Fantasti c lub

 スポーツを観戦する上で、負の感情が芽生えたことのない聖人はどれほどいるのだろう。

 どれだけ応援していても、どれだけ大好きでも、どれだけ信じていても、負けが込めばどうしたって気が滅入る。或いはそれほどの熱量があるからこそ、『負け』という結果に対して『裏切り』とファンは考えてしまうのかもしれない。そりゃあ、SNSに殺人予告するだとか、選手を直接野次るとかいう連中はマジでおかしいと思うけど、そういった苛立ちや負の感情が理解できない、と言えるほど私も人ができていなかった。

 閑話休題。私は野球が好きだ。アマチュアも見るが、基本的にプロ野球観戦が趣味である。贔屓の球団は大好きだし、選手たちはみんなすごいしかっこいいし尊いし、スタッフさんたちだって世界一だと思っている。故にこそ、負けが込んでしまうとどうしたって選手たちへの心無い意見や声を目にする、或いは耳にする機会が増えてしまう。ほんと、スポーツ選手に限った話じゃないけど、可哀想すぎる。とはいえ負の感情が芽生える気持ちは理解できてしまうので、最近じゃ贔屓の試合より別リーグの試合だとか、二軍の試合のが心穏やかに観戦できるほどだ。純粋にスポーツを楽しむには、やはり『勝敗』はあってはならないのだろうと思う。だからこそ私は、迎えたドラフト会議を目を血走らせながら見守っていたのだが。

 贔屓球団の一位指名を聞いた瞬間、私は椅子から転げ落ちた。

『第一順選択希望選手、御幸一也。捕手。青道高等学校』



***



「ああああああああ」

「うるせーな」

「なんでウチ来るのさあああああ」

「前から言ってただろ、視察来てたって」

 数日後、晴れてめでたくドラフト指名されてプロ野球選手としての道がほぼ約束された御幸一也に、私は不平不満をぶちまけていた。

「確かに二軍の若手捕手が全然伸びてないなとは思ってたし、打撃も守備も特化してる子がいないから数年後どうすんのかなとは思ってたけどウチのウィークポイントは投手じゃん投手何考えてんのさ首脳陣」

「んなこと俺に言われても」

 そう言って心底どうでもよさそうに伸びをする御幸。教室じゃあさぞ堅苦しい思いをしていたことが分かる。そりゃ、うちの高校からドラ一が出るなんて何年ぶりの快挙だろう。色んなクラスの子がサインを求めてやってきたし、学校側は総力上げて御幸のプロデュースを始めるし、息をつく間もなかったはずだ。

 そんな彼とこうして二人、人目を忍ぶように空き教室で昼食と洒落込めるのは、まあ単純に私と御幸が所謂『恋人同士』だからだ。クラス公認どころか学校公認の仲の私は御幸の恋人として取材を申し込まれたほどだった。流石にお断りしたが。

「応援する球団が増えたら出費やばいだろ。これからは俺のタオルやユニ買って売り上げに貢献してくれよ」

「ヤダーッ!! いやまあ絶対買うだろうしウチのグッズ担当優秀だから絶対アクスタとかブロマイドとか出るからそこは嬉しいんだけど応援したくないーっ!! もうこの際別リーグ行けなんて言わないから、別の球団に行けー!! それかいっそ進学しろー!!」

「ムリ、もうサインしちゃった」

「知ってるよチキショー!!」

 私の苦悩を嘲笑うかのように、御幸はしたり顔でそんなことを言いやがる。くそう、私の贔屓知っててこれが言えるんだからホントどうかしてると思う。

「何がそんなに嫌なんだよ」

「何回も言ったじゃん! ミスったら絶対文句言いたくなるしアンチに殴られてるとことか死んでも見たくないししかもドラ一とか二年ぐらいで結果出せ無きゃ針の筵だし……!!」

 色々あって、御幸と思いを交わして付き合うことになった。選手だなんだと差し引いても、御幸は私にとって『好きな人』なのだ。そんな人が警察すら手を焼くほどの誹謗中傷されるところなんか誰が見たいだろう。そりゃプロのアスリートになるってのはそういうことなんだけど……。

「別にどこに入っても叩かれる時は叩かれるだろ」

「違う……キサマは何も分かっていない……!!」

 澄ました顔で告げる御幸にグーパンチをお見舞いしたくなる。ほらよくあるじゃん。他所から見ると『なんであの選手、ファンにあんな叩かれてんの……?』みたいなやつ。百五十回近く試合がある贔屓のチームのポカと、年に三十回もない敵チームのポカは、比べるまでもなく前者の方が目につきやすい、というわけだ。何よりも。

「……純粋に応援するの、むずいし」

 ファン失格なのは分かってる。それでも、聖母のように穏やかに応援できるなら、狂信者[ファン]なんて名乗っていない。御幸が好きだからバッシングされてるところなんか見たくないし、自分自身が御幸のプレーに対してあれこれ負の感情で苛まれたくない。だからウチにだけは来てほしくなかったのだ。

 膝を抱えながら、購買で買ったカレーパンをもしゃもしゃと咀嚼する。隣の席に行儀よく座る御幸は「パンツ見えてんぞ」とデリカシーの欠片もない注意をしてくるが、無視した。ややあってから、御幸はちらりとこちらをの時期込んできた。

「──それって、そんなに嫌なことか?」

「は?」

 弁当二個ぺろりと平らげた御幸は、そんなバカげたことを言い出した。澄ました顔は相変わらずイケメンである。じゃなくて。

「いや、普通に嫌でしょ。彼女に『キャッチング下手くそ!』って野次られたいわけ?」

「んー、別にいーけど」

「なんでェ!?」

 思わずバカでかい声が出た。どうしよう、御幸がそんなドエムだったなんて知らなかった。思わぬ性癖の暴露に目を白黒させていると、そんな問題発言が嘘のように御幸はニッと歯を見せて笑った。

「そういうのが愛のムチー、ってわけじゃねーけどさ」

「そりゃあ、そうだけど──」

「でも、負の感情含めてお前の気持ちだろ?」

 ぱちぱち、と二度瞬きした。御幸の言ってることが、いまいちよく分からなかったからだ。そんな私に「だからー」と、御幸は何でもないように言葉を続ける。

「お前の気持ちなら何だってぶつけて欲しいんですけど」

「え、あ、でも──」

「寧ろ、そんなもん他の選手に向けるなよ」

 今後こそ、あんぐりと口が開いたまま閉じられなくなってしまった。けれど御幸は否定も訂正もすることなく私のカレーパンのゴミと弁当のゴミをまとめて片付けてしまって。


「ま、お前は俺だけ見てろ──ってやつ?」


 そう言って、茶化して、かっこつけて、笑って。でもそれが信じられないぐらいカッコ良くて。なんかもう、今までうだうだ考えてきたこと全部がぶっ飛んじゃって。

「……後援会立ち上げよ」

「気ィはえーな。つか、お前が発足させるのかよ」

 仕方ない。例えお父さんにだってファン一号は譲りたくないって思ってしまったのだから。



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