所謂、『親から貰った身体なのだから大事にしろ』と言う人間は未だにいる。まさか自分の恋人がそうだとは思わなかったが。 ある日、ピアッサー片手に、私は一也と睨み合う。 「いやいや、私の身体なんだけど?」 「えー……マジでやんの……」 大学生にもなったんだし、ちょっと冒険したいと思うのは当然ではないだろうか。そしてせっかく穴を開けるのなら、大好きな人の手で。そんな思いで、久々の休みに家に遊びに来た一也に頼んだら、想像の百倍渋られた。親に貰った身体だろ、と零す一也。親に貰ったその身体を酷使して野球選手やってる奴に言われたくないのだが。 「つーか、なんでわざわざ身体に穴開けるわけ? イヤリング? とかでいいじゃん」 「イヤリングは耳たぶが痛くなるからヤなの!」 「どう考えても身体に穴開ける方が痛いだろ……」 そりゃ最初は痛いし血も出るだろうけど、傷が癒えれば何でもないと友人は言う。じゃあいいじゃん、と文句を言うも、一也もいい顔はしない。自分のためのお洒落だ。男に見せるためではないのだから、誰に何を言われようともやってしまえばいいんだけど、恋人に難色を示されると何となくやり辛さはある。やっぱ、可愛いって思って欲しいじゃん、やっぱ。 「いいじゃん、ケチ!」 「えー……」 明確な否定の言葉は言わないものの、一也は不服そうな顔で私の耳たぶに触れる。まだ傷も穴もないそこを、ふにふにと揉む。 「なーに」 「別に」 「ちゃんと言ってくれなきゃ、分かんない」 一也の悪いとこ、言わなきゃいけないことをちゃんと言わないところ。だからムッとして告げれば、一也は観念したように肩を落とす。 「開けんなよ──って俺が言える立場じゃねえんだけどさ」 「なんで嫌なの?」 「……なんとなく?」 なんだそれ。まあでも、そういう『嫌悪感』は分からないとは言わない。食わず嫌いみたいな。私だって吸ったことないけどたばこ苦手だし。そういうものだろう。 「えー……じゃあ、今は止めとくー」 「今は?」 「いつか一也が心変わりするかもだし?」 「しねーよ」 不機嫌そうな顔でふにふにと耳たぶを揉む指先に、笑みが零れた。ちょっとくすぐったくて身を捩ると、一也は悪戯っぽく口角を釣り上げた。話はおしまいとばかりにピアッサーを取り上げられ、ぎゃあぎゃあ騒ぎながらベッドでもみくちゃになって、ひとまずその日は大人の階段から降りる事に決めたのだ。 それに──いざという時にも、使えそうだしね? *** そしてそのいつかは、思いのほか早く訪れた。 「ホント何度言っても直さないよねえ……!!」 「いやいや! これは俺悪くねーだろ!」 「警戒不足でしょこんなもん!!」 そう叫んで一也に突きつけるスマホの画面には、有名な女子アナと二人歩いている姿をすっぱ抜かれた姿。曰く番組の打ち上げで会場に移動しているだけとのことだが、そういう問題じゃない。別に浮気は疑ってない。そんな器用な男なら、高校時代に何度もチームメイトと衝突してない。だからそこはいい。 注意しろと口煩く言ってもイケメン捕手の恋愛事情は世間にとっても注目度は高いらしく、たびたびこうして一部場面だけを切り取って、根も葉もない噂を焚き付ける。そのたびに一也のマスコミのマークが強まり、結果として私に余波が及ぶ。それが困るのだ。一也を張り込んでいれば、付き合っている本当の相手を掘り当てることはそう難しくはない。すると実際のところどうなのか、こういうゴシップにどう思うか、三角関係なのかとか、見知らぬ大人に根掘り葉掘り聞かれるのだ。何度薄汚い身なりの記者に突撃されたか分からない。 一方的に一也が悪いとは言いたくないけど、私も結構怖い思いをしているのだから、少しは警戒して欲しいものである。だが、何度言っても一也はこうしてすっぱ抜かれるのだ。流石の私も堪忍袋の緒が切れた。 「もー、怒った! 一也! 私だってやる時はやるんだから!!」 「な、なんだよ……やるって何する気だよ……」 「私の怒りを! 形にする!!」 「何言ってんだよ、お前……」 呆れた様子のな一也を残して、私は洗面所に引っ込んだ。追いかけてこないあたり、そういうとこなんだよなあ、と肩を落とす。そうして、洗面台の奥に隠していたそれを手に取って、私は意を決して髪をかき上げて耳を鏡に映す。そして。 十分後、私は苦々しい顔で一也の元へ戻る。一也は私の部屋で所在なさげにウロウロと立ち往生していた。一応動揺はしていたらしい。まあいい、本番はこれからだ。 「お前、どこ行って──」 私を見てそう言いかけた一也が凍り付く。流石、不器用なくせに人の変化には機敏な男だ。こういうとこにはすぐ気付く。髪を上げて、耳が良く見えるようにしてきたから、気付いてくれなきゃ困るんだけど。 「おま、それ、ピアス?」 「そうだよ」 げげっ、と顔を引き攣らせる。よっぽど嫌だったらしい。嫌味ったらしく右耳しかピアスをつけていない私の覚悟が、どうやら伝わったらしい。 「これから一也が悪い事したら、増やしていくから」 「ま、マジかよ……」 「お洒落だし、嫌なところが目に見える。素敵じゃない? 一也だって、私を見るたびに『次は気を付けよう』って思うでしょ?」 そりゃあ、全部が全部一也のせいじゃないのは分かってる。でも、今回が初めてじゃないし、そもそも一也は何が悪いのかイマイチ分かってないのだ。がっくりする一也に、私もスンと鼻を鳴らす。 「……本当に、怖いんだから。ずっと」 一也にとって慣れたことでも、私にとって見知らぬ誰かにマイクやレコーダーを向けられることは、本当に怖いことなのだ。人目の注目を集めないよう、薄汚い格好で、どこからともなく現れて。皺だらけの手でマイクを向けられて、一也との関係を根掘り葉掘り聞かれる。インタビューに慣れた一也にとっては鬱陶しいゴシップ記者でも、私にとってはただの不審者でしかない。もし乱暴なことを言われたら、暴力を振るわれたら、そんな『まさか』を何度想像しただろう。縦にも横にも大きくなった一也に、この恐怖が分かるはずもないのだけど。 「……悪かった」 ようやく、一也は観念したようにそう呟いた。ノロノロとした動きで私をそっと抱き寄せる。大きな身体が圧し掛かるように抱き着いてきて、私もまた広い背中に手を回す。 「頼むから一個で済ませてくれよ……お前の耳が穴だらけになるとこは見たくねえんだけど……」 「穴だらけにする予定はあるんだ……」 「……穴だらけになっても、お前は愛想尽かさないだろ」 ぎゅう、と抱きしめられてそんなことを言われた。確かに、もうピアス開けるところがなくなったって、ギャアギャア言いながら一也の横にいる気がする。不甲斐ない一也が悪いのか、そんな一也にベタ惚れの私が悪いのか。どっちもどっちだろう。だから私は新しく買ったピアスにそっと触れる。月と星をモチーフのこのピアスは、この間友達と出かけた時に一目ぼれして買った物だ。 「そうだね。そんな私を手放せない、一也も同罪だよ」 「分かってる。だからもう、これ以上は勘弁──」 「だから、これからも私の耳を大事にしてね」 そう言って、私は耳からピアスを引っこ抜いた。ぎょっ、と一也は目を見開いて息を呑んだ。 「ちょっ、おま、なに──し、て」 慌てて耳たぶに触れる一也は、その場でフリーズする。当然、痛みもなければ血も流れない。ついでに、一也の想像したであろう傷も穴もない。 「 「の、のんほーる……」 分厚い指が、私の無傷の耳たぶを撫でる。ノンホールピアスなのだから、穴も傷もない。でも、イヤリング同様耳が痛くなるし、あんまりやりたくない。だから、可愛い脅しとして使わせてもらったのだ。 「これから先、いくつピアスがつけられるか見ものだね?」 ケラケラ笑ってネタ晴らしする私に、一也は肩の力が抜けたようにその場に崩れ落ちる。天才捕手も可愛い恋人には形無しだと笑えば、当たり前だろと一也が零す。珍しく素直な一也に、私は特別に許してあげることにしたのだ。 結局、棚の奥に仕舞われたピアッサーが日の目を浴びることは、終ぞなかった。 |