オブラートは用法・用量守ってご利用ください

 普段から怒ってる人よりも、普段怒らない人が怒った方が怖いのはなんでだろう。

「チッ、気分悪ィ……!」

 そんな風に品のない舌打ちをして、荒々しくプレハブから出ていく御幸君を見送って、私はあまりの恐怖に震えあがりながらプレハブの影でしゃがみ込んだ。

「(こ、怖すぎる、ッピ……!)」

 心臓が未だにバクバクしてる。まるでお化け屋敷を全力疾走した気分。御幸君ってあんな怒ることあるんだ。っていうか、怒るとあんなに怖いんだ。初めて知った同級生の一面に、ぶるりと身震いした。

 同じ部活の御幸君は、基本的に温厚だ。比較対象は伊佐敷先輩とか倉持君なので別段温厚って訳じゃないんだけど、まあ、比較的というやつだ。同級生や先輩にイジられてもヘラヘラしてるし、味方のエラーや貧打拙攻に苛立つこともない。眼鏡でボーっとする姿は、顔だけ見たら文学少年にさえ見える。にしたって首から下が屈強すぎるんだけども。

 ええと、まあ何が言いたいかというと、御幸君があんなに怒ったところを見たのは初めてってことだ。

「(す、すご、迫力あるな〜……)」

 これが伊佐敷先輩や倉持君なら『お〜やってるやってる』程度で済んだのになあ。なんだかよくないものを見てしまった気がして、私はふるふると首を振る。忘れよう、それがお互いのためだから、と。私は意を決してプレハブに足を踏み入れ、高島先生と──何故か落ち込んだ一年生がいたが──来週の練習試合の日程調整を行うのだった。



***



 けれどまさか、あの日がこんなにも尾を引くなんて思わなかったのだ。

「あのさ、俺、マネさんになんかした?」

 その結果、御幸君に取っ捕まる日が来るなんて。ど、どど、どうしよう。気まずそうな顔して見下ろしてくる御幸君に、私は言葉を詰まらせた。

 あの日、荒れた御幸君がどうにも記憶に焼き付てしまったらしく、私の脳内で御幸君=実はめっちゃ怖い人、というイメージが植え付けられてしまった。そのせいか話しかけられれば飛び上がり、一言二言会話するだけで心臓が縮み上がり、果ては適当な理由をつけて逃げ出す始末。当然、不審者にでも出くわしたような態度に、御幸君が不審に思わないはずもなく。部活が終わってさあ帰ろうとなったところで呼び止められ、室内練習場の裏手まで連行されたわけだ。

 君が怖いなんて言えるはずもなく、私は笑って誤魔化すことに。

「なにかって、なにが? 御幸君が、私に? なんで?」

「や、なんかスゲー怖がられてる気がするんだよな。一週間ぐらい前から」

「(全部バレてる〜〜〜!!)」

 真剣な顔でじっと見つめてくる御幸君。流石我が校が誇る天才捕手。その観察眼からは逃れられなかったらしい。

 元々御幸君と倉持君は同じクラスで、幸子や唯よりは二人と話す機会が多かったのも敗因の一つだろう。つい一週間前まで普通に接していた部活仲間兼クラスメイトが突如として余所余所しくなるのだから、そりゃあ不審に思うわけだ。

 だめだ、誤魔化せる気がしない。

「えーと、なんと申しましょうか……」

 とはいえ、別に御幸君が嫌いだとかそういうことはない。ただ少し、イメージが変わったってだけで、勝手に戸惑ってるだけ。どうしたものかと考えながら、なるべくふわふわ言葉を、オブラートに優しく包み込もうと頑張る。

「あのね、少し前に御幸君の──その」

「俺の? なに?」

「なんていうか……その、イメージが一変することがありまして」

 私の精一杯のふわふわ言葉に耳を傾ける御幸君の表情は、依然険しいままだ。当たり前だ。ふわふわ言葉すぎて要領得ないのだろう。ええと、つまりだね!

「御幸君も、やっぱり男の子なんだなあ、と」

「──、え」

「ちょっと(怖すぎて)ドキドキしちゃったといいますか、(普段のイメージ違うから)見る目が変わったといいますか、それで、その、顔合わせたらその(怒ってた)時のこと思い出しちゃって、こう──」

「ちょ、ちょっと待った!」

 私のオブラートに五重で包んだ言葉を遮って、御幸君が待ったをかける。見上げる御幸君は暗がりでもハッキリと分かるぐらい真っ赤に染まっていて。手の甲で口元を抑えながら、彼は二歩、三歩と後退る。

「え? なあに?」

「なに、って、そりゃ」

「そりゃ?」

「お、ま──」

 御幸君は「嘘だろ」とか「なんだよこれ」とか、訳の分からないことをブツブツ言いながラ顔を思い切り逸らす。いや、こっちのセリフなのですが。どうしたんだろう。まさかふわふわ言葉をオブラートに包みすぎて、なんか変な風に伝わってしまっ──。

 ──いや、ちょっと待って!?


「俺のこと……口説いてる?」


 オブラート、物凄い方向に効力発揮してませんか!?

 御幸君のおかしな様子にようやく察しがついた私は、その場でぶっ倒れるかと思った。いや確かにドキドキしたけど、それは恐怖によるものであって。いや確かにイメージ変わったけど、それはどっちかっていうとそこまでよくない方であって。いやあの、その、そういうわけじゃないのであって。

 なのに御幸君が、「俺も」なんて言い出すから。

「その、マネさんのこと、いいなって、だから──」

 あんぐり口を開けた私はさぞ大間抜けだっただろうに、御幸君は赤みを帯びた頬をそのままに、緩やかに笑みを浮かべた。部活中も教室でも見たことのない、御幸君の嬉しそうな笑顔を前に、とても本当のことなど言い出せなくて。

 この場を切り抜けるオブラートは、どうやら存在しないっぽい。小心者の私は告白まで引き出してしまった御幸君を前にとても正直に言い出せず、ひとまず愛想笑いを浮かべることにした。ど、どうせ御幸君ほどのイケメンだ。一種の気の迷いだろうしさ。それでいつか二人の関係が終わってからずっと後に、『実はあれは御幸君の勘違いでね』なんて酒の肴にしちゃえばいいやと、そんな風に思ったのだ。

 ──まさかその秘密を御幸家の墓まで持っていくことになろうとは、今の私には想像だにしなかった。



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