waiting

 御幸が好きだった。多分、御幸も同じ気持ちだった。二年間選手とマネージャーとして傍に居たのだ、それぐらい何となく分かる。それが、お互いにとってよくないことも、また。それでも、これを自分の中に押しとどめることはできなかった。だから、意を決して御幸に告げたのだ。付き合って欲しい、と。けれど御幸の答えは、まあ、想像通りのもので。

「気持ちは嬉しーけど、今は野球に集中したい」

「……だよね。ごめん」

 分かってる、御幸が断ることぐらい。それでも、告げずにはいられないぐらい気持ちが大きくなっていった。何度も謝ると、御幸は居心地悪そうな顔で頭をかいた。

「でも──あー、クソ、なんで今なんだよ……」

 御幸は珍しく、恥ずかしそうに何かを言いあぐねていた。選手たちを鼓舞する時はキザったらしいことでもサラリと告げるような男が、珍しい。不思議に見つめていると、形良い唇が小さくこう言ったのだ。「俺も好きなんだけど」と。

「だからさ、あと一年待ってろよ。そしたら──」

「え、嫌だけど」

「は?」

「え?」

 きょとんとする御幸に、私もまた首を傾げる。え、なんで。嫌ですけども。確かに御幸のことは好きだけど、だからって待てるほど気は長くない。だから断られると分かってても告白したのだけど。けれど御幸は、どうやら私の答えをお気に召さなかったらしい。

 ──その日、私は告白した男と大喧嘩した女として、青道野球部の伝説となった。



***



「え? これ私が悪いんです?」

「どっちも馬鹿だろ」

「亮さんヒドイ!」

 伝説が部内に駆け巡るまで、数日とかからなかった。そりゃ、練習後とはいえ、室内練習場の傍でギャーギャー言い争ってたら嫌でも目立つ。バレてしまっては仕方ないと、私は開き直って先輩に相談を始めたのだ。亮さんは言うことは厳しいけど、嘘は言わないし、下手な慰めや誤魔化しをしない。御幸への想いを持て余していたころも、よくこうして相談したものだ。三年の教室に乗り込んで泣きついて、こうして中庭でジュースを啜りながらベンチで語らうのも、慣れたものである。

「……そりゃあ、分かってますよ。御幸の言うことは正しいって」

「じゃあ待ってやればいいだろ、たかが一年ぐらい」

「されど一年ですよ! 一年後も御幸が私のこと好きでいてくれる保障なんて、どこにもないじゃないですか!」

 待ってろと、待たせる方は気軽に言う。けれど、待たされる方は堪ったものじゃない。気持ちが離れるかもしれないのに、ひたすら待たされて。結局、他に好きな人が、なんて言われたら七代後まで呪いかねない。そりゃあ、御幸の言い分も正しいのは分かってる。忙しい男だ。野球に集中しなければいけないことも。それでも、私は今、御幸と付き合いたいのだ。

「だめだったら、別れるもん……練習の邪魔になるようなら、それでおしまいでいいもん……だから『今』、だめでも付き合って欲しかったんです……」

 私が障害になるなら、それっきりで構わない。けれど、だめじゃないかもしれない。私はその可能性に賭けたかった。けれど御幸は、だめになる可能性があるなら待って欲しい、と気持ちが続く方に賭けた。故にどちらの言い分も平行線をたどる一方。どうにもならない思いをベソベソと語ると、「辛気臭い」と先輩の本気チョップが頭に刺さる。エエン、痛い。

「……先輩が同じ立場でも、待ってて欲しいって言いますか?」

「さあ? 俺と御幸の考えを比べてもどうしようもないだろ」

「参考までにぃいい……」

 半泣きで訊ねると、亮さんはいつもの表情のまま少し考えるそぶりを見せた。そして、迷いなく頷いた。

「まあ、俺でも同じことを言うだろうね」

「……それで、どっちかの気持ちが離れたとしても、ですか」

 明日、明後日の試合の行方も分からないのに、一年後の引退までこの恋が続くと、どうして言い切れるのだろう。私の問いに、亮さんはめんどくさいなとばかりに溜息を零す。

「問題点、ハッキリしてるじゃん」

「と、言いますと?」

「気持ちが切れなければ、待てるんだろ」

「……どうやって、ですか?」

 亮さんは事もなげに言うけれど、それができたら苦労しない。ただ御幸を応援し続けて、続くかも分からない恋に祈る日々はもうたくさんだ。だから告白して、フラれて、スッキリ諦めるつもりでいた。なのに御幸が、期待を持たせるような、残酷なことを言うから面倒なことになったのだ。

 でも、そんな都合のいい方法があるのだろうか。

「どうやったら、気持ちは続くんですか。待って、いられるんですか」

「──知りたい?」

 すると、亮さんのにこやかな笑顔がこちらを向いた。怒っているようにも、呆れているようにも見えるその笑顔に、無意識のうちに背筋が冷えた。まるで、蛇に睨まれた蛙のように、身体が固まる。でも。だけど。

「しり、たい、です」

 それで、御幸を思い続けられるなら。少しでも、付き合える可能性があるのなら、それに越したことは無い。無理を言ってるのは、分かってる。私が、譲らなきゃいけないことも。マネージャーとして、越えてはならない線を越えたのだから、我慢すべきはきっと私だ。努力すべきは、私だから。だから先輩をじっと見つめて、答える。

 亮さんは笑顔のまま、ずいっと私の顔を覗き込む。一見優しそうな笑顔が全く優しくないと知ったのは、入部から僅か三日。特に亮さんからの洗礼を浴びに浴びた倉持と一緒に震え上がったのも良い思い出だ。弟の春市くんはあんなに大人しくて可愛げがあるのに、兄弟って不思議だ。亮さんは何も言わず、私を見つめるだけ。なんだか胃の中まで透かされそうだ、今日何食べたか当ててもらおうか。そんなことを考えた時、亮さんは効いたことも無いぐらい深々と溜息を吐いて見せたのだった。

「……で、盗み聞きしてまでお前も知りたいわけ?」

「え?」

 目の前にいる亮さんが、話しかけている。でも、私じゃない。きょろきょろと辺りを見回して、五臓六腑が跳ねた。ベンチの後ろに、困ったような顔の御幸が立っていたから。

「みゆ──な、なんでっ」

 正直、気まずい。告白後の大喧嘩の後、ろくに話していないのだ。亮さんがいなかったら走り去ってたレベルである。思わず俯く私の横で、亮さんが立ち上がる。ああっ、行かないでぇっ、そんな思いで亮さんのブレザーに手を伸ばした、その時。

「別に付き合ってなくても、できることはあるだろ」

「……え?」

「お前はもう少し、私生活でもずる賢くなった方がいいね」

 どっちに、何を言っているのか。尊敬すべき先輩の言葉に目を白黒させる私の背後で、御幸が悔しそうに唇を食んだのが見えた。なんで、御幸がそんな顔をするのだろう。ますます混乱する私の頭に、亮さんがもう一度手刀を下ろす。でも、今度は全然、いたくない。


「待ってもらうならそれなりの誠意は見せろよ、腰抜け」


 さらりとすんごい罵倒文句を言い残して、亮さんはスタスタと歩いて中庭を出て行ってしまった。ああっ、置いていかないでっ。気まずさに耐えかねて慌てて立ち上がろうとしたのに、後ろに立ってた御幸がベンチを踏み越えて隣に座ってくるので、お尻に根が生えたように動けなくなる。

 気まずさと混乱で泣きそうになっているのに、所在なさげにベンチに置かれた私の手を御幸の大きな手が抑えつけるように掴むのだから、その場で飛び上がるかと思った。

「な──な、なに」

「……誠意」

 御幸は耳を赤らめながら、ぶっきらぼうにそう告げる。誠意、これ、誠意なの。燃えるように熱い手のひらに、きゅっと力が入る。逃げたい。でも、逃げられない。逃がして、くれない。けど、逃げたく、ない。色んな感情がぐるぐると脳を回って、倒れてしまいそうだ。なのに御幸は、誠意としか言ってくれない。ベンチの間に泣きたくなるような沈黙が流れる。他の生徒たちの騒ぐ声が、今ははるか遠くに聞こえるほどで。

「お前、さあ」

「……なに」

「待たないっつーけど、なに、俺のこと諦めるつもり?」

「……そう、だけど」

 そのつもりで、玉砕を覚悟して告白したんだけど。そう告げれば、手のひらに込められる力が、また少し強くなった。

「分かった」

「な、なにが」

「絶対待ってもらう」

「分かってないじゃん!」

「諦めさせねぇよ」

「どうやって」

「できることはあるらしいし」

「例えば、なに」

「……ここじゃ、できねーこと」

 小さく呟かれたその一言に、心臓がドクンとひと際大きく脈打った。気恥ずかしさからか、御幸は強く強く、手を握り締めてくる。もう、痛みを感じるぐらいなのに、そんな痛みが嬉しいなんて、どうかしてる。御幸、ねえ、御幸。それって、期待していいの。付き合わなくても、待たなくても、いいの?

 御幸の顔を見上げる。隣にいる男は、目が合うとようやく表情を柔らかくしてくれた。私の、好きになった笑顔で。

「二人でさ、ちゃんと考えようぜ」

「……うん」

 覆われていた手が、どちらからともなくもぞりもぞりと動き出す。一本一本の指が緩やかに絡み合って、ぎゅっと握り締める。まるで恋人のようだ。でも、私たちは、今はまだ、そういう関係じゃない。付き合ってないのに、いいのかな、なんて疑問もある。だけど、人と人の付き合い方にきっと正解はない。だから、私は御幸と一緒に自分たちにとってベストな方法を模索するのだ。そうしていつか、ちゃんとお付き合いができた時に、亮さんにお礼を言いに行けるようになったらいいなぁ、なんて。



*BACK | TOP | END#


- ナノ -