友よ、いい加減にしてくれないか

『フラれた』

 長年の友人からの連絡は、決まってこれで始まる。

『おっしゃ、いつもの店ね』

 そうして私は最低限の身支度を整え、お決まりの店へと向かう。

 会員制のバーなんて、普段なら足を踏み入れることのない未知の世界。ここが顔パスになっているのは、ひとえに友人のおかげである。尤も、こんな高い店、億プレイヤーの奢りでなきゃくることなんか、ないんだけどね。マスターに挨拶してバーの奥に通してもらえば、友人は相変わらずカウンターに突っ伏していて。

「三か月だっけ。続いた方じゃない?」

「うるせーよ……」

 友人──御幸は、バーの薄暗いライトの下でも分かるほど不自然に顔が赤く、すでに出来上がっていることが分かる。プロ野球選手がフラれてヤケ酒、なんてファンにはとても見せられない姿である。だが、私にとってこいつはイケメン捕手で名高いプロ野球選手ではなく、高校時代から続く友人である。マンハッタンを注文し、御幸の隣に腰を下ろす。

「で、原因は?」

「『ほんとに私のこと好きか分からない』」

「いい加減そのセリフ聞き飽きたんだけど」

「ほんとにな」

 御幸の不機嫌そうな声に、私はまたかと嘆息する。この男、性格はともかく顔よし身体よし稼ぎよしと優良物件のはずなのだが、何かと恋人と長続きしない傾向にあった。しかも決まって、『ほんとに私のこと好きか分からない』と、まるで御幸の愛情を疑うような形で破局していた。最初の方こそ『そんなこともあるさ』と慰めていたが、これが何年も続くと流石に不自然だ。そりゃあ、彼は花のプロスポーツ選手だ。一年の半分は野球の為に西へ東へ試合に赴き、シーズンオフには取材やTV出演と、球団の顔として酷使される日々。プライベートの時間などごくわずか、それを『寂しい』と思われるのは分かるのだが、にしても長続きしなさすぎる。なのでよっぽど塩対応なのか、夜の方がアレなのか、真相は友人でしかない私には定かではないけれど、なんにしても御幸自身に原因があると踏んでいる。

 なのに御幸は飽きもせず恋人を作ってはフラれ、その都度私がこのバーに呼び出される、という訳だ。奢りだし友人と飲む酒は美味いからいいんだけど、流石にこれは一言物申さねば気が済まない。

「ねえ御幸。私、次に呼び出されたらあんたに言おうと思ってたことがあって」

「なに」

 思いのほか食い付きよく反応する御幸は、酒にふやけた目をじっとこちらに向けている。御幸の性格はお世辞にも社交的とは言い難いが、こうして何年も友人関係が続いているのだから、人格破綻者というタイプではないはずだ。なのに恋愛に限っては何故かいつも上手くいかない。決まって同じ理由でフラれてるんだから、もう御幸だってとっくに気付いてるはずなのに、私は家を出る前から用意してきた言葉を口にする。

「別に、無理に恋愛することないでしょ」

「……」

「今の時代、結婚しなくても幸せになれるって誰もが気付いてる。なのに上手くいかないって分かってんのに、チャレンジする必要ある?」

「……」

「友人として言わせてもらうけど、御幸は恋愛に向いてないんだよ。なのに馬鹿の一つ覚えみたいに女作ってはフラれてさ……見てらんないよ、いい加減」

 御幸がどんなに女癖が悪かろうが私には関係がない。御幸の自由だ、好きに生きればいい。だけど、傷つく友人を『無関係だから』と放っておくにはもう限界だった。

「大体、何が楽しくてそんなに女捕まえてんの? どーせロクに会う暇ないくせに」

「……べつに」

 その原因を訊ねると、御幸は途端に歯切れが悪くなる。精悍な顔をむっと顰めて、カクテルグラスに手を伸ばすのも何度も見てきた光景だ。友人にも話したくないことなんていくらでもある。だから私もこれ以上聞かない。いつも話は此処で終わり、御幸がやけ酒しながら管を巻くのを私が黙って聞き、潰れる頃にこいつの球団の後輩を呼びつけて私はタクシーでおさらば、というのがお決まりの流れだった。美味い酒飲めるし私は良いんだけど、いい加減学習しろとは思っている。

「……おまえ、は」

「私?」

「お前は、どうなんだよ」

 だが、その日はいつもと違った。御幸の目が、じいっと私を見つめている。大して強くもないくせにジュース感覚で飲むせいで、御幸の目は泣いてるのかと錯覚するぐらい潤んでいた。常夜灯のようなライトが瞳の中で煌めき、きれいだな、と素直に思った。

「恋人、いないのかよ」

「いたら男とサシで飲むわけないでしょ」

 だから毎回私を呼ぶのだと思っていたのだが、違ったのだろうか。いくら大事な友人であっても、流石に恋人の存在がいる中で男と夜にサシ飲みはない。流石にそこまで非常識ではない。

「なんで作んねえんだよ」

「別に必要性感じないしなあ」

 あると便利なポイントカードでもあるまいし、と私は肩を竦める。言われてみれば、ここ数年は恋愛なんてめっきりご無沙汰だ。付き合いたいと思う人もいなければ、恋人が必要だと感じたこともない。仕事をして、休みには自分の好きなことして、たまにはこうして友人と遊ぶ。それだけで、私の人生は事足りると気付いてしまったからだ。それに。

「友達が恋愛失敗しまくってんのに、恋愛する気起こんないでしょ」

「……」

 恋愛は面倒だ、束縛がしつこい、あれやこれやと御幸の歴代元カノの愚痴を何年と聞いてきたせいか、どうにも恋愛への意欲は育たない。ちょっといい雰囲気になっても、ああそうだよな、恋愛って面倒だよな、そんな意識が先に来てしまうのだ。私が独身貴族を満喫している原因は、案外御幸にあるのかもしれない。だがそれで困ることもないので、まあいっかとカクテルグラスを傾ける。その時、ポケットの携帯が震え出したので嫌々引っ張り出す。案の定、画面には見たくもない上司の名前が表示されていて。

「ごめん御幸、仕事の電話みたいだからちょっと出てくる」

「おー」

「私のいない間に飲みすぎないでね。あ、マスター、もうこの人には飲ませないで」

「かしこまりました」

 愛想のいい初老のマスターがグラスをステアしながら軽く一礼したのを見て、私は椅子から降りて非常口から出て携帯に出る。矢継ぎ早に仕事の話をしてくる上司に、夜は長くなりそうだとため息を吐いた。



***



「御幸様」

「マスター、いいんだよ」

「恋人の有無を聞くだけで数年かかるようでは、口も挟みたくなります」

「頼む、マスター、何も言わないでくれ……」

「あのレディは、隣の芝は青く見える性質ではないでしょうに」

「分かってる。分かってんだよ……そんなこと……」

「このままでは老体が持ちません。店を畳む日も、そう遠くはありませんよ」

「……」

 友情という生易しい関係に甘えた男の長年の恋の行く末や、いかに。



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