Timing

 結婚式。昨今は金銭を安く抑えるため、或いは親族友人間のトラブルを避けるためにと、挙式自体を避ける人は多いという。それでも、プロ野球選手となり、所謂『業界人』の一員である御幸一也はそういった付き合いで式に招待されることは決して少なくなかった。ゴンドラが空を舞い、歌だダンスだでショーのように盛り上がる式を見ては、もし自分に恋人ができたらこういうものを好まない人がいい、と思った程度には、まあ、御幸にとって結婚式とは面倒事の一種であった。

 さて、オフシーズンである年末に向けてそういった招待が増えるので、郵便受けを見るのが億劫になり始めた頃、そんな御幸の元に一通の結婚式の招待状が届いた。今月何通目だと辟易しながら差出人を見て、御幸はハッと息を呑んだ。

「──あいつ、結婚するんだ」

 そこに綴られていた名前に、御幸は欠席する理由を失った。



***



 広い式場に、見覚えのある顔やそうでない顔がテーブルを囲んで座っている。久々に見る顔も、そうでもない顔も、懐かしさのあまり遠くに甲子園のサイレンが聞こえた気がしたほどだ。御幸にとってはそれだけでここに来た価値がある、とさえ思えた。

「うおっ、お前来てたのかよ」

 隣の席に座ったのは、かつて共に甲子園の土を踏んだ仲間。倉持洋一は相も変わらぬ人相の悪い顔に、似合わないスーツを着込んでいた。倉持だけではない、かつて共に切磋琢磨した高校時代のチームメイトたちが何人も、みな屈強な肉体にスーツを纏い、肩身狭そうに席についている。それもそのはず、今日の主役はそんな高校時代の野球部のマネージャーだったのだから。

「なに、俺がいちゃ困んの?」

 ニヤニヤと、かつてのようにかわかう笑みを湛えれば、倉持はばつの悪そうに顔を背けた。チッとこの場にはそぐわぬ舌打ちも付け加えて。

「お前な──いや、呼んだあいつもあいつだけどよ……」

「別にいいだろ、付き合ってたのなんか十年も前なんだから」

 そう、倉持の言い分も分かる。なんたって今日の主役は、かつて御幸と交際していた相手──所謂、元カノだったのだから。

 野球部員とマネージャー。恋愛に現を抜かす暇はなかったけれど、いつだって笑顔でサポートしてくれるその人が気になるようになり、余計なちょっかいをかけ始めたのがきっかけだったっけ。そんな彼女と付き合い始めて、それなりに喧嘩もしたが、上手くやっていけたとは思う。その順風満帆な日々が終わりを迎えたのは、御幸の人生の転機。野球選手として高校卒業後にプロの道を歩み出してから。

 毎日試合と練習と試合と練習。週に一度の休みは身体を横たえるだけで一日が終わってしまい、寮生ではデートに行く暇もなく。更には彼女の住む地と御幸の球団の本拠地が遠く離れていたこともあり、二人の間には埋められない溝が徐々に増えていくのは、自然の摂理だった。

「十年って……もうそんな経つのか」

「一緒に酒飲めなかったし」

「あー……」

 倉持が何とも言えない表情を浮かべた時、周囲のライトがフッと落ちて暗くなる。ややあってから穏やかな音楽と共に司会の声が響き、入場口がパッと開いて新郎新婦が入場した。もう何年も見ていなかった彼女は純白のドレスに身を包み、幸せそうに笑顔を浮かべていた。

 その姿は、まるで眼球が焼けるほどに。ただ、美しい。

「──、」

 彼女と別れると決めた時、それが互いのためになると思っていた。ろくに会えぬ男にいつまでも付き合わせるのは申し訳なかったし、何度も寂しい思いをさせて涙を浮かべる彼女はとても辛そうだった。だから結婚式の招待状を受け取って、安堵したのだ。彼女はちゃんと、幸せになったのだと。

 惜しむらくは、自分の手で幸せにできなかったこと。それだけ。

「実際、未練あったりしねえの」

 挨拶もそこそこに、披露宴スタートし、食事が一斉に運ばれてくる。何とも分からない魚料理に手を付けた時、こっそりと倉持が耳打ちしてきた。

「未練、ねえ……」

 ちらり、と彼女を見る。遠くにいる花嫁は友人たちに囲まれて、涙と笑顔でいっぱいだった。その顔を見ると、やはり思わないところが無いとは言い切れない。情けない話である。

 プロ野球選手として歩み始め、大成するまでそう時間はかからないまま、彼女と別れて十年の月日が流れた。寮を出て一人で暮らすようになり、自由に過ごせる時間も増え、昔ほど朝から晩まで練習することは無くなった。十年選手ともなればもはやベテランの域、今は故障を防ぐためのオーバーワークを避けるほどだ。

 もしも『今』だったらと、招待状をもらってからずっと脳の片隅に住み着いた囁きが蘇る。もしも今の御幸だったら、彼女と別れることなく上手くやれたのではないか、と。結局のところプロ野球選手に慣れ[・・]てから何年も経ったのに、彼女に連絡を取ることなく今日の今日まで過ごしてきた御幸にそんな資格はない。招待状を手にした時点で、全てが手遅れだったのだから。

「もうちょい早く一軍定着してたら違ってたかもなー、とは」

「未練タラタラじゃねえか」

「……いやいや、別に」

 そう言いつつ、御幸は倉持から顔を逸らした。思うところがないとは言わない。それは嘘ではない。とはいえ、とはいえ、だ。別れて十年である。今尚記憶の中で輝く彼女が他の男に恋をして、結婚に至るには十分すぎる年月だ。だから悔しいだとか、辛いだとか、そういった負の感情はさほどない。ただ単純に、間が悪かったのだという事実に、少しばかり切なさを覚えた。それだけだった。

「流石に、そこまで引きずってねえって」

 嘘じゃない。今更ウェディングドレスを着た花嫁をどうこうだなんて、微塵にも考えていない。それでも思うところがあるという話。それだけ、御幸にとって彼女は大きな存在だった。十年経ってもなお、思い出が色褪せない程に。

「ほーん」

 そんな御幸の弁明を、倉持が不服そうな表情で聞いていた。そうして似合わぬ格好で似合わぬ洒落たワイングラスを傾けたまま、倉持は花嫁たちをちらりと見た。

「あいつは八年、引きずったぞ」



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