Proof of Doting

 プロ野球選手・御幸一也の結婚はそれなりに球界を震撼させた。今の今まで浮ついた話は一切なく、寧ろ『女に興味があるのか』なんて下卑た記事が書かれる程度には、今時珍しい清らかなスポーツマンということで人気を集めていた。そんな彼がオフシーズンに入った途端、五年付き合った恋人との結婚を発表したのだから、取材が殺到するのも当然と言えば当然であった。

「いーい、余計なことは一切言わなくてもいいからね!」

「はあ……」

 そんなわけで御幸は今、球団の広報担当に捕まっていた。これから来るであろう取材対応について、レクチャーを受けるためである。御幸一也が私生活について取材を受ける頻度は、決して高くない。故に、リポーターや記者たちはこぞって彼の表に見せない面を掘り起こそうと躍起になるだろう。御幸は決して馬鹿ではない。だが、どんな発言が炎上に繋がるか分からないのだ。取材慣れしていないからこそ、彼にはそういった教育が必要だと“上”が判断したのだった。

「あと、奥さんの呼び方にも気を付けるように!」

「呼び方?」

「ほら、最近ジェンダーだ何だとかそういうの厳しいじゃない? 『嫁』は女の家と書くし、『奥さん』だと家の奥って意味になるし、『家内』は文字通り家の内、『女房』の語源は使用人っていうし……」

「ああ、なるほど」

 ご尤もだ。揚げ足取り、フェミニストの横暴、と辟易する男も少なくないが、少なくとも御幸はそういった表現に違和感を覚える方だった。御幸は自分の愛する人に家を守ってほしいとは思わないし、使用人だとも思ってない。

 言葉にはその言語を意味するだけの定義がある。他人と意思疎通する上で定義に即した正しい言葉を選ぶ必要があるのだから、それは揚げ足取りにはならないだろう。ただ、そこで噛みつくほどのフェミニズムもない御幸は、曖昧な笑いで頷く。

「──うん、まあこんなところかな。御幸君は受け答え下手だけど変なことだけは言わないし、大丈夫だと思うけど、気を付けてね!」

「いやいや、下手は言い過ぎでしょ」

「あれで上手いと思ってるならそれはそれで問題でしょ……まあいいや、十四時から取材あるから、サクッとよろしくね。繰り返すけど、余計なことは言わないように!」

 業界人は良くも悪くもイメージ商売である。若くして球団の顔となったイケメン捕手の株を下らない取材で暴落させるわけにはいかないと、広報も過敏になっているらしい。御幸だってそれで飯を食っているのだ、下手な地雷は踏みたくない。ありがたく忠告を頂戴し、御幸は取材へと赴くのだった。

「御幸選手! ご結婚おめでとうございます!」

「ありがとうございます」

 そうしてフラッシュ焚かれる部屋で、御幸は愛想笑いを浮かべて取材に応じる。広報担当が忠告したように、記者たちの関心はもっぱら御幸一也を射止めた謎の女の正体についてだ。何の仕事をしているのか、どこで出会ったのか、結婚の決め手は、プロポーズはどちらから何と言ったのか、結婚式はいつ頃か、家族は何と言っているかなどなど、果たして野球選手として答える必要があるのかと思うような下世話な質問ばかり。答える必要のないものは適当に誤魔化し、取材はなあなあで進んでいく。

「御幸選手! ●●スポーツの者です! 今シーズン、オフは奥様と何を!?」

 次に叫ぶように投げかけられた質問。何をもなにも、役所に行って婚姻届けを出したぐらいだ。ただ、そんな味気ない回答を求められていないことぐらいは分かる。記者の顔には覚えがある。そこそこ世話になっており、対応も悪くなかったと記憶している。彼ぐらいにはサービスしておくかと、記憶を漁る。そういえば最近、彼女にせがまれて旅行に行った。毒にも薬にもならないが愛想笑いよりマシだろうと、御幸はその話題を口にする。

「オフですか。最近──」

 あいつと旅行に、といつものような口ぶりで言おうとして、言葉を止める。一応公の場だ。『あいつ』は流石にないだろう。ではなんと呼ぶか。彼女は業界人ではないので、名前を出す訳にはいかない。三人称として『彼女』と表現するのも、婚姻相手に使うのも紛らわしいというかなんというか。であれば、と思った時に、先ほどの広報担当の忠告を思い出す。

 嫁もだめ、家内もNG、奥さんも間違っている、女房は以ての外。はて、それではなんと表現したものか。しまった、それを確認するのをを忘れていた。天才捕手として鍛えられた脳みそが、土壇場でフル回転する。そして最適解を叩き出し、御幸はその経験則を信じてそれを口にした──。


「俺の大事な人と、最近旅行に行きましたね」


 ──思えば、『パートナー』なり『妻』なり『配偶者』なり、尤もらしい言葉は腐るほどあったはずだ。ただ、御幸の思いのほか素直な感情と慣れぬ取材を前に、判断力の針が振り切れてしまったらしい。フラッシュが止み、マイクを向ける誰も彼もがぽかんとした顔を見て、御幸はようやく自分の失態を察した。

 『御幸一也、嫁を『大事な人』と溺愛』なんて見出しが夕刊のトップを飾るはめになったのは、言うまでもなかった。



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