浪費家への甘言

 一年ほど前、私は御幸一也に告白をした。

 正直、玉砕覚悟だった。野球部員とマネージャーという立場上それなりに会話する仲だったけど、相手は恋愛よりも野球を取るような男で有名だった。だから見込みなんかゼロに等しかったし、案の定『お前のことそういう目で見てない』とかいう笑っちゃうぐらい綺麗な断り文句も頂戴した。グッバイ私の恋、君の運命の人は僕じゃなかったらしい。ただ、相手が青道指折りのモテ男だけあって、告白後に気まずくなるようなことはなかったのは、不幸中の幸いと言えよう。御幸にとって女の子からの告白なんて日常茶飯事すぎて、いちいち気にしてられないらしい。そんな奴の無神経さに救われ、私は未だこうして御幸と日常会話するぐらいの仲をキープしているのである。が──。

「うわやば、これくっそまずい」

「何それ」

「レモンコーヒー・アップルシナモン風味」

「グッロ。何でそんなもん買ったんだよ」

「新商品に釣られるのは消費者の役目でしょ」

 体育館裏の日陰は人がいなくてのんびりできる。そう、御幸が教えてくれたのは彼に告白するよりもずっと前のことだった。毎日毎日来るわけではないけど、ふとのんびりしたい時に此処に来ると、大抵御幸に会えた。ぼっち飯を満喫する御幸とたまに話すうちにのめり込んでしまったのも、今となってはいい思い出だ。

「げーっ、ほんと美味しくない。御幸飲まない?」

「不味いと思うなら人に押し付けんな」

「この不味さは一回経験しとくべきだって」

「いらねえ、そんな甘ったるいもん」

 綺麗な顔をぎゅっと顰めて、御幸はしっしと追い払うように手を振る。ノリの悪い男である。こういう時は回し飲みして不味い不味いと騒ぐところだろう。だから友達がいないのだ、こいつは。

「あーもう私の二百円返して欲しい」

「お前も懲りねえな。前もきゅうりだかシソの炭酸水買ってただろ」

「批評ってのはね、金を出した者にのみ与えられる権利なのよ」

「かっこいいこと言ってるようで、結局不味いもん掴まされてるだけだからな」

 いちいち煩い男である。顔に似合わず倹約家であるこの男は私の無駄遣いが気に食わないようで、こうしてあれこれと口出ししてくる。

「あー、まっずい……」

 それにしても不味い。比類なき不味さだ。コーヒーとレモンはそもそも相性が悪いのだ、そこにアップルやらシナモンやらの味を足したところでこの不味さは消えない。商品開発部は味見をしたのだろうか。と、文句は山ほどあるが、とはいえ不味いからって捨てるのも勿体ない。きちんと消費してこその文句である。私は腹を据えて、ペットボトルに入った不味いコーヒーをぐびぐびと飲み干す。

 何度か嘔吐きながら──冗談抜きで本当に不味いのだ──ようやくペットボトルは空になった。……そろそろ、頃合いだろうか。ぐだぐだと文句を言いながら、私はペットボトルのキャップを締めて、こう言った。


「それでさ、何でこないだキスしてきたの」


 ぎくり、という音が聞こえたように、御幸の身体は強張った。ちらりと横を見ると、口元に笑みを浮かべたまま完全にフリーズしていた。器用な男である。じゃなくてさ。

「ねえ、なんで」

 私は御幸に告白し、玉砕した。正直、今もちょっと引きずってる。それでも、恋愛対象として見れないとまで言われた私は、すっぱり諦めたつもりだったのだ。それが一年ほど前のこと。

 で、そんな私に御幸は突如キスをした。それが、三日前のこと。

「黙ってちゃ分かんないよ、御幸」

 これでもさ、御幸。三日も考えたんだよ。特に何の前振りもなしに、いつもみたいにここでご飯食べた後、御幸は私にキスをしてさ。でも、御幸は何も言わなかった。ごめんとも、好きだとも。あまりに自然な動作だったから、白昼夢でも見てるのかとその場は流してしまったほどだ。でも、後から『やっぱキスされたよな?』と実感が湧いてきて、いてもたってもいられなくなった。けれど、それでも御幸は何も言ってくれない。

「私なら、キスしても怒らないと思った?」

 確かに、御幸が好きだった。正直今も好きだ。でも、だからって何されても許すような寛大な心はない。女心を弄ぶような奴だったとは思いたくないけど、流石にそこまでは許容できない。

 そんな私の問いに、御幸は緩慢な動きで首を振った。

「違う、そんなんじゃない」

「じゃあ、どんなつもりだったの」

「それ、は──」

 言いよどむ御幸の耳は、ほんのりと赤い。期待に胸が膨らむ。一年越しに私の恋は花開くかもしれないと、心臓が痛いぐらい軋んでる。けれど、野球馬鹿はこういう時何を言ったらいいのか分からないようで、困ったように目を泳がせているだけだった。全く、世話の焼ける男である。

「じゃあさ、御幸。こうしよう」

「……なに」

 逃げるように視線を宙に漂わす御幸に、私はにこりと笑って口元を指差した。

「今の私にキスしたらすんげえ不味いと思うけど、それでもしたい?」

 そう訊ねると、御幸はびっくりしたように目を瞬かせた。けれど、その間抜け面を笑ってやるより先に顎をぐっと掴まれたかと思うと、御幸の形のいい唇が噛みついてきた。ちゅ、と唇を舐めて、舌先を搦めてから、ゆっくりと離れる。そうして御幸は何とも言えない苦々しげな表情でこう呟いた。

「……もう二度と、こんな不味いもん買うなよ」

「それは御幸次第かな」

 そう告げると、御幸はますます表情を険しくさせた。こっちだって言いたいことは山ほどある。ちゃんと言うこと言えとか、この一年は何だったのかとか、キスしておいてなんて顔するんだとか、色々さ。でもね、蚊の鳴くような声で告げられた「努力する」って一言で、全部全部許してしまうぐらい、御幸のことまだ好きなんだよ、私。



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