Self do self have.

 『私と仕事どっちが大事なの』、『もうゴシップ誌で浮気を疑うのは疲れた』、『別れて欲しい』、御幸一也にとってそんなノイズは人生で何度となく耳にしてきた。プロ野球選手として人気も高く、多忙な御幸と付き合うには並大抵の精神ではいられず、並外れた努力もまた求められた。それに耐えきれなくなった者は一人、また一人と去っていく。ただそれだけ。ああまたか、なんて後姿に慣れきってしまった。もっと物分かりの良い子はいないものか、そんな風に考えてしまう程度には、御幸にとって恋愛とは非常に優先度の低い事柄だったのだ。

 彼女に、出会ってしまうまでは。

「これ、どういうことだよ」

 御幸の家のリビング。テーブルを挟んで向かいに座るのは、御幸の今の恋人だ。そうしてテーブルには自分も散々追いかけ回されているゴシップ誌が広げられている。ページに映るのは見知らぬ男──もっとも、世間的にはとても『見知らぬ』存在ではないらしいが──と仲睦まじく歩く、自分の恋人の横顔。

「みゆくんも気にしいだねえ。分かり切ってるでしょ?」

「質問の答えになってねえ」

「はいはい。こないだのドラマの共演者だよ。稽古場まで歩いてるところ撮られただけ。手も繋いでないよお」

 彼女はふわりと微笑みながら、ホールドアップして見せる。そんな所作でさえ華やかで、美しく、それでいて愛しく思うのだから、彼女の生業の恐ろしさを思い知る。

 御幸の恋人は、所謂『アイドル』と呼ばれる職業で生計を立てていた。それも国民的人気を勝ち得たアイドルグループのリーダーを務めており、最近じゃ女優業でも隠れ演技派として注目を集めている。御幸もそれなりに顔の知れた生業ではあるが、知名度で言えば彼女の比ではない。ちょっとドラマやTVをたしなむ若者であれば誰もがその名前と顔を知る、と言われるほどの人気っぷりだ。球団と彼女の所属するアイドルグループとのコラボ企画により生まれた接点は紆余曲折得て二人を恋人同士に導いたものの、如何せん彼女をつけ狙う人間は多い。身の程を弁えないファン、あわよくばを狙う同業者や業界人、そして国民的アイドルの裏の顔をすっぱ抜こうとする記者たち──とにかくトラブルの種は後を絶たない。おかげでこうして関係性を噂される週刊誌情報に振り回される羽目になるのだが。

「でも、この男はキスしてただろ」

「そりゃあお芝居ですから、必要ならキスもしますしハダカにもなりますよお」

 彼女のプロ意識は高い。芝居の為なら、歌の為なら、ダンスの為ならと、まさに粉骨砕身の気概で挑む。そういう気骨が業界人には受けがいいらしく、彼女のスケジュールは常にかつかつだ。だが、曲がりなりにも恋人がそんな仕事をしていると思うと、やるせない憤りを覚える程度には、御幸は今の恋人に夢中になっていたのだ。

 彼女は困ったように眉をきゅっとひそめながら、こてんと首を傾げる。
 
「みゆくん、不安?」

「……不安にも、なるだろ、普通」

 不安──そう、不安だ。浮気を疑っているわけではない。けれど、彼女の周りには男が多すぎる。芝居の為とはいえ女の顔を見せることも多いし、肉体的接触だって起こりうる。そんな中で、いつ彼女の心が御幸から離れるかなんて分からない。だから。

「『俺、仕事第一だけどそれでもいいの?』」

 すると女は、どこか芝居じみたセリフを舌に乗せる。聞き覚えのあるその言葉は間違いなく、付き合って欲しいと告げられた際に御幸が返した言葉である。その言葉に、彼女は笑ってこう言ったのだ。『私も同じだよ』と。

「みゆくんは、私と同じタイプだと思ってたけど、案外そうでもなかったねえ」

 怒るでもなく、寧ろくすくすとからかいがちに笑う恋人を前に、御幸はぐうの音も出ないでいた。まさに、どの口が言うのか、という話である。

「大事に思ってもらえるのは嬉しいよ。でも、私はこの仕事に誇りを持っているから」

 分かってる、そんなことは。TV越しに見る彼女がどれだけ輝いているか、誰よりも御幸が知っている。だからこんなことを言う方がお門違いで、そんなのは散々──そう、散々、今までの恋人に言ってきたはず、なのに。

「……それとも、もうしんどい? もう、わか」

「別れねえよ、絶対」

 少し寂しげな表情に、御幸は即座に否定の言葉を被せる。確かに、しんどいと思う時もある。彼女がアイドルなぞやめてくれたらと、思った日も一度や二度ではない。それでも、羽を毟り、籠の中のカナリアにするつもりはない。広い世界で羽ばたく彼女を愛すると決めたのだ。だから、耐えると誓った。心が離れたならともかく、『辛い』を理由に別れを告げるなどまっぴらだった。歴代の恋人たちのように、背中を向けるなんて──絶対に、してやるものか。

「私はみゆくんの、そういう強いところが好きになったんだあ」

 にこにこと、慈しむように囀る小鳥は本当に美しい。自分だけのものになってほしいと、今も焼けつくような炎が胸を焦がす。それでも耐えてみせる。それが御幸の愛であり、かつての自分自身への見栄でもあった。自分は我慢できる。決して身勝手な愛を押し付けるような奴らと同類にはならない、と。

 それでも、襲い来る不安は自分一人ではどうすることもできないでいて。

「……なあ、俺と仕事、どっちが大事?」

「ドームのツアーあるから、まだ仕事の方が大事〜」

 ああ本当に、こんな形で思い知る羽目になるとは。まさに、因果応報な人生である。



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