まだ誰も知らない物語へ

 公式戦負けて、私たちは薬師高校三年生は八月を迎える前に引退した。悔いしか無かった。もっともっと勝って欲しかった。けれど、たかだかマネージャーである私にそんなことを言う権限はなく。涙に暮れるチームメイトたちと肩を叩き合い、後輩たちに来年は頼んだと託して──そうして、私たちの青春は終わったはずだった。けれど。

『なあ、これから星見に行こうぜ!』

「ハァ!?」

 その夜、チームメイトだった真田俊平からそんな電話が飛んできた。

 意味が分からない。なんで、星。言っておくが私たちは別に付き合ってるとかそういうアレじゃないし、お互い星を見るのが好き、なんてロマンティックな趣味があるわけでもない。そこまで親しい間柄ってわけでもないし──部のみんなで遊びに行くことはあっても、サシで出かけるなんてこの三年間一度もなかった──、とにかく、あれだ、青天の霹靂というやつで。

「いや……何で急に?」

『や、何となく。どーせヒマしてるだろ?』

「オウコラ受験生になんてこと」

 どうせ大学推薦貰える真田と違って、マネージャーの私は受験戦争に突入している。クラスメイトよりずっと遅れた参戦に、日々根を詰めている。今だって家で大人しく勉強していたというのに、なんてことを言うのか。苛立ち半分で告げれば、電話口からはハハハと乾いた笑いが聞こえてくる。

『じゃー息抜きにさ、行こうぜ』

「息抜き、て……」

『と言いつつもうお前んち来てたり?』

「拒否権なしかいっ!!」

 慌ててベランダに飛び出すと、そこにはチャリンコに跨った真田が爽やかなスマイルを浮かべて手を振っていた。誰よぉあの色男、なんて母のからかいを突っぱねて、私はTシャツにハーフパンツというトンデモラフな格好で家を飛び出す。

「来るなら前もって言ってよ!」

「思い立ったら吉日って言うだろ?」

「思い立ちすぎでしょ! 猪でももう少し熟考するわ!」

「ブハッ、そのツッコミおもしれーな!」

「聞けえ!!」

 真田は私が出てきたことを了承と取ったらしく、そのままチャリから降りて手押しで先を歩き始めるので、慌てて付いていく。補導されるにはまだ時間はあるけれど、一体どういう風の吹き回しだろう。

「ど、どこまで行くの?」

「ん−、あっちの方登ってみようと思ってさ。いいだろ?」

「ま、まあ、星は見えるだろうけども……」

 真田の指差す方向には、確かに小高い丘のような山のような場所がある。西東京なんか東京と名が付くだけで山ばかり。斜面ばかりの地形に何度辟易したか分からない。チャリを手押しする真田の横を並びながら、私も坂道に足をかけた。

「(……意外と、普通、だなあ)」

 私が知る限り、夏に敗れて一番凹んでるのは真田だった。引退からしばらく顔を合わせてなかったけど、後輩指導にも来てないって聞いていたのだ。だからよっぽど塞ぎこんでるのだと思っていたのだが、案外元気そうだ。まあ、欝々と引きずられるよりは良いのだが、にしてもなんで星。しかも、私と。

 訳も分からぬまま適当に話をしながら──主に私の受験戦争への愚痴だが──丘を登る。カラカラとチャリの車輪が回り、真田が笑って、私がギャアギャア言う。特別なことなんかない、部活中にもよくあったワンシーン。けれど、夜に二人で歩くだけで、なんか変な気分になる。落ち着かないというか、なんというか。その理由を考えないようにしながら、歩くこと十五分。

「とーちゃく!」

「へえー、こんな開けた場所があったんだ……」

 丘の上には公園のような広い空間があり、ブランコや滑り台といった必要最低限の遊具が備わっていた。周りは該当もあるが暗く、木々のない広場からは真っ暗な星空が一望できた。当然人の気配はなく、真田は公園の入り口にチャリを止める。

「で、ここで天体観測するの?」

「そう。望遠鏡もベルトに結んだラジオもねーけどさ」

「ついでに午前二時でもないね」

 そう言いながら、ブランコに腰を下ろして星を見上げる。都会の光に屈した彼らは、遠く遠くにきらきらと微かな輝きを発している。それを特別綺麗だとか、素敵だとか思ったことは無い。もっと該当のない田舎なら、感想は違ったのだろうか。ふむ、と改めて直視するも、やはり感想はない。というか、全然分かんない。今、有名な星座とか出てるのだろうか。

「……全然分かんないわ」

「夏の大三角形ぐらい知ってるだろ?」

「聞いたことはあるけどさ……」

 どれだ。目を凝らしても、星は星だ。どう結び付ければいいのか、見当もつかない。険しい顔をしている私を見て、真田は笑いながら腰を下ろす私の頭に顎を乗っけてきた。二人分の体重を受けて、きいきい、と鎖が軋んで揺れる。

「ちょおっ!?」

「ほら、あそこ。一番光ってるやつがあるだろ」

 いやどれだよ。揺れるブランコの鎖にしがみつきながら、真田が指差す方をじっと見る。確かに、ひときわ輝く星が三つ、あるような、ないような。

「あの上の奴が頂点?」

「そう。んで、下のがデネブとアルタイル。上のベガと繋いで、夏の大三角形ってワケ」

「へーえ、詳しいね」

「俺、理科得意なんで」

「ふうん。あ、じゃああのアルタイルの下? にある奴は?」

「あれは火星。もう少し暗ければ、土星も見えんだけどな」

「はえー、すっごい。ほんとに星、好きなんだ」

「じゃなきゃ天体観測なんか来ねーだろ」

「そりゃそうだ」

 試しに無茶振りしてみたが、意外にも真田はスラスラとそう答えた。顔もいいくせに星まで詳しいとか、王子様みたいな男だな、と思いながら私の頭に顎を乗せる真田を見上げる。

「ん?」

 目が合うと、ニッと爽やかに笑う。星空をバックに、こんなにも笑顔が似合う男なんて、知らなかった。真田はジリジリと照りつく太陽の下で、殺気立ったような顔つきで、マウンドに上がる姿が一番似合うと思っていたのだけれど。

「──あ」

 ヤバいかな、そう思ってブレーキを踏む。止まったかどうかは、分からない。だってこんなにも、しっくりくる。だけど、だめだ。『それ』は、多分きっと、よくない。だから私は何でもないよとかぶりを振る。真田も深くは追求せずに、そっか、と零す。

「そういやお前、受験どーすんの」

「どーすんの、って……別に、入れそうなとこ、狙う、だけ」

 志望校は未だに決まってない。そこまで頭よくないし、そもそも受験戦争自体に出遅れている。『浪人したら殺す』と親に脅されて、でもやりたいことなんかなくって。ただ皆がそうするから、そうした方が未来に繋がるからと、何となくがむしゃらに勉強してるだけ。真田たちとは違う。

 彼らのようにやりたいことがあるわけじゃ、ない。

「真田は? セレクション受けるんでしょ」

「まーな」

「……いいね。やることがあって」

 こんなに近くにいて、こんなに一緒に居たのに、彼らはもうとっくの先を見据えている。まるで遠い星のようだった。真田たちには、大学で野球をやる煌めく自分の姿が、明確にイメージできているのだろう。私にはそういうものはない。というか、未来のビジョンを持ってる高校生の方が珍しいだろうに。けれどこうして、同じ時を歩んできた仲間が、気付けば遥か先にいると分かると、やっぱりショックだ。

 私を見下ろす真田は、意外そうに目を丸くする。

「やりたいこと、ねーの?」

「ないよ。……真田みたいに、野球ができるわけでも、星が好きなわけでもないしさ」

 それとも、今から好きになってみるか。……だめだな、夏の大三角形を見上げても、所詮それは真田から教えられた情報に過ぎない。自発的に星を調べたいと、空を見上げたいとは思わない。

 苦笑を漏らす私に、真田は意外にも真剣な眼差しを向ける。

「だったら好きになれよ、星」

「な、なんで?」

 きょとんとして真田を仰ぐ。そんな好きになれと言われてはいそうですかとなれるものじゃないと、思うの、ですが。そんな私の困惑なんか知ったこっちゃないとばかりに、鋭い眼光が降り注ぐ。


「そしたら、今度はお前が俺に教えられる、だろ?」


 ──だめだと、自覚していたのに。けれど、爛漫に笑う真田の顔見て、ついに白旗を振る羽目になった。ずっと、ずっと気付かないふりしてきたのに。でも、嗚呼。そうだ。そもそも、『そう』じゃなきゃ、夜いきなり押しかけてくるチームメイトに付いていくだろうか。『そう』じゃなきゃ、星を見たいと言う彼に文句一つなく追いかけたりしただろうか。答えは否、ありえない。だから、答えなんか最初から一つで、けれどそれは星を掴むよりも困難だったから、ずっと見て見てふりをしてきたのに。けれど、だめだ。気付いてしまったのだ。

 人を好きになるって、こういうことなんだ、と。

「──そんな理由で、いいのかなあ」

「学ぶ気があるだけいいんじゃね」

「私、星のこと、全然、しらないのに」

「俺だって今日のために調べてきただけだし」

「……そういうこと、フツー言う?」

「一応、セージツさは見せとかなきゃな」

「誠実さ、ねえ……」

 そう言いつつ、真田は肝心なことは言わない。故に、私も確信は語らない。星のように煌めく男を見上げながら、煩いぐらい早鐘を打つ鼓動を押さえて笑う。真田もちょっと驚いたように目を丸くしてから、すぐにふはっと吹き出した。ひとまず、急いで家に帰らないと。それでお父さんとお母さんに土下座して、天文学を学びたいのだとお願いするのだ。

 いつかいつかの未来に、真田とこうして夜空を見上げるために。



*BACK | TOP | END#


- ナノ -