Fishing in an Aquarium.

 御幸は意外と、人のことよく見てると思う。

「あれ、お前髪切った?」

 朝練を終えて教室へ向かい、授業の準備を進めてる時だった。隣の席の御幸が来るや否や、私を見てそんなことを言うので、思わず身構えた。

「えっなに怖い。親すら気付かなかったのに」

 確かに、昨日伸びた前髪を少し整えた。だが、ばっさりいった訳ではなく、数ミリ短くした程度。親どころか毎日顔を合わせる友達すら気付かなかったその変化を、御幸が気付くなんて驚きだ。

「なんだよ。こういう変化に気付ける男はポイント高いんだろ?」

「それは沢村に貸した少女漫画での話なんだわ」

 確かにちょっとした変化やお洒落に気付いてもらえるのは嬉しい、と思う人もいるだろう。だが、それは全員が全員ではない。見られているという事実に嫌悪感を抱く人も少なくない。まあ、私は前者だと知っているから、御幸はこうして声をかけたのだろうが。

「そもそも、御幸に言われてもあんま嬉しくないんだけどさ」

「お前、俺のこと何言っても傷つかない人間だと思ってねえ?」

「思ってはないけど、ほんとのことだし……」

 おかしいな。この間、新しく買った髪留めをつけて部活に行った時、純さんにそれを言及されて、結構嬉しかったんだけどな。御幸のこと好きでもないけど嫌いではないはず。あれ、と首を傾げてからすぐにその原因に気付く。

「分かった。あんた、『気付くだけ』だからだ」

「は? なに?」

「御幸、人の変化に気付くだけなんだよね。変化したことに対して何も言わないじゃない? だから嬉しくないんだろうなーって」

 なるほど、嬉しいのは『ちょっとした変化やお洒落に気付いてもらえる』ことではなく、『気付いた上で褒めてもらえる』ことなのか。そうだ、あの時の純さんは褒めてくれたのだ。それ買ったのか、いいじゃねえか、と。対して御幸は気付いただけ。そりゃあ、仮に御幸のことが好きだったら気付いてもらえるだけで嬉しいのかもしれないけど、普通はそこまで気付くなら褒めろよってなるわけで。この差かー、と一人頷く。

 思えば御幸は、一年にしてあんなに頑張ってる投手たちを真正面から褒めたところも見たことが無い。人には色々話すくせに、本人に直接言わないのは計算なのか何なのか。何にしても、褒められた性格ではないなと思う。今に始まったことじゃないけど。

「あんたさー、たまには沢村たちも褒めてあげなよ?」

「……いや、なんでそこで馬鹿どもが出てくるんだよ」

「釣った魚には餌やんないと、ってハナシ」

「褒めたら調子に乗る馬鹿は褒めねえことにしてんの」

「いつか腹を上にして浮かんでくるかもよ?」

「餓死しねえ程度には餌やってるって」

「まず飢えさすな、可愛い後輩を」

 けれど哀しいかな、投手たちはこの性格の悪い男に惚れこんでいるのだから性質が悪い。いつまでも想われてると過信しないようにね、なんて言いながらポケットからスマホを引っ張り出す。暗い画面を鏡代わりに少しだけ前髪を撫でつけている、と。

「別に──……さんだけじゃ、ねえから」

「は? 何?」

 御幸がぼそりと何か呟いた。ただ、教室はガヤガヤしてるし、御幸は明後日の方向向いてるから、何と言ったかよく聞こえなかった。だから聞き返したのに、御幸はまるっきり無視をする。

「そもそもあれ、俺が先に気付いたんだけど」

「何?」

「大体、釣れてない魚に餌撒いても仕方ねえだろ」

「はあ? 沢村たちはもうとっくに釣れてるでしょ」

「馬鹿どもの話はしてねーっての」

「え? じゃあ何の話?」

「馬鹿の話!」

「沢村と降谷以外の?」

「……」

 イマイチ要領得ない御幸の言葉にひたすら疑問符を投げつけるも、御幸は答えないまま突っ伏した。これからホームルームなのに寝るつもりらしい。眠かったのか、或いは寝惚けてたのか。こいつら揃いも揃って朝五時起きだし、仕方ないか。

「はいはいオヤスミ。一限始まる前には起こすよ」

「……」

 もう寝入ったのか、御幸は答えない。寝つきの良いことで。そんなことを思いながらもう一度スマホを覗き込み、揺れる前髪にため息が漏れる。ほんと、何度見ても自分でも気付くかどうかって変化だ。何だって御幸はこんな些細な変化に気付けたんだろう。こんなの、ずっと見てたって気付くかどうか分からな──。

「──御幸?」

 その時、全ての点と点が、線で繋がったような感覚に見舞われた。ずっと、見ていたとしたら。だったら、『褒めたら調子に乗る馬鹿』って、『釣れてない魚』って、なに。誰の、こと、で。

「……悪かったな、純さんみたいになれなくて」

 はっと息を飲む私の視線の先で、机に突っ伏した御幸がちらりとこちらを向いた。拗ねたような瞳が、珍しく緊張で揺れている。けれどすぐに姿勢を正す。即座にチャイムの音が鳴って、クラスのみんながバタバタと自席に戻っていく。そんな騒がしさすらかき消すぐらい、心臓の音がバクバクと鳴り響いて、煩くて、ちょっとでも口を開けば御幸にも聞こえてしまいそうだ。

 ……もしかして私、釣れちゃった?



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