『てつくん、てつくん。おとなになったら、わたしのこと、およめさんにしてね』 『うん、わかった』 そんな、誰にでもあるささやかな思い出。当時彼が好きだったのかさえ、記憶が曖昧なほど遠い遠い約束。けれどいつか、そんなこともあったねと笑い合う日が来るのだと、私はそう思っていたのだ。しかし。 「遅くなってすまない。俺の『およめさん』になってくれないか」 「……ごめん、いったん整理させて」 十月八日、結城哲也の十八歳の誕生日。自宅の玄関先で奴はバラの花を差し出してきた当の本人に、私は頭を抱える羽目になった。 哲とは所謂幼馴染。親同士が仲良くて、それこそゆりかごから一緒に写真に写ってるぐらいの仲。男女故か大きくなるにつれて一緒に遊ぶことは少なくなったけど、親同士の交流に陰りがなかったのと、家が近所という理由もあって、何だかんだ哲とも将司とも顔を合わせる機会は多かった。家が近いという理由で高校まで一緒になってからも、そこそこ会話してたし、野球の応援に行ったこともあった。けれど。 「私の勘違いだったら土下座するけどさ」 「ああ」 「……私ら、付き合ってたっけ?」 「ないな」 「だよね……よかった……いやよくはないか……?」 ひとまずお互い付き合っている、という勘違いではないらしい。そこはとりあえず安心だ。いや、その方がもっとおかしいでしょ。 「なんで?」 「お前が言ったんだろう。昔、およめさんにしてと」 「言ったね。てか哲も覚えてたんだ」 「親に何度もからかわれたからな」 「あー、うちもだわ」 子ども同士の可愛らしい『お約束』に両家の母親はもう大興奮。事あるごとに擦られれば、海馬にも嫌と言うほど焼き付くというもの。とはいえ、そういう出来事があったという記憶はあるものの、その後どうなったとか、当時どう思ってたかとか、そういった記憶はおぼろげだ。 しかし、何にしてもそれはもう十年以上前の話だし、そもそもなんで今更──。 「あっ、誕生日?」 「そうだ。ようやく十八になったからな」 「そうだったね。おめでとう」 「ありがとう」 そうじゃないだろと思いつつ、いつものように穏やかな会話がぽんぽんと飛び交う。なるほど、男子は十八になるまで結婚できない。十八になるまで待ってたんだろう──ってそうじゃなくて。そもそも、根本的な問題点がある。 「哲、私のこと好きだったの?」 「正直言って、分からない」 「分からんのかい」 「だが結婚するならお前だと思ってた。十年以上、ずっと」 ……おお、なんということだろう。この真面目堅物天然生物は、幼い頃の約束が現実になると思っていたのか。それも十年以上、ずっと。まるで刷り込みだ。こいつ恋愛したことないの? まあ、私もろくな経験ないけども。 何馬鹿なこと言ってんの。家帰ってケーキでも食べてな。そう言うのは簡単だ。言ったところで哲は大して傷つくこともないだろうし、次の日廊下ですれ違ってもけろっと挨拶してくるだろう。けれど。 約束守って律儀に花持ってプロポーズなんてベッタベタな姿に、一瞬でもときめいてしまったから。 「……とりあえずさ、哲」 「なんだ?」 「夫婦より先に、彼氏彼女から始めない?」 愛のない結婚だって、多分哲とならそれなりに上手くいくだろう。十年以上一緒に居たんだ、それぐらい分かる。だけど、どうせおよめさんになるのなら、愛し合いたいじゃないか。それが哲相手に今更できるのか、なんて杞憂は玄関のドアを開けた時からどっか行っちゃったわけなので。 「盲点だった」 「哲らしいよ」 真面目な顔してそんなことのたまう哲から花を受け取り、二人して笑った。なんとまあ、ロマンスもへったくれもない告白だ。それでもいいやと思うこの気持ちは、多分恋ではなく愛だ。けどさ、哲。せっかくなら私は哲と、恋をしてみたい──そんな風に、思えちゃったんだよね。だからひとまず、『およめさん』は予約ということで、よろしく。 なお翌日、話の顛末を聞いた純に『お前らは何も分かってない』と説教食らう羽目になった。 |