思い出なんかにしてやらない

コレの別オチver



















 御幸一也に趣味はない。流行りのテレビも見ない。音楽も知らない。漫画やSNS・動画投稿サイトなどもろくに視界に入らない。それら全てを下らないと片付けるつもりはないが、やはり『野球』に比べればその優先度は低い。無論、そういったものが野球で疲れた身体を癒すものとは理解しているのだが、ゲームをしたりテレビを見るチームメイトを尻目にスコアブックを捲っている瞬間が、御幸にとっては安らぎになりつつあった──のだが。

 ここ最近、御幸は新たな『癒し』を見つけてしまった。

「みゆきー!! ついに発売されたよ、新アルバム!!」

 昼休みの訪れを告げるチャイムと共に、そんな元気いっぱいな声がB組に転がり込んでくる。頬を上気させ、スカートが翻ることも厭わず真っ直ぐ御幸の机に駆け寄ってくるのは、隣のクラスの野球部マネージャーの一人だ。その姿に、頬が緩むのを何とか抑えながら、御幸は平静を装う。

「おー、昨日だっけ」

「そうそう! ようやく届いたの! 昨日家帰って、すぐ開封儀式してね!」

「へえ。どうだった?」

「それを今から確かめるのだ、同志よ!」

「はいはい。でも、飯の後な」

「それもそう!」

 そう言いながら、鞄からスティックパンの袋を引っ張り出し、当たり前のように御幸の座席の正面に座った。ニコニコと笑みを浮かべる彼女を尻目に、御幸もまた購買で買った五十円のおにぎりを頬張った。

 そして昼食を全て胃に収めるや否や、彼女は大はしゃぎでスマホを御幸に差し出す。

「食べた? 食べたね? じゃあ聞こう、すぐ聞こう!」

 そう言いながら、彼女はスマホに有線のイヤホンを差して、躊躇いなく片方だけを御幸に差し出す。短いコードで繋がれたそれを御幸は素知らぬ顔で受け取って耳に押し込む。その反対側は、正面に座る彼女の耳に収まる。黒とメタリックブルーの有線イヤホンは、お年玉を叩いて購入した自慢の品だと彼女は言っていたっけ。そうして数秒の沈黙が流れる。クラスはいつも通りワイワイガヤガヤとノイズがあるのに、ここはまるで切り離されたかのように静かだ。おかげでこんなにも、心臓の高鳴る音を自覚してしまう。

「歌詞これね。もうね、一曲目からすんごいの!」

 そう言いながらスマホを操作する彼女の小さな指先をちらりと見て、すぐに視線を逸らす。どくどくと、耳から心音が飛び出してきそうだ。早く、と祈るように呟けば、すぐさま耳元に聞き慣れたギターの音色が流れ込んできた。酔い痴れるように目を閉じる彼女に倣って、御幸もまたそっと瞼を閉じてみた。こうすれば少しくらい、気持ちが落ち着くと信じて。

 ──目の前の少女を必要以上に気になりだしたのはいつからだったか、御幸は覚えていない。きっと、他の人にとっては何でもないことが、いちいち御幸の目に留まったのだ。はにかんだ時の柔らかな眼差しとか、はしゃいだ時の笑い声とか、隣を歩いた時の小さな歩幅だとか、そんな何でもない一つ一つの仕草を『可愛いな』と思ったのだ。そうして気付けば海に溺れるかのように、彼女に惹かれていったのだ。

 しかし、御幸の優先事項は何があっても部活であり野球。好きだとは思うが、付き合おうとか、告白しよう、とまでは考えなかった。そもそも、部活が同じだけで、彼女とはろくに接点がない。だからどうこうするつもりはなかったのだ。こんな風に話すようになるとは思わなかったのだ。なのに。

『〜♪』

 ただの、気まぐれだったのだ。彼女は、無類の音楽が好きだった。御幸でも知っている、有名なロックバンドの大ファンらしく、マネージャー業務に勤しんでいる時、いつも鼻歌を歌っていた。音楽に明るい白州や川上がいつも一緒に話し込んでいて、いいな、なんてらしくない羨望を向けたのも、きっかけの一つ。ただ、彼女があんまりにも楽しそうに歌っているから──変な話、移ったのだ。

 だから、そんな鼻歌を見よう見まねで歌いながらバッティング練習をしていた時だった。彼女にその、下手くそな鼻歌を聞かれたのは。

『御幸──ダイヤ好きなの!?』

 食って掛かるように詰め寄りながら口にするそれは、彼女の愛するバンドの名前。まさかお前が好きだから覚えてしまった、なんて口が裂けても言い出せず、御幸もまた同じバンドが好き、ということにしてしまった。そうせざるをえなかったのだ。それを知った彼女の喜びようと言ったら。その場で飛び跳ね、満面の笑みを浮かべるその姿は、生き別れの兄弟に再会したかのようだった。

 それから御幸は、好きな人の『同志』になった。彼女は新曲や新譜がリリースされると、いつだって御幸の元に飛んでくる。新しいの出たよ、一緒に聞こう、と。思わぬきっかけを作ってしまったことに若干の後悔を覚えたが、それでも嬉しそうな笑顔を浮かべるその人に本当のことは言い出せなかった。なのでこうして、『同志』として肩を並べるようになってしまっていて。

「はあ〜……最高。エーちゃん作詞作曲に外れなし!」

「こないだのシングルと同じ人?」

「そう! エーちゃん最近個人活動してるから曲提供少なくなったんだけどさ、たまにライブにも来てくれるの!」

 こうして二人で曲を聞いて、あれこれと話題を掘り下げる。その会話自体が、特別楽しいだとか、興味をそそられる、ということはない。それでも、浅い知識を決して笑わずに解説を入れては、楽しそうにはにかむ彼女の姿を間近で見られるだけで、十分だった。吐くほど辛い練習でさえ、そんな時間が一日に数分あるだけで御幸の身体は驚くほどに回復してしまう。おかげで最近じゃそのバンドの曲を聞くだけで、どこか穏やかな気分になってしまう。パブロフの犬だな、そうからかってきたのは御幸の拙い恋を容易く見抜いてきた白州だった。

「いつか行きたいなぁ、ライブ」

「生だとやっぱ違う?」

「全然違うよ! こんな五万のイヤホンが玩具に聞こえるぐらい!」

 無線よりも優先の方が音質がいい、と声高に主張するが、御幸にはその違いが分からない。そういうもんかと訊ねれば、そういうもんと少女は力強く肯定する。

「野球だってテレビで見るのと球場で見るの、ぜーんぜん違うでしょ!」

「そりゃあ、まあ──なるほどな、そういうもんか」

「でしょ!? はーあ、一回でいいから生で聞いてみたいなあ」

 ぺたり、と御幸の机に突っ伏すその人の小さなつむじが視界に入る。可愛いな、なんて思うあたり、だいぶ重症である。涎を垂らすなと頭を小突けば、そんなことしないとむくれる顔もまた、愛おしい。そんな御幸を肯定するかのように、恋のバラードが耳に流れ込んでいく。

 いつかこの恋を振り返る時、この曲を一緒に思い出すのだろうと御幸は思った。どうせこの先、彼女と道が交わることはない。だからせめて、この曲だけは思い出として持っていきたい。そうすればこの先どんな困難な道が続いていたとしても、乗り越えられるという確信があったのだ。

「──そういえばさ」

「ん?」

「野球選手の登場曲ってことで、試合終わった後にライブする球団もあるんだってね」

「ああ、まあ」

「じゃあ御幸も登場曲ダイヤにしよ!! そしたら試合も見れるしライブも見れる! 一石二鳥じゃん!!」

 すると、唐突に彼女はウキウキとした様子でそんなことを言い出した。確かに、野球人口もファンも減少の一途を辿っている。客を入れるために、球団はありとあらゆる手段を講じていると聞くが、それにしたって随分先の、しかも確約のない未来である。

「つーか、プロ行くの前提かよ」

「行かないの?」

「今は甲子園のことしか考えてないからな」

「そっか。名案だと思ったんだけどなぁ」

 少女は残念そうに呟きながら、指先はリズミカルに机を軽く叩く。当たり前のように未来を語るその人に、そうか、と御幸は独り言つ。

「もしプロに行っても、応援しに来てくれるんだ?」

「そりゃ行くでしょ。え? だめ? なんで?」

「や、ダメじゃねーけど。来るんだなー、と」

 彼女の未来に、御幸一也は当たり前のように存在する。その事実に、ただ驚かされたのだ。そりゃあ同じ部の仲間なのだ、決しておかしな話じゃない。なのに、それがまるで特別なことのように御幸の胸を打つのだ。

 バラードが終わり、耳元に激しいロックサウンドが流れてくる。

「行くよ、絶対行く。今から楽しみにしてる!」

「どうせライブ目的だろ」

「ライブがなくても行くよ、失礼な!」

「どーだか」

「嘘じゃない! 絶対絶対行くから、何なら毎回だって!」

「最低千五百円のチケット代を年平均百五十試合も?」

「そ、そんなに試合あるんだっけ!? ほぼ毎日じゃん!?」

「そりゃそうだろ。それでも来んの?」

「……し、知り合い優待!」

「ちゃっかりしてんね」

 激しいサウンドを聞きながら、御幸は弱弱しく笑みを零す。ほぼ毎日でも、来たいと思ってくれるのか──リップサービスだのおふざけだの分かってても、単純な十七歳の少年は、たったそれだけで舞い上がってしまう。

「しゃーねえな。その代わり、ちゃんと来いよ」

「おうともさ、同志よ!」

 机の上で腕を組んで、彼女は堂々と宣言する。同志──同志か。それでいいと思っていた。これがいい思い出になると、そう割り切るはずだった。なのに『未来』は御幸が思ったほど無限大なのだと、知ってしまった。芽吹いた欲は切っても切り離せず、悪態を吐きながらも御幸もまた耳元で流れるギターに合わせてリズムを取り始めてしまったのだった。

 ──彼女がただの『同志』でなくなるまで、あと何日?



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