Update:Ver.1.78.0

 好きな食べ物を訊ねられた時、御幸一也は決まって回答に困っていた。

 例として『カレー』が好きだとする。ならそのカレーとは何でもいいのか。カレーと一口に言っても様々なだ色んなトッピングが乗っているものもあれば、インド式の本格的なものもあるし、スープ状のものもあるだろう。家で作るそれと、インドネシア式のものと、コンビニで売っているもの、レトルト食品だって違うだろうし、カレー一つとっても千差万別だ。であれば、その男は一口に『カレーが好き』なのだろうか。否、そうは思わない。

 となると、自分の好みは何だろう。特別嫌いな食べ物はない。甘いものは苦手だが、多量摂取しなければ口にできなくもない。好き好んで食べるものがあるかと聞かれたら、答えは『タンパク質』になってしまう。多分、そういうことを聞かれているのではない、ということぐらいは分かる。肉も食うし魚も食べるし野菜も不得手はない。食事はエネルギー源で、肉体を作るトレーニングの一つ。故にこそ、そこに好みを見出すという考えに至らない御幸は、いつだって『特になし』と一言綴っては、何だこの答えは、つまらない男だな、そんな風に言われるのだった。

 けれど、ここ最近の御幸は、ほんの少し変わった。

「──うまい」

 弾ける肉汁。噛み締めるたびに肉の旨味が溢れて止まらない。手作りの和風ソースも、肉の味を消さずして、しかして脂っこさを誤魔化してくれるかのようだ。これは美味しい。こんなに美味しいハンバーグは初めて食べた。ガツガツと白米と共にかき込んでいく御幸を見つめるのは、その料理の作り手。ただ一人、御幸一也が隣にいることを良しとした人。

「やったね、バッチリ好印象、ってね」

「なんだ、それ」

「って有名なセリフがあるの」

「ふーん?」

 楽しそうにケラケラと笑いながら元ネタを解説するその人の話を聞きながら、御幸はハンバーグを噛み締める。うまい。昔、父と二人で暮らしていた時も作ったことはあったけれど。こんな味にはならなかったのに。

「これ、何入れてんの? 味噌?」

「さっすが。そうそう、味噌入れると白米に合うんだこれが」

「すげー、無限に食える気がする」

「米は許す。脂質はこれ以上NGね」

「え、まだ平気だろ」

「ブリュレが要らなければどうぞ?」

「手作りの?」

「そりゃあ、リクエスト頂きましたので」

「なら我慢する」

「よろしい」

 彼女は──苗字を共にすることになった妻は、料理が好きだった。正確には美味しいものを食べることが好きなのだ。肉体作りに直結する食事は、御幸にとってはトレーニングと同様の価値を持つ。それを他人に任せる日が来るとは思わなかった。しかも、こんな風に味を楽しむことができるなんて、夢にも、だ。

 食事は、なくてはならない。それは生物全てに該当する。けれど、そこに付随する味は、正直二の次だ。そりゃあ吐くほど不味い料理を摂取し続けるのは難しいかもしれないが、それが必要とあらば御幸は迷わず我慢する。そういう人間だ。栄養バランスとカロリー、それらが必要な分だけ摂れるなら、味なんかどうでもいい。そう語る御幸を『変人』『野球マシーン』『怖い』なんて言う人の中で、彼女だけがこう言ったのだ。羨ましい、と。

『だってこの先の人生、いくらでも美味しいと感じる物に出会えるんでしょ!?』

 世の中には記憶を消してでも体験したいことがあるのだと、嬉しそうに語るその人に気付けば惹かれていった。彼女がもたらした『出会い』は、確かに御幸の人生観を揺さぶるものばかり。食事とはこんなにも美味しかったのか。こんなにも楽しかったのか。驚く御幸の横には、いつでも幸せそうに微笑む彼女がいた。

 そんな彼女と結婚してしばらく、そんな驚きの生活は途絶えることなく続いていく。あれだけ苦手だと思っていたスイーツも、彼女がもたらすものなら迷わず口に入れた。そして、そのたびに衝撃を受けるのだ。甘いだけの、脂質の塊だと思っていたものは、こんなにも人を幸福な気分にさせるものなのか、と。

「じゃじゃーん! ついに買っちゃった、ガスバーナー!」

 そうして食事を終えた後、クリーム・ブリュレに茶色い砂糖をふりかけ、ガスバーナーで炙る彼女の何と楽しそうなことか。ぱちぱちと、砂糖の焦げる匂いが部屋いっぱいに広がって、それだけでも温かな気分になる。手のひらサイズのココットから白い煙が吹きあがれば、キャラメリゼされたクリーム・ブリュレの完成だ。

「ひ〜〜〜美味しそう! これを自宅でできる贅沢!!」

「確かに、ホテルでしか見かけねーよな」

 ハイテンションでバーナーからガス缶を取り外すその人にスプーンを差し出して、向かい合って座る。まさか自分が『この間食べたプリンをもう一度作ってほしい』なんて言う日が来るとは、誰が想像できただろう。だって、仕方ない。それぐらい美味しいのだ。それぐらい、幸せなのだ。それぐらい、愛する人と共に食べるその味が、忘れられなかったから。

 ぱりぱりになったキャラメルをスプーンで割って、ブリュレを口に運ぶ。御幸の口に合うように甘さを控えめにし、豆乳で作ったそれが口の中で蕩けていく。冷たいそれと、今しがた熱した薄氷のようなキャラメルが混ざり合っていく。

「ん、美味い」

「美味しい〜! これやるだけで段ボールも食べれそう!」

「ぶはっ!! できるもんならやってみろよ!」

「言葉のあやでしょーが!」

 そんな下らないことで笑い合いながら、ココットを突き合う。ああ、やはり何度食べても美味い。また食べたいと、リクエストをするほどに。
 
 そうして御幸一也の好物は、一つ、また一つと増えていく。御幸の味覚が変わったのか、或いは『出会い』のおかげなのか。理由は定かではない。ただ一つ確かなことは、取材やファン感で好物を聞かれても、悩むことなく答えられるようになった。これで文句はないはずだと、今日も今日とて好みを挙げ連ねていると──。

「あの……せめて二つくらいに絞れませんか……?」

 嫁の作った、という枕詞を付けてカレーだハンバーグだ肉じゃがだプリンだと『好物』をいくつもいくつも連ねる御幸に、選手名鑑の編集者はゲッソリしながらそう零したのだった。



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