜』などの文字が、煌びやかな絵文字と共に表示される。ひとまずはこれで問題なさそうだ、と御幸はほっと胸を撫で下ろす。

 オフシーズンのファンサービス企画として、自宅からSNSでライブ配信をしろと言われた時、御幸はいの一番に『歌苦手なんですけど』と発し、のっけから爆笑の渦を生み出す羽目になった。解せない。要はアーティスト等が行う歌って踊るようなライブではなく、SNSでリアルタイムで自分の映る映像を配信し、ファンはそれを見ながらコメントを打ち、交流を図る、という企画らしい。何が楽しいのかサッパリ分からないが、上からやれと言われたら、超絶縦社会に身を置く御幸たちにイエス以外の選択肢はないのである。

「えーと、ありがとー。喋ってますよー。みゆかずですよー」

 ぎこちなくコメントに返事をしていく。だが、雪崩のように押し寄せるコメント全てを目にするのは不可能だった。『全部コメント読むの?』『オープン戦始まりそう』などのコメントを目にして、なるほど全部が全部反応する必要はないのだと知る。そういうことは教えておいて欲しいものである、と明らか不慣れな御幸に企画をほぼ丸投げした広報担当に恨みを募らせる。

「えーそれじゃ、事前に質問貰ってたやつ、回答しまーす」

 これはファンサ、仕事。むずむずとした変な気分になりながら、そんな思いで自らを律する。事前に広報がSNSで募っていた質問に答えながら、少しでも気分を紛らわすためにと用意された酒とツマミに手を伸ばす。すると、その映像を見たファンたちが目ざとくコメントを流す。『何食べてるの?』『見せてー』、と。

「んー? 嫁さんがツマミ作ってくれたの、食ってまーす」

 御幸一也は、昨年高校から付き合い続けた恋人と結婚した。素行は真面目で浮いた話がほとんどなく、所謂『ガチ恋』層の多かった御幸の電撃結婚には、男女問わず多くのファンが涙したとかなんとか。そんな妻が、『アルコールでも入れて少しはテンション上げたら?』と気を利かせてツマミを作ってくれたのだ。

 馬鹿正直にそう答えれば、いいなあ、羨ましい、見せつけないで、などなどコメントが流れる速度が加速した。一部心無いコメントもあるが、多くは御幸の幸福を祝うものばかり。物のついでに『奥さんどんな人?』『結婚の決め手は?』『どこが好きなの?』などの下世話な質問も流れてくる。

「えー、企業秘密でっす。今日は事前に聞かれたことしか答えませーん」

 そう言って、よくない流れを無理やり断ち切って、質問集を見ながら適当に回答して、時折酒とツマミを口付ける。オフ何をしているのか、球団では誰と仲がいいのか、監督に物申したいことなど、質問自体は比較的どこでも聞かれるようなものばかり。そんなものをこうして全世界に配信することの意味を、御幸は未だに理解できない。ただ、矢継ぎ早に流れてくるファンたちのコメントの多くはどれも楽しげで、この配信を心置きなく堪能していることが分かる。確かに、こういうファンの声を直接目にする機会はほとんどない。心無い言葉や意見も多いため、エゴサは可能な限り控えるよう言われているので──そもそも他人にどう思われようが気にしないので、しようとも思わないが──、球場以外で御幸一也を応援してくれる人たちの声を聞くのは、まあ、悪い気はしなかった。

 そうしてトラブルなく配信は続き、最後はファンへの私物プレゼント企画として、買ったはいいが自宅のIHキッチンでは使えなかった新品のフライパンにサインをして「抽選で当たるので応募してください」と定型文のようなセリフを告げて、御幸一也の初めてのライブ配信は幕を引いたのだった。

 すると、部屋の戸が控えめにノックされた。

「終わった?」

「おー」

 返事をすると、お盆を手にした妻が何故か球団マスコットのお面をつけて入ってきた。

「何その格好」

「や、うっかり映り込んだらまずいし、こう、念のためね?」

「そんなグッズあったっけ」

「去年のファンフェスで配布してたの、可愛いでしょ」

 可愛さはさておき、同じ家で暮らしていて、スマホで映している光景をリアルタイムで発信しているのだから、念を入れる一般人の彼女の警戒っぷりは十分理解できる。

 ふうん、と溜息交じりで大きく伸びをする。

「はー、疲れた」

「お疲れさま。でも、事務的な応答多すぎない?」

「こんなことまで反省会させんなって」

「成宮君とかすっごいコメント拾ってくれるし、トーク軽快だし、今後は参考にするよーに」

「ばーか、次はねーよ」

「残念、一也のガチガチに緊張した配信めっちゃ笑えたのに」

「コンニャロ!」

 一言余計な彼女に軽くヘッドロックをかけて、ぎゃあぎゃあとじゃれ合う。悪い企画ではないと思うが、やはり慣れぬことをするものではない。ファンへの最大の恩返しは勝利であり、そのために努力し続けることだ。もうそれで勘弁して欲しいと広報に伝えておこうと心に決める。

 すると、酒の残ったグラスを片付け出した彼女が、あ、と声を上げた。

「そうだ、おつまみ大丈夫だった?」

「フツーに美味かったけど、なんで?」

「や、ゴハンのついでに作ってたから、味見してなくて」

「いい感じで漬かってたぜ。ホラ」

 そう言って、箸で彼女が作ったクリームチーズの醤油漬けを抓む。それをそのままお面に隠された口元に寄せると、彼女はゆっくりと屈んでお面に手をかけた──その時だった。

「ばかかずやッ!! 配信切り忘れてるッ!!」

「え──はっ!?」

 妻の叫びに慌ててスマホを手に取ると、確かに先ほどと同じようにコメントが流れ続けているのが見えた。『みゆかず配信切れてないよ!』『ガチ夫婦のやり取りヤバイ』『すごい優しい声してる〜』などなど、先ほどとは比べ物にならないスピードでコメントが押し寄せている。まさか、先ほどのやり取りも、ずっと、全世界に──。

 即座にスマホの電源を落とし、夫婦揃って声にならない悲鳴を上げて新築の家の床にのた打ち回ったのだった。

 更に配信を聞いていたらしいチームメイトからは『機械音痴にも程がある』『馬鹿なんじゃないすか?』『嫁さんファインプレー』などの声が届けられ、更には「下手なこと言わなかったからよかったものを!」と脇の甘さを広報に怒られる羽目になった。オーナーに頭を下げられようとも、二度とライブ配信はしない。御幸はそう固く心に誓った。



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