嘘吐きメシア

 二つのお部屋に、ダイニングとトイレと風呂。それが私の、世界のすべて。

 もう何年と、この部屋から出ていないのか、数えるのも面倒になった。ただ、この部屋にいれば安全だと彼が言うのだから、そういうものかと受け入れた。学校にも行かず、親にも会えず、いったい私は世間的にどうなっているのか。これまた、考えるのも面倒だ。ただ一つ確かなのは、私はこの部屋にいる限り、生きていけるということ。

「ごめん、遅くなった」

 そう言いながら、悠一はいつも窓からこの部屋に来る。ここ、七階なんだけど、悠一はNARUTOみたいにぴょーいと飛んでくるのだ。詳しくは知らないけど、悠一は今生身ではないらしい。俗にいうアバター的な状態らしく、身体能力が飛躍しているのだとか。しかし、目の前の男は青色の怪物ではなく、私のよく知る幼馴染の姿そのもの。不思議な技術だ。

「待ってはないけど、お腹空いたし先ご飯食べちゃったよ」

「いいよ。おれも玉狛ですませてきた」

「こなみちゃんさんのカレーかな?」

「残念、今日はレイジさんのハンバーグだった」

 外の世界の話を聞くのは、好きだ。この部屋にいるだけじゃ、情報に限りがある。パソコン、映画、小説、漫画、アニメ──情報を収集するのにあたって様々なものを悠一から与えられているけれど、やっぱり彼の口から語られるお話の方が、何倍にも面白い。

「いつか、会いに行きたいなぁ。レイジさんにも、こなみちゃんさんにも」

 会いたい人はいっぱいいる。彼の口から紡がれる物語の登場人物は決して少なくない。だから私は悠一の話を聞いては、ノートに登場人物たちの好きなもの嫌いなもの、その日起こったこと、たくさん綴っている。私にとっては、お伽話と大差ない世界。大きく異なるのは、彼らと私の世界はギリギリ地続きである、という点。だから私は、いつか物語の中でしかない彼らと会うことを、夢見ている。

 けれどそれは決して今日明日叶うことではないのだと、私はよくよく理解している。何故か悠一には未来を予言する力があった。それだけなら彼一人が大変で片付く話だったのだが、その未来を見通す彼が言うのだ。

『お前が、死ぬ。どうやっても、回避できないんだ、どうして』

 どうやら私はまゆしぃも笑えないレベルに死の女神に溺愛されており、買い物に行けば車が突っ込んでき、散歩すれば頭上に鉄骨が落下し、学校に行くだけで線路に突き落とされ、友達と遊びに行くだけで通り魔にめった刺しにされかけた。挙げればキリがないのだが、とにかく私は何度となく死に目に遭い、そのたびに悠一に救われてきた。優しい彼は私を見殺しにはできないのだと、何があっても飛んできてくれる。まさに救世主だ。だがもう流石に私も疲れてしまった。どこへ行っても死にかける。そのたびに世界を守るので大忙しの悠一の時間を割くのも気が引けるし、何より家族や友達にも迷惑がかかる。ついに私たちはある決断をする。

『悠一がいいって言うまで、私は引きこもるよ』

 何故か私は家にいれば死に目には遭わない。家の中だって危ないこといっぱいあるけど、何故か大丈夫なのだと悠一は言う。だったら彼の目に私の明るき未来が映るその時まで、私は誰の迷惑も掛からぬこの広い家に一人、閉じこもろうと決意したのだ。

 勿論、並大抵の所業ではない。毎日孤独感に押しつぶされそうだし、もし悠一に何かあったらと思うと、夜も眠れない。私は一人ぼっちだ。助けを求めようにも、外に出たら死んでしまう。第一、私だけが死にかける日々の中で、悠一以外の誰が助けてくれるというのか。だから私はそういった悲しいことをぐっと飲みこんで、明日を夢見るのだ。いつか彼の青い目の向こうに、また日の下を歩く私の姿を信じて。

「ごめん──おれ、こんなことでしか、ごめん」

 責任感の強い彼は、そんな私の苦しみを己が苦しみのように受け止めてしまう。泣きそうな顔で私を抱きしめる彼は、本当に優しい。私を守るのも、この部屋を用意したのも、毎日私に食料や娯楽を届けてくれるのも、話し相手になってくれるのも、全部彼の優しさだ。だからこそ私は、明日を夢見て、信じられるのだ。

 いつかこの嘘が、彼の優しさに押し潰されるその時を。



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