マスコットウォーズ

 ファンに向けたグッズ展開──それはアーティストだろうがスポーツ選手だろうがアニメだろうが等しく行われる商売である。何故ならグッズは収益率がいい。グッズ担当はファンたちの購買意欲を煽るような商品を開発し、あの手この手で売り捌く。その中にはタオルやクリアファイルといった一般的なものもあれば、桐箪笥だの臼だの砂だのと訳の分からない物もあれば、果てはシェルターや一軒家まで『グッズ』として売り出すこともあるという。多少の需要が見込まれているから作るのだろうが、ファン的に喜ばしいグッズが発売されるかどうかは天運に任せるしかない。

 閑話休題。私の夫はバリバリ現役の野球選手、御幸一也である。一軍帯同は当たり前、持ち前の顔の良さだけでなく、打って走って捕って刺してと選手として飛び抜けた成績を持つ彼は瞬く間に球団の顔となった。つまり一也を題材にしたグッズは年から年中作られており、毎年貰って来る試供品がそろそろ倉庫に入らなくなってきた程度の人気者である。ただ、私はグッズを購入するファンの気持ちがあまり分からない。ユニフォームやタオルぐらいならまだ分かるけど、選手の等身大パネルとか写真がついたハンガーとかアクリルスタンドとかどうしろと、と思ってしまう。野球選手が夫になったのではなく、彼氏が野球選手になった果てに夫になったので、一般のファンとは異なる視点になってしまうのかもしれない──が。

 ある日、私の価値観が引っくり返る事件が起こった。

「かっっっっっわいい……!!」

 いつものように一也が持ち帰ってきたグッズの試供品を手に取って掲げる。デフォルメされたデザイン、もちもちのフェイスライン、綿がぎっしり詰まった四肢、手のひらサイズというのもグッド。なんだこの可愛い生き物は。いや生きてはないけど。

「もちもちマスコット? とかなんとか言ってたっけな。こういうの流行ってるらしいぜ」

 そう、一也が持ち帰ってきたのはデフォルメされた一也のぬいぐるみだった。全長十五センチほどに圧縮され、ユニフォームを着たそのぬいぐるみの可愛さと言ったら。あまりの衝撃に感涙すら浮かんだほどだ。なんだこれ。可愛すぎるんですがこの子。夫がモデルだなんて信じられない。

「これ、貰っていいの!?」

「別にいいけど……珍しーな、お前がこういうの欲しがるって」

「いやだってこんなん可愛すぎるし!! 可愛すぎますし!?」

 大はしゃぎの私に、一也は心底不思議そうな表情を浮かべている。そんなに私がグッズで喜ぶのが珍しいのだろう。私もまさかこの年になってここまでぬいぐるみ一つでテンション上がるとは思わなかった。やっぱ可愛いって正義なんだわ。

「ありがと、一也!」

「そんなにいいのか、コイツ……」

 一也は心底理解できないとばかりに、手のひらに乗せられたぬいぐるみを一瞥する。その答えは、このグッズが発売されてから嫌というほど知ることになった。

 間もなくして人気選手たちを模ったもちもちマスコットは転売されるほどに売れまくり、特に一也のは人気すぎて元値の二十倍近い価格で売買されたそうだ。球団グッズはあまり再販しないので、試供品とはいえ手に入っただけでも奇跡なのかもしれない。SNSからそんな情報を仕入れている時、私はあることに気付いた。

「みんな、ぬいぐるみと写真撮ってる……」

 『みゆぬいと一緒』、なんて一言を添えて撮られた写真には球場を背景に一也のぬいぐるみが写っていた。検索を続けると、どうやらぬいぐるみと写真を撮る文化は一般的なのか、食事をしたり旅行をしたりする時に一緒にぬいぐるみと一緒に写真を撮っているファンの画像が山ほど見つかった。どうやらこれも一種の『推し活』というものらしい。

 そんな推し活に感化され、私もついつい一也のぬいぐるみを持ち歩くようになった。一人でランチの時にプレートと一緒に写真を撮ってSNSに上げると、不思議と心があったかくなった。ふとした瞬間に鞄の中にいる一也と目が合うと、子どものような得も言われぬわくわく感が込み上げてきた。嫌なことがあった時、何も考えてなさそうなぬいぐるみの顔を見ているだけで笑みがこぼれた。なるほど、これが『推し活』か。いつでも会える推し。いつでも持ち運べる推し。いつだって思い出に写りこんでくれる推し──確かにこれは楽しい。私がスマホのカメラを起動すると同時に一也のぬいを手に取ることに慣れるまで、そう時間はかからなかった。

「あ、ちょっと待って。写真撮りたい」

 食事を写真に収めるのことがマナーに反するかはケースバイケースだろう。だから『SNSでの拡散大歓迎』と店側がポスターを掲示している店が推し活者にとってどれほどありがたいことか。お気に入りの狭いビストロで白ワインを開けて、鴨肉のムニエルや海鮮アヒージョなど美味しそうな品々を並べたテーブルと共に一也のぬいぐるみを取り出そうとすると──。

「いや、本体[おれ]と撮れよ」

 正面に座る夫が、不機嫌丸出しな顔でそんなことを言ったのだった。いやいや、何言ってんのコイツ。

「一也と写真撮れるわけないじゃん。身バレしたらどーすんのさ」

 仮にもプロ野球選手の妻なのだ、一般人とはいえ私の顔を知っているファンもわずかながらにいる。たまに二人で歩いてると話しかけられたりするし、一也とファンのツーショットを撮るために私がシャッターを切った日は数えきれないほどだ。

 ただ、SNSに関しては別だ。私は実名でSNSをやっていないので、一也と二人でディナーなんて写真上げた日には、秒速でアカウントを特定されてしまう。ただでさえ過激な女性ファンからは多少なりとも恨まれてるのに、SNSなんか特定されたら大炎上待ったなしだ。てか別に一也の代わりにぬいを代用してる、って訳じゃないし。

「本体撮ったらそれはただの夫婦の日常じゃん。でも違うんだな、これは推し活──いや、ぬい活なのよ!」

「はあ」

「可愛い可愛いぬいとどこでも一緒! 見てこの何も考えてなさそうな能天気な顔! この可愛さを写真に収めたいわけよ、こっちは」

「ここに可愛い可愛い本体がいるんですけど」

「どこにいんのよ、また視力落ちたんじゃないの?」

 呆れた半分で一蹴すると、一也は不満そうに鼻を鳴らした。百八十センチ八十キロオーバーの筋肉だるまのどこに可愛げがあるのか。まあぬいがこんだけ可愛いのだから、本体も欠片ほどの可愛げはあったかもしれない。子どもの頃の写真とか天使そのものだしね、こいつ。

「とにかく! 私は一也とじゃなくてぬいと写真が撮りたいの!」

「ふーん。あ、マリネ頼んでいい?」

「もうちょっと私の趣味に興味持ってくれてもいいんじゃないダーリン!!」

 こういうところが可愛げがないのだ、全く。メニューを見ながらあれこれ注文する一也の澄ました横顔を眺めながら、「ねー?」なんてぬいに語りかけてみた。何も考えてなさそうな清らかな目が、何をやってるんだと責め立ててきたような気がした。



***



 翌日、ぬいがいなくなったと思ったら、一也が自分のリュックにぬいを括りつけていることを中継のカメラに抜かれて初めて気が付いた。インタビュアーに『嫁がコイツとばっかり一緒に居るんで連れてきました』と馬鹿正直に答えた一也は愛妻家としていいアピールができたのかもしれないけど、テレビ見てた方の気にもなってほしい。

「いい歳こいてぬいぐるみで遊ぶ方が悪い!」

「いい歳こいてぬいぐるみに嫉妬する方もどうかと思うね!」

 とはいえお互い譲る気はないようで。五安打三打点上げて帰ってきた夫におかえりも言わず、私たちは顔を合わせるなりぬいぐるみ一つ争って取っ組み合いするはめになったのだった。まあ、これも似たもの夫婦ってことで。



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