名探偵はI LOVE YOUに気付かない

 授業中、前の席から一枚の折り畳まれたメモ用紙が回ってきた。授業中は真面目に先生の話を聞きなさい、と思いつつも、流されるように受け取ってしまうのは私の悪いところである。なにさ、と零しながらメモを開くと、そこにはこう書いてあった。

『128√e980』

 計算……できなくない……?

 何度読んでも分からない。理解できない。数学は苦手じゃないけど意味分かんない。eってなに、代数? 定義も書いてないし、どうしたらいいの、これ。メモを見つめてうんうん唸ること数分、名探偵気分の私は、これは何らかの暗号であると私は結論付けた。だってどうあっても解けないし、これ。

 となると、この暗号の意味である。文字から、二つ斜め前に座る友人が差出人であることが分かる。彼女とは割と仲良いけど、この暗号について覚えはないし、こんなものをやり取りしたこともない。ふむ、と考えること数秒。私の下した結論はこうだ、この暗号は私宛てではない、と。

「(──あ)」

 では誰宛てか、そう推理するより先に答えを見つけた。メモにはしっかりと友人の字で『御幸君へ』と書かれていたのだ。何という観察力の不足、これでは名探偵は名乗れまい。凡探偵に降格した私は、その宛名をまじまじと見ながら静かに溜息を零した。御幸とは、私の斜め後ろに座っている男の名前であり、メモ送り手である友人の思い人でもあり、それと同時に私の密かな片思いの相手である。何故そんな複雑な関係になっているかと言うと、これには海より深い訳がある。

 まず最初、友人が御幸に恋に落ちた。引っ込み思案な彼女に代わって、私が御幸と喋ってはその情報をコッソリ友人に流す、彼とはそれだけの関係だった。そのうち、御幸の独特の感性だとか、震えるぐらい大人びた部分だとか、そのくせ高校生らしく無邪気に野球の楽しさを語るギャップだとかに、私までコロッと持っていかれたのだから、だいぶ馬鹿だと自分でも思ってる。友人の恋を応援する口で横恋慕はできない、せめて橋渡しができればと御幸と話せば話すだけ好きになっていくのだから、もうどうしようもない。凡探偵改め大馬鹿探偵である。

 けれど、どうやら私の役目は人知れず終わっていたらしい。

「(秘密の暗号をやり取りするぐらいの仲になってたんだ……)」

 私の知らぬうちに、いつの間に二人の仲は進展していたらしい。それならそうと言ってくれればいいのに、二人とも水臭いんだから。なんて強がってみても、やはり失恋のダメージは大きい。応援すると言いながら、心のどこかで期待してたなんて最低だ。最低探偵だ。

 でも、凹んでもいられない。これはもう、罰だと思うしかない。友人の思い人を掠め取ろうとした最低探偵に、神様が天罰を下したのだ。罰は甘んじて受けます。さよなら、私の恋。せいぜい幸せになりな。そんな思いで、私は教師が板書する隙を見て恋心を手放すように私はメモを御幸の机に投げたのだった。

 そうして物理的に前を向き、新たな生活のスタートを切るべく黒板を見上げた、のだが。

「──ぶフッ!?」

 背後から御幸が吹き出す声が聞こえて、思わず振り返ってしまった。私だけじゃない、あまりに大きな声だったのでクラス全員が御幸を見ていた。御幸は珍しく耳まで真っ赤で、動揺した目が如実に泳いでいるのが見えた。おいおい、愛すべき友人はどんな口説き文句を暗号化したんだ。

「御幸、どおしたあ?」

 年老いた教師が間延びした声で訊ねる。御幸はすぐに「何でもないです」と焦ったように叫び、すぐさま大きな背中を丸めて机に覆いかぶさってしまった。へいへいお幸せに。唯一事情を知っている私は涼しい顔をしたフリをして、止まっていた板書を再開したのだった。

 そして授業終わり、邪魔者探偵はひっそり傷心を癒やしに購買にアイスでも買いに行こうかと席を立った瞬間、ガッと物凄い力で肩を掴まれた。振り返ったそこには、まだ顔を赤くしたままの御幸がいて。

「え」

「来い!」

「なんで!?」

「いいから!!」

「人違いでは!?」

 そうして私は肩を鷲掴みにされながら、半ば引きずられるように教室から引っ張り出された。道すがら、驚き目を見開く友人の顔が見えたような気がして、ますますパニックになる。え、なんで私なの。人違いでは。私は無実です。そんなことを叫ぶも御幸は聞く耳を持たず、空き教室に私を無理やり押し込んだ。

「ちょ、なに!?」

「お前どういうつもりだよ!?」

 御幸は怒鳴りながら、私に何かを突きだした。眼前に現れたのは、先ほど御幸の机に投げ込んだ暗号メモ。どういうつもりも何も、お二人の橋渡し(物理)をしただけなのに、何故怒鳴られなければならないのか。納得ができない。

「おま──ほんと──!」

 困惑する私に、御幸はますます怒ったようで、言葉すら詰まらせるほどだった。たった数分前に失恋したのだ。もっと優しくしてほしいものである。流石の邪魔者探偵への罰が過ぎるのではないでしょうか、神様。

「……れも」

「え?」

「俺もだよ!!」

 すると御幸は顔を真っ赤にしながらそう叫び、頭をがしがしとかきながらプイっと顔を背けた。聞き違いでなければ、Me tooに類似する言葉を言われたような。だが、肝心の何にtooが掛かっているのか分からない。何故ならこの贖罪探偵には、あの暗号を読み解けなかったのだから。だから私は、この気まずさを打破すべく、正直にこう言った。

「え、えーと……なにが?」

「は?」

「あの暗号のことだよね? ごめ、ちょっと意味分かんなくて」

「……は?」

「あの、友達から、ね、回ってきたの、パス、しただけで」

 そう弁解する私の前で、御幸の端正なお顔立ちがどんどん険しくなっていく。この様子だと、御幸は暗号の差出人を私だと思っていたのだろうか。確かに差出人を伝えなかった私の落ち度だが、てっきり二人の間の秘密の暗号だと思っていたのだが、違うのだろうか。

「えと、ごめん、意味、知らなくて、ちょっと調べ──」

 ということは、普遍的な暗号なのだろうか。xyz的な、いや古すぎるか、それ。そんなことを考えながらスマホを取り出す。なんて書いてあったか、数字の羅列を思い出しながら打ち込もうとしたのに、スマホは叩くように御幸に奪われてしまった。

「何すんの!?」

「忘れろ、今すぐ」

「何を!? 何が!?」

「それまでコレ、お預けだから」

「現代っ子の生命線ががががっ!!」

 スマホを奪われては敵わない。返せ返せと御幸に手を伸ばすも、図体だけは立派になったこいつが高々と腕を上げてしまえば、握られたスマホを奪還するのは不可能で。結局、今見聞きしたことは全部忘れるという条件で、私は自らの生命線を奪取することに成功した。御幸は終始不機嫌そうで、ブスッとしたままポケットに手を突っ込んでいた。

「あ、そうだ差出人はね──」

「いい。分かってる」

「???」

 分かってるなら何故私を連れてきたのか。全く理解できない。名探偵の名折れだ。トボトボと肩を落として歩きながら、ひとまず友人の恋が実ったわけではないと分かってちょっと嬉しくなった。いやいや落ち着け、最低探偵。そんなことを喜ぶんじゃない。でもしょうがない、やっぱ御幸のこと、好きなんだしさ!

 ──結局、数字の羅列を思い出すことのできなかった私がこの暗号を解くことはなく、御幸と友人と、それから私を取り巻く三角関係は、名探偵ですら想像できないほど未来の果てに、名探偵ですら推理しようのない結果に落ち着いたとかなんとか。

 なお、当時の心境について、御幸はこう語る。

「お前、二度と名探偵を名乗んな」



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