「御幸ってさ、貴子先輩のこと好きなの?」 「は? 俺が? なんで?」 そう聞けば、すっ呆けた答えが返ってくるのなんのって。でも、私は騙されない。こっちには、確固たる証拠があるのだから。 「だって、貴子先輩だけ名前で呼んでるじゃん」 同性ならまだしも、年上の、しかも女の人に対してそんな呼び方するなんて、もう好き以外の何者でもないだろう。さあどうだと胸を張れば、御幸は呆れたように露骨に溜息をついた。何その顔! 「俺、礼ちゃんも礼ちゃんって呼んでるけど?」 「……じゃあ、どっちも好きとかそういうこと!?」 罪作りな奴め。日本国では一夫多妻はNGだと騒げば、日誌で殴られた。痛い!! 「馬鹿なこと言ってねーで、さっさと書けっつの」 「へいへい分かりましたよう」 ぶつくさとそう言いながら、私は日誌にペンを走らせ始めた。 御幸とはクラスも一緒部活も一緒、何なら席まで隣という間柄だ。友達がいない、愛想がない、ないない尽くしの御幸でも、流石にここまで一緒に居ると無駄口の一つも叩くようになってくる。仲いいね、なんて友達にからかわれたりするけど、少なくとも名前で呼び合うような関係ではない、断じて。 そんな御幸と日直だった私は、部活が始まる数十分の短い休み時間を使って日誌を綴り、背の高い御幸に黒板の掃除を任せた。早くしないと部活が始まると日誌を覗き込むも、今日の授業の感想だのみんなに一言だの、中々思い浮かばない。なのでこうして雑談に興じているというわけだ。 「好きじゃないならなんで?」 「なんで、って……」 「だってさ、考えても見てよ。私が伊佐敷先輩のこと『純ちゃん』って呼んでたらどうよ?」 「先輩のこと舐めてんのかなって思う」 「んじゃ監督のこと『てっちゃん』って呼んでたら?」 「命が惜しくねーのかなって思う」 「ほら、やっぱ変でしょ!?」 異性の先輩だけならまだいいけど、仮にも相手は先生なのだ。なんでそんな舐めた態度取るのか、理解に苦しむ。そりゃあ、同じ苗字の人がいるとか、みんなが呼んでるとか、そういうのならまだ分かる。でも、貴子先輩のこと名前で呼んでるのはマネージャーの私らぐらいだし、高島先生は高島先生だし……。 「ね、なんで?」 「なんでって……何となく? ノリ?」 「理由になってない!」 何となくで下の名前で呼ぶことあるか。そう言って詰め寄るも、御幸は困ったように眉を顰めて唸るだけだった。信じられないことに、本当に意味はないらしい。 「へーえ、じゃあ御幸って好きでもないのに女の人のこと名前で呼ぶんだー」 「なんかすげーチャラいみたいに聞こえるんですけど」 「そう思われても仕方ないでしょ」 「別に、好意のあるなしで呼び方って関係なくねえ?」 「でも、私が小湊先輩のこと『亮ちゃん』って呼んでたら『え、なに』ってなるでしょ」 「……まあ」 「御幸の意見も正しいけど、それ聞いて周りからどう思われるって話」 「俺、別に気にしねーけど?」 「じゃあチャラいって思われてもいいでしょ?」 「……」 「(お、論破したっぽい)」 口から生まれてきたような御幸が、珍しく押し黙った。どうやら、チャラ男と思われるのは嫌らしい。レスバに勝つのは気分がいいやと、私は日誌の『今日の一言』欄にこう綴る。『御幸を論破してやりました』、と。 「おいやめろって」 「ふふん、勝利の記録を残しておかなきゃ」 「ふざけんな、消しゴム貸せ消しゴム」 「残念チャラ男くん、これボールペンなんだわ」 こっちに手を伸ばしてくる御幸をおちょくるように笑い飛ばすと、御幸はチッと舌打ちを漏らす。綺麗な顔を歪ませながら、デカい態度取ってるとますますチャラく見える。 「眼鏡なきゃ完璧だったな」 「何の話?」 「眼鏡のせいでチャラ男成分半減してるな、って」 「チャラくねえっつの」 「まあ正直チャラい奴だと思ってたよ、御幸のこと」 「え、マジで?」 「だって先輩にも舐めた口利くし、先輩や先生のこと名前で呼んでるし、バカクソイケメンだし、近付いちゃダメな奴かと」 野球部にすっげえイケメンがいる、とは入部当初から騒がれてたものだ。最初こそ私も青春チャンスかとウキウキしていたが、蓋を開けたらコレである。確かに野球は上手いし顔も良いけど、慇懃無礼だし、スコア見辛いとかおにぎりが歪だとか背番号の縫い方がなってないとかズケズケ言ってくるし、何より年上のお姉さんたちを名前で呼んでるし、顔に物言わせる遊び人にしか見えなかった。 すると御幸は困惑気味に顔を引き攣らせる。 「……俺、そんなチャラく見える?」 「正直、同じクラスになるまで裏で女食ってるタイプだと思ってた」 「食っ……!?」 実際は歯に衣着せぬ物言いをするだけのコミュ障なのだが、第一印象というのは恐ろしいもので、私は一年近く御幸をそういうやべー奴だと思ってた。私の言葉にショックを受けたのか、御幸は言葉を詰まらせて項垂れてしまった。流石に言い過ぎたか。 「ごめんごめん。今はそんなに思ってないから」 「……ちょっとは思ってんのかよ」 「あー、いや、そんな、うん──その──やっぱ第一印象ってあると思うワケで──」 ごめん、未だにちょっとは思ってる。嘘吐けなくて言葉を濁すも、御幸はどんどんしかめっ面になっていく。だってしょうがないじゃん、第一印象あんまよくなかったし、そうは言っても女の子名前で呼んじゃう奴なんだなーって思っちゃうし、こう、こう、ね。あるじゃん、やっぱり。 半笑いで誤魔化すも、御幸の眉間の皺は深まっていくばかり。数秒ほど妙な沈黙が、誰もいない教室に流れていく。グラウンドからは沢村の元気な掛け声が聞こえてきて、私は慌てて日誌とペンを御幸に押しやる。 「ほ、ほら御幸! とっとと書いて部活行こ! ね!!」 「……」 御幸は一瞬ぴくりと凛々しい眉を跳ねさせたが、すぐに日誌とペンを受け取った。ふう、危ない危ない。部活と言えばすぐさま切り替えられるのが御幸の悪いところでもあるが、いいところでもある。すぐさま日誌に何かを書き込んでから、くるりとそれを私に向けてきた。 「これでいい?」 「これでいいも何も、てき、とー、に──」 日直からの今日の一言なんて、ちゃちゃっと埋めればいいんだから。そんな風に思った私の言葉は、物の見事に途切れる。汚い字で書かれた『御幸を論破してやりました』という文字の下に、御幸の嫌味なぐらい整った、少し圧強めの文字を見るまでは。 ──そこには一言、『↑論破されたけどこの馬鹿が好き』と。 「お前一筋なんで、チャラいってのは訂正してくんね?」 頭真っ白になる私にそんなことを言って、御幸は日誌と鞄を携えて立ち上がった。そしてそのままスタスタと、何事もなかったかのように教室を後にする。日誌を職員室に提出しなければならないからだ。 ──なんて、冷静に実況している場合じゃない! 「ちょっ──馬鹿御幸!! それボールペン!!」 *** 「なあ、なんで日誌のココだけ破れてんだ?」 「「昨日論破(して・されて)喧嘩になって」」 翌日、次の日直である倉持にからそんなことを言われ、私と御幸は大袈裟なぐらい息を揃えてこう言った。不自然に破り取られた『日直からひと言』のコーナーに、聡い倉持が何を察したかは、まあ、言うまでもなかった。 |