三つ子の魂、愛まで

 昔、好きだった女の子に指輪を貰ったことがある。

 顔も名前も覚えていないけれど、当時は男が送る物の代名詞だった指輪を女の子から、しかも好きだった子に贈られたのだ。嬉しさよりも、ショックが大きかったことだけは記憶していた。当時から野球一筋で、こういった話題にはとんと疎かった御幸でさえ、なんで指輪なんか、俺男なのにと、不貞腐れていたっけ。

『わたしがあげたいから、あげるのよ』

 そんな御幸に、その子はそう言って笑った。そうして御幸の左薬指には、なぜかサイズぴったりの女の子が好きそうな指輪が嵌められたのだ。きらきらした青いイミテーションがついていて、金色のメッキは一年と経たずに剥げてしまった、そんな指輪。それも少女の引っ越しと共に記憶の彼方へと追いやられ、今日まで思い出すことは無かった。

 そんな御幸も大人になり、プロ野球選手として成功を収め、数少ない友人に支えられ、良きチームメイトに恵まれ、そうして運命の伴侶と巡り合った。出会いは知人の紹介といえば聞こえはいいが、所謂合コンである。お互い数合わせのためだけに呼ばれ、二次会に行くでもなくサッと抜け出した。気晴らしに訪れた近くのバッティングセンターに、洒落たワンピース姿でバットから快音を響かせる女の後ろ姿を見つけて、興味を引かれたのが、きっと最初。

『近くにうんまいラーメン屋あるんですけど、お口直しにどうですか?』

 そんな御幸に気付いた彼女が声をかけた。それが、きっかけ。合コンではまともに飲み食いできず、小腹が空いているがこれ以上食べるとカロリーオーバーだから運動しに来たのだと、汚いヘルメットを小脇に抱えて笑う女が紹介してくれたラーメン屋のチャーハンは絶品だった。そんな接点がいつしか好意に繋がり、同じ屋根の下で寝食を共にするようになり、そうして生涯を誓い合うまでに至るのだから、出会いとは分からぬものである。

 ──そんな彼女に指輪を渡している時、ふと、御幸は子ども時代の可愛らしい思い出が脳裏を過った。一世一代のプロポーズを前に違う女の子のことを思い出すなんてどうかしてると自嘲気味に笑う。彼女はそれに気付かずに、左手を天井に掲げる。自宅でプロポーズなんてムードがないねと言いながら、薬指にきらりと光るそれを愛おしげに眺める女の肩を抱き寄せる。

「なんか、変な気分。私が、指輪貰うなんて」

「そんな結婚願望なかったっけ?」

「ってわけじゃないけど。何となくね、自分があげる側だと思ってたの」

「ふーん、なんで?」

「一也が指輪渡してプロポーズする男に見えなくて」

「どういう意味だよ、それ」

 少なくとも褒められてはいないのだろう。低い位置にある頭に自分の頭をぐりぐりと押し付けると、彼女はけらけらと御幸の好きな声で笑う。

「うそうそ。あのね、昔からなの。恋愛事は自分が引っ張らなきゃ、って思っちゃって。或いは、そういう人ばっかり好きになっちゃったのかな」

「お前趣味悪くね?」

「それブーメラン返ってくるけど大丈夫?」

「……確かに」

 言ってて気づかず、二人してソファの上でげらげら大笑い。金色の光る指輪を撫でながら、彼女は上機嫌で話を続ける。

「初恋もそうだったなあ。背も低くて、女の子みたいな子で、でも負けん気が強くて、いっつも他の男の子と喧嘩してて、あー、守ってあげなきゃな―って思ってさ」

「へーえ」

「あんまりにも放っておけなくて、先走って、嫌がるその子に指輪あげてさ。ずっと守ってあげたかったのに、私、親の都合で引っ越ししちゃって、もう会えなくなっちゃった」

「……、え?」

「懐かしいなあ。こんな感じの、青い石が付いた、金色の指輪でね。勿論、スーパーのお菓子売り場とかに売ってるようなおもちゃだったんだけど、私の宝物だったの」

 突如語られる可愛らしい思い出が、リフレインする。つい先ほど思い出した記憶が、重なり合う。いやまさか、そんな、しかし偶然にしては出来すぎている。ような。

「でも、その子のプライド傷つけちゃったみたいでね、すんごい嫌そうな顔されてショックだったっけなあ。でもね、私はただ──」

「──あげたかったから、あげた?」

 言葉の続きが分かるような気がした。顔も名前も覚えていないのに、その言葉だけが胸の中に息づいていたから、自然と言葉が出てきた。すると彼女は嬉しそうに破顔した。

「そう、そうそれ! だから私──」

 そう言いながら、顔を上げる彼女と目が合う。声は途切れ、笑顔は徐々に何かを思い出すようなぼんやりとした表情に変化していく。けれどきっと、御幸もまた同じ顔をしていて。

「……みー、くん?」

 ああ、ああ、そうだ。そんな呼び方をするのは、ついぞあの子だけだった。それが、女の子みたいで嫌だった。ただでさえ他の子よりも背が低くて、顔も女みたいだとからかわれたから。けれど、そうして喧嘩する御幸の元に、決まってその子が転がり込んでくるのだ。みーくんをいじめるな、と。だからつい、嫌と言えなくて。

「いや──うそ──え、そんなこと、ある……?」

 引き攣った笑いは、嬉しさなのか困惑なのかは判別付かない。御幸もまた、どういう感情を抱いていいのか分からなかった。ただ、お互いどうして今の今まで思い出せなかったのかが不思議だ。名前を聞いて、顔を見て、どうして幼くも淡い恋を記憶の隅に追いやっていられたのだろう。二人の中には今の今まで、そのおままごとのような愛情が、確かに息づいていたというのに。

「……お互い、趣味は変わんねーもんだな?」

 嘘でしょ、信じられない、顔を真っ赤にしながら両手で顔を覆って丸くなる未来の妻を抱き寄せながら、御幸もまたそんな一言を零すのがやっとだった。ああ、三つ子の魂百までとはいうが、まさか初恋の相手が巡り巡って結婚相手になるまで気付かないなんて、お互い薄情なんだか、愛情深いんだか。

 ──後日、スーパーのお菓子コーナーで女児向けの食玩を買い集める御幸一也とその妻が激写され、実はデキ婚だったのでは、と週刊誌でちょっとした騒ぎを起こすはめになった。



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