異教徒たちのララバイ

 その女について知っていることは、あまりに少ない。死に際に見た幻だったと言われる方が、まだリアルだとさえ。

 金山寺を一人降り、経文を抱えて妖怪たちを殺し、殺し、尚も殺して走り続ける日々。誰にも頼れず、誰も信じれない。愚かにも、目に映る生物は全てが敵で、殺すべき対象としか見えなかった。その日も、経文を付け狙う妖怪の群れに襲われ、命からがら逃げだした。何人か殺したが、それで諦めるような連中じゃない。ついには弾が切れ、追い詰められたその時だった。

 高らかな銃声と轟音が、目の前の敵を一掃した。

「ウーン、威力はいいけどR指定モノね。ミンチにしちゃった」

 丸太のような銃器を抱えてそんなことを言ったのは、自分とそう背丈の変わらない女だった。

 女は武器商人だと語った。遥か西の大陸から各地を流離い、身を守る為の武器を売ったり、開発したり、時にはその扱い方を教えるのだという。妖怪たちの凶暴化に伴い、武器の需要は高まる一方。非力な女子どもでも扱える銃器は飛ぶように売れるのだと、聞いてもないことをペラペラ喋りながら、お節介にも女は傷の手当てを施し、三日分の食料を譲ってくれた。

 信用できない。何故見ず知らずの人間にそこまで親切にするのか。訝しむ自分に、彼女は快活に笑った。これは投資だ、と。

「投資?」

「そ、君みたいな子はいずれ私の顧客になるだろう? 大事な顧客がそこいらで野垂れ死ぬなんて、ああ、勿体ない! 命をなんだと思ってるんだ、バカタレ!」

 命を奪う武器を売りさばく人間が何言ってんだと声を大にしたいところだが、あばらが折れていたので飲み込んだ。不思議と目の前の女からは敵意を感じない──そもそも敵意なんてのがあれ妖怪もろとも挽肉にされている──、されるがままに手当をされ、薬だ包帯だと押し付けられる。そこまでされる筋合いはないと跳ね除けるも、女は引かない。

「命は大事にしなって。どうせ、この先一人で行くんだろう?」

「貴様には関係ない」

「言うと思ったよ」

 ぎゅっと額に巻かれた包帯をきつく締めあげられ、思わず呻く。女の顔がずいっと近づいてきて、思わず後ずさる。その拍子に、ごつんと大木に後頭部をぶつけ、一瞬の隙。女の唇が、包帯越しに額に押し当てられた。そして。

『Dios te bendiga』

 意味を介さない、言語の羅列。女はやんちゃな子どもを見るような目でそんなことを言って、ゆっくりと立ち上がった。そうして荷物やら武器やらを担いでその場を後にした。それからもう二度と、彼女の背中を見ることはなかった。たったそれだけの邂逅。だというのに、あれから十年近くたった今、ふとした拍子に思い出すのだ。銃声と轟音、薬品の匂いと叱りつけるような声、最後の言葉。

 それが三蔵の初恋ですか。罰ゲームが終わった男に、八戒はそれはもう楽しそうにはしゃぐのだった。



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