アンデルセンが嗤ってらぁ

「やっぱお前のこと、友達としてしか見れねえ、カモ」

 その一声で、私の一世一代の恋は終わりを告げた。世の中クソだわ。

 とはいえ、その一世一代の恋──御幸一也を好きになった理由は、単純に部内で一番目立って一番かっこよくて、それでいて不思議とよく話す間柄だったってだけ。まあ高校生なんて得てしてそんなものだろう。玉砕覚悟で告白したら思いのほか色よい返事を貰えて、初彼氏に浮かれて数か月でこれである。私の浮かれ気分を返してほしい。

「ま、まあ友情なら終わんないしね。これからは友達としてヨロシク、御幸」

 とはいえ、ここまで言われて食い下がるほど未練がましいことはしたくなかった私は、自分でも驚くぐらいあっさりと別れを受け入れた。流石にその日は幸や唯に泣きついたが、一晩泣けば存外気持ちは切り替えられるもので。何だかんだ高校三年の長い長い夏を駆け抜けるまで、私と御幸は『友人』或いは『部活仲間』という立ち位置に戻ったわけだけども。

 歯車が狂いだしたのは、いつからだったか。或いは、何が原因だったのか。西の大学に行くため一人暮らしをするんだと御幸に言ってしまったことか。御幸をドラフト一位で指名した球団の本拠地が、私が引っ越す予定のマンションからそう遠くなかったことか。二年連続甲子園出場を決めた後輩を応援すべく駆け付けた時にプチ同窓会が始まってしまったことか。そんな同窓会の会場に、我が家を選んでしまったことか。家を知った御幸が事あるごとに訊ねてくるのを、日常として受け入れてしまったことか──。

「(全部が全部だなあ……)」

 まあそんなわけで、物の見事に『友達』という枠に収まってしまい、早数年。いやダメだって分かってる。分かってるんだけどやっぱまだ好きだし。何だかんだ一緒に居て楽だし楽しいし。ハグもキスもセックスもないけれど、実質付き合ってるようなものではないでしょうか。でも御幸は事あるごとに、或いは私に釘刺すように『やっぱお前とは友達のが気楽』とか抜かすんだから一発や二発殴ったって許されると思う。まあ、そうすることもできずに御幸を受け入れてしまってる私が悪いんだけどもさ。

 不健全。流石に同情する。さっさと切っちまえ──友人たちからは耳にたこができるほど言われた言葉だ。そんなことは私が一番分かってる。だけど、ごくごく普通の友達のように家でゴロゴロして映画見たりドラマ見たりして、二人で並んでご飯作ったりして。恋人のようにイチャついたりセックスしたり、そんなことは一度もしていないけれど、この日々を手放してしまうぐらいなら、私は一生このままで良かった。これで御幸が他所に女を作るほど酷い男だったら私もすんなり諦められたのに、奴は頑ななまでに『恋人』の座を用意しなかった。私にも、とある有名女優にも、とある美人アナウンサーにも。

「恋愛は終わるだろ。だから、いらねえ」

 それが御幸の口癖で、ポリシーだった。終わらない恋愛もあるよと説得できるほど自分に魅力が有り余ってるわけでもない私は「そうかなあ」なんて濁すだけ。卑怯なのは分かってる。臆病なのは百も承知。それでも、野球の中継見ながらビール飲んで一球一打に大はしゃぎして、「いつか俺もあの場所に」なんて目を輝かせる御幸にエールを送る生活を終わらせたくなかった。

 何より御幸は、友情なら永遠に続くって信じてる。それはつまり、私との関係もまた永遠に続けたい、と言ってくれているのも同義。他にこうして家に入り浸るほど親しい女友達はいないので──というか奴には『友達』自体少ないのだが──、この特権は私の中で何よりも誇らしかった。だから誰に何と言われようが、御幸が拒絶するまでこの歪な関係を続けるつもりだったのだ。

 ──あの日、友人から一通の手紙をもらうまでは。



***



「御幸、もうこういうの終わりにしよう」

 あの同窓会から早数年、二軍生活もオサラバし、一人暮らしを始めた御幸はますます私の家に入り浸るようになった。それを嬉しく思った日もあるが、それも今日この日まで。私の好きなビールとさきいかとビーフジャーキーを手土産にやってきて、我が物顔でスウェットのままソファにくつろぐ御幸に、私は意を決して告げた。

「……こういうの?」

 御幸はきょとんとした顔で、私の言葉を繰り返す。彼の驚いた時のぽかんとした顔はあどけなさが残ってて、様々な思い出が走馬灯のように過った。だが、かぶりを振って私は毅然と言い切る。

「家に来るの、もうやめて」

「じゃあ俺んち来る?」

「行かない。違う、そういうことじゃない」

「どういうことだよ」

「もう御幸と二人で会わないってこと」

 御幸が手にしていたミネラルウォーターのボトルが、ばしゃんと床に転げ落ちた。私が何を言っているのか理解できないとばかりに、御幸は表情を強張らせている。

「なんで」

「結婚したいの。だから婚活始めるつもり」

「……こん、かつ?」

「婚活してんのに、他の男家に呼ぶなんてできないでしょ」

 そう、私がこの生活を区切ろうと思ったその理由。結婚がしたいのだ。そりゃまあゆくゆくは御幸とできればって思ってたけど、このクソヤロウにはその気はないらしい。若いうちはこの馬鹿に青春捧げるのも悪くないって思ってたけど、状況が変わったのだ。

 ──友人からの手紙は、出産の報告だった。ついでに結婚しました、とも綴られたその手紙には彼女と、旦那と、生まれたばかりの赤子の写真が同封されていた。そんな写真に祝いや妬みよりもまず、私は焦りが生じたのだ。

「結婚っていうかさ。私、子ども欲しいんだよね」

 一昔前はクリスマスケーキだとかおせちだとか揶揄られていたけれど、今は女だって一人で生きていける時代。結婚や出産を避ける人も珍しくはない。それでも私は子どもが欲しかった。長年の夢だった。結婚は年齢を問わないが、出産となると話は別だ。生物としてはどうしても、いつか私は血の繋がった我が子を抱けなくなる時期がやってくる。それは、嫌だった。

 例えこの生活を手放すことになったとしても、それだけは。

「だから、御幸とはもう会わない。そりゃ同窓会とか、みんなで遊ぶってなったら別だけど。サシはまずいしね」

 友情と恋愛は別だし、男女間の友情だって成立するとは思う。肉体接触はただの一度もなかった私たちは、紛れもない『友人』だ。それでも、家に押しかけて来る男とつるみながら結婚相手を探せるほど、私は他人に不誠実になりきれなかった。どうせ実らぬ恋だったのだ。いい機会だと、神様が言ってるのだ。そんな不毛な恋は、もう終わらせてしまえ、と。

「……」

 御幸は何を考えているのか、じっと私を見つめたまま言葉を失くす。漫画やドラマなら『だったら俺と結婚しようぜ』なんて大逆転ホームランかませるんだろうけど、生憎期待するだけ無駄だ。その希望を何度も断たれたから、私は御幸から離れることにしたわけで。

「なんで」

 それは疑問ではなく、独り言のようだった。ぽつりと転がったその言葉の意味が分からず、軽く首を傾げた。すると御幸は、ソファから勢い良く立ち上がった。

「友情は、終わらないんじゃないのかよ」

 納得できないとばかりに、御幸は憤っている。怒りたいのはこっちなのに、怒りを見せる程度の執着心はあったことだけで、喜んでしまう自分も大抵大馬鹿だけど。

「……御幸とはこれからも友達だよ。ただちょっと、生活リズムが変わるだけ」

 別に友情に見切りをつけるわけじゃない。御幸との関係を聞かれたら、『友達』と胸を張って答えられるだろう。今も昔も、ずっと。ただ、いつか夫になる人がいるのだとしたら。私の夢が叶って母になるのだとしたら。家に入り浸るこの男には、それ相応のけじめをつけなければならないだけ。

「だったら、これからもいつも通りでいいだろ」

「言ったでしょ。家に入り浸る男がいるのに婚活はできないって」

「俺より出会ってすらない男の方が大事かよ」

「じゃあ私は御幸のために夢を捨てなきゃいけないの?」

 諭すように言えば、御幸は言葉を詰まらせた。御幸だって馬鹿じゃない。分かってるはずだ、夢を捨てることにどれほど苦痛を伴うのか。だって彼は夢に破れた者たちを乗り越えて野球やってるんだから。

「御幸は、恋愛も結婚もしないでしょ」

「……ああ、しない」

「私は御幸のことずっと好きだし、友達だなんて微塵にも思いたくなかったし、御幸と結婚したかったし、御幸との子どもがほしかったよ──ねえ、これのどこが友達だっていうの」

 御幸にとって、私は良き友人だったのだろう。気の置けない男友達のような存在だったのだろう。たしかにこの関係に名前をつけるとしたら友情でしかなかったとしても、それでも私にとって御幸はずっと好きな人だった。ただ甘い餌に釣られて、友情に甘んじてただけだ。御幸が望む通りに、無様に踊って、踊って、踊り続けて、やがて血まみれになって身動きができなくなった。

 でも私は、この赤い靴を脱ぐことができる。まだ、自分の意志で。

「なんで……このままじゃ駄目なんだよ」

 失意に満ちたその疑問に答えるのは、簡単だ。御幸が私を好きになってくれたら。或いは、私が『女の夢』とやらを諦められたら。きっとそんな生活はこの先も続いたのだろう。でもきっと、そんな『もしも』は訪れない。人魚姫のように劇的な悲恋さえも望めぬまま、澱んだ部屋で一つの友情が終わっていく。裏切られたような顔で沈む御幸が、ほんの少しだけ憎たらしく感じた。



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