逃げ出す僕のルサールカ

コレの続き

※相変わらず色んなものがぶっ飛んでます















「で、断り切れず付き合い始めた、と」

「だって怖かったんだもん!! だってやばそうだったんだもん!!」

 御幸一也と一夜を明かしてしばらく、私は職場に近い居酒屋で、ビールジョッキを握り締めながら男と二人で向かい合っていた。男の名前は倉持洋一。こいつも青道のクラスメイトで、御幸の親友──そう言うと彼らは決まって渋い顔をするが──だ。理由は一つ、こいつの親友についてである。

 あれから、いいように言いくるめられて私と御幸の交際がスタートした。してしまった。正直断りたい。断りたかった。確かに顔も体もセックスも、何なら稼ぎも申し分ない。おまけに何年も私を好きでいたという、これ以上ないぐらい優良物件である。もしそんな相手に言い寄られているという友人がいたら、『何が不満なのさ、とっとと結婚しちゃえよ!』と私でさえ言ってしまうだろう。それもこれも『相手が私自身でなければ』の話だが。

「オメーは御幸の何が不満なんだよ」

「こわい。執着心がやばい」

「ヒャハハッ、そりゃそーだ!」

 他人事だと思って、倉持は笑いながらハイボールを呷っている。確かに優良物件なのだろう。故にこそ私に執着する理由が分からないし、十年近くその思いを引きずってたっていう事実も怖いし、その為に副会長と何年も交際し続けたってのもやばい。だから真相をつまびらかにした御幸に抱き潰された後、再度交際を申し込まれ、私は得体のしれない恐怖を前にノーと言えなかったのだ。

 なのでこうして倉持に助けを求めたのだが、こいつは何食わぬ顔で私が奢った酒をかっくらうだけ。タダ酒だと思ってこいつ……。

「けど、実際上手くいってんだろ?」

「なにそれどこ情報!?」

「御幸に決まってんだろ。お前、試合見に名古屋だの広島だの行ったらしいじゃねえか。あいつが本気で嫌なら、それこそ浮気でも何でもすりゃいいだろ」

「それは──」

 そう、清さも正しさも微塵もない交際がスタートしたが、相手はプロ野球選手だ。一年の半分以上野球球場で試合をしてるのだから、土日にゆっくり、とはいかない。なので私は御幸がいる試合会場に何度となく足を運ぶ羽目になった──新幹線代もチケット代もは気付けばいつも財布に仕込まれているので、嬉しいかな悲しいかな懐への打撃はない──。だがそれは、御幸への愛ゆえの行動ではない。

「仕方ないじゃん!! あいつ、寝てる私に貞操帯つけやがったのよ!!」

「ブホッ」

 頭おかしすぎる。元チームメイトの異常行動は流石の倉持も知らなかったようで、ハイボールを思いっきり咽こんだ。

 それは、御幸と何度目かの朝を迎えることになった日のこと。しばらく付き合えば飽きるかも、という一縷の望みにかけ、御幸に時間があれば可能な限り彼女らしく奴の高級マンションに通い詰めた。その日からしばらく遠征で関東圏に帰らないという話を聞いていた。だから逃げ出すチャンスだと思ったのだ。だが、そんな浅い考えは天才捕手に筒抜けだったらしい。いつものように抱き潰されて気絶するように眠り──何せ相手は現役プロ野球選手だ、体力が桁違いなのだ──、起きて再び失神するかと思った。自分の下腹部に、見慣れないステンレス製の鎖のような物が巻き付いているのだから。

『浮気対策、一応な』

『ハ!?』

『鍵は俺が持ってっから、どうしてもシたくなったら会いに来て?』

 寝起きで混乱する私にそれだけ言って、奴は堂々と試合に行ってしまったのだ。どんなに引っ張っても、ペンチで歯を突き立てても拘束具を壊すことはできず、私は途方に暮れた。そこそこ値の張るタイプなのか、トイレには困らないしスーツを着ていても目立たない物なのだが、これじゃ浮気どころか一人で処理することもできない。性欲については何年経っても衰えを知らない私にしてみれば食事を抜かれるよりも死活問題だった。だから通い妻よろしく、西へ東へ旅立つ御幸の元を訪れるしかないのだ。不可抗力である。なお、御幸は昨日からこっちに帰って来ているので貞操帯は外されている。

「ま、御幸の執着心がやばいのは認める」

「でしょ!? 倉持からも言ってやってよ! おかしーよあいつ!!」

「仕方ねえだろ、本気で十年前からお前のこと好きだったらしいし」

「ハア!? マジ!? てか知ってたの!?」

「俺らの代は全員知ってたっつの、副会長の件も含めてな」

「頭おかしいよあんたたち……!!」

 頭を抱えてテーブルに突っ伏す。仮に私が成績優秀で品行方正な少女であれば、その思いはギリギリ『純愛』になるかもしれない。けれど私は十代の頃から不特定多数の男と関係を持っていたような女だ。顔が好みなら、自分の父親と同じぐらいのおじさんとだってセックスしていた。そんな女相手に貫く『純愛』は一周回って怖すぎる。どう考えても思いに釣り合いが取れない。そもそも、だ。

「なんで御幸を正気に戻してくんないのよ!! 止めてよ、大事なチームメイトでしょ!? 友達百人が百人『あいつはやめとけ』ってなる筆頭だよ、私みたいな奴!!」

「言って聞くような奴だったらこうはなってねえよ」

「そりゃそうだわね!!」

「第一よぉ──お前、自分が言うほどダメな奴じゃねえだろ」

 焼き鳥の串に齧りつきながら倉持はそんなことを言うので、目からぽろりと鱗が落ちた気分になった。ダメじゃない、私が。きょとんとする私を前に、倉持は何を今更とばかりにため息を吐いた。

「大体、何がダメなんだよ」

「だって……私、一人の相手と長続きしないし」

「御幸とは続いてんだろ」

「そりゃ貞操帯なんてつけられたらね!」

「別に浮気しようと思えばできるだろ」

「ヤれないのに浮気しても意味ないじゃん!」

「で、結果的に御幸としかヤってねえんだろ? じゃ、一人の相手と続いてんじゃねえか」

 そりゃそうだけども。そりゃあそうだけども。それは結果論だ。この忌々しい拘束具がなきゃ私だって大人しくしてない──そうだ、結局はそうなんだよ、倉持。どんなに御幸に抱かれたって、私はきっと他の男を求めるよ。そういう女なんだよ、私は。今までだってそうだった。お前はだめな奴だ、一人の男じゃ満足できない、どうしようもない女だ、母親そっくりだ、そう言われ続けて私は──。

「うるせーな、ぐちぐちと」

 ガンッ、と倉持のジョッキが木製のテーブルを叩きつけた。

「そういうめんどくせえことは、そうなってから考えりゃいいだろうが!」

 まるで子どもを叱るような倉持の怒鳴り声に、今までうだうだ考えていたものが一瞬きれいさっぱり吹っ飛んだ。目をぱちくりさせる私には、そんな考え方はできなかったから。だけど。

「そんな──そんなの、効率悪すぎる。トラブルになるの、分かってるのに」

「トラブルにならねえかもしれねーだろ」

「倉持も、御幸も、なんで、なんでおんなじこと言うの、なんで」

「お前が自分で言うほど悪い奴じゃねえって知ってっからだよ」

「──っ」

 ちがう、そんなことない、私はだめな奴なんだよ。見かけに騙されてるだけなんだよ、みんなみんなみんな。だからおかしいのは私じゃない、御幸たちなんだって、ずっと。

「そりゃおかしいんだろーよ、御幸はな」

「だったら──」

「ウゼェぐらい言ってた。だから“首ったけ[Crazy for You]”なんだ、ってな」

 言葉を、失った。色々な感情が脳裏をぎゅんと過って、胸が詰まる。けれどそれと同時に、尻ポケットに突っ込んだ携帯が不規則なバイブレーション機能が発動して一瞬にして思考が切り替わる。携帯を見て見れば案の定、御幸一也の接近を告げるアプリの通知が見えていて。

「倉持あんた御幸呼んだわね!?」

「お前もお前でGPS仕込んでんじゃねえよ」

「ぶっちゃけちょっとこうなる気がしてたから──ええいもう! これ飲み代! 釣りは取っといて! じゃあね!」

 財布から万札取り出してテーブルに叩き付ける。鞄を引っ掛けて我関せずとばかりにジョッキを傾ける倉持に背を向けて私は立ち上がる──と。

「おいバカップル」

「誰がバカップルよ!!」

「──鞄から、野球のルールブック見えてんぞ」

 ばっ、と鞄に目を落とす。移動時間に目を通しておくかと買っておいた子ども向けのルールブックの表紙がチラ見していた。声にならない悲鳴を上げながら鞄に本を押し戻し、私は火照る顔をそのままに居酒屋を飛び出していった。『そういうところだぞ』と、倉持の幻影がせせら笑っているような、そんな気がした。

 なお、GPS仕込んでたのはお互い様だったらしく、物の五分で御幸に捕まることになるのだが、それはまだ私の知り及ぶところではない。



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