キャッチ&リリース

「私さあ、なんで野球選手ってアナウンサーと結婚するのか謎だったんだよね」

「まあ最近あんま聞かねえけどな」

「需要と供給の一致だってことに気付いてさ」

「聞けよ」

 俗に、野球選手と出会うならアナウンサー一択、なんて野球選手自身が語るほどには、この二つの職業はカップル成立する確率が高い。最初はケッどうせ美人で頭のいいアナウンサー様に目がないんだろいいご身分だなとか思っていたのだが、最近少し考えを改めるようになってきた。

「社会的保証って大事だなって思うわけよ」

「と、いうと?」

「ホラ、最近はSNSやってて当たり前みたいなとこあるじゃん。したらさ、社会的な地位もなければ、いい大学入るために頑張ったオツムもない人はさ、このインターネット・オーシャンで釣り上げられて煮て焼いて食われるのがセオリーなのよ」

「なるほど?」

 まあ、アナウンサーだからって全員が全員頭がいいわけでも常識があるわけでもなく、酸素は毒、化合物は癌の元、なんて騒ぐ人もいないわけではない。ただ、有名な大学入って、テレビ局という言葉が物をいう場所に就職をし、人前で言葉を紡ぐことを生業とする彼女たちはそういった炎上の心配が極めて少ない。民衆に発信するに当たって何がNGか、彼女たちは概ね分かっているからだ。

 ──と、元カノの暴露話が週刊誌に晒されている推しを思いながら、ほろりと涙する。女を作るなとは言わない。けれど、付き合う相手は選んでほしい。実際どんなトラブルがあったかは本人たちにしか分からないにしろ、示談交渉済みの関係を金欲しさに週刊誌に売りつけるような女に現を抜かしてほしくなかった、というのが一ファンとしての心境である。

「そう考えると、野球一筋それ以外てんでダメですっていう多忙極めたプロ野球選手と、頭が良くて美人な上に仕事も忙しいアナウンサーってバランス取れてるんだと思って」

「お前の発言は俺を含めて全アスリートを敵に回した」

「野球一筋それ以外てんでダメ男の代表が何言ってんだか」

 そう言いながら、元高校のクラスメイトにして、今を時めくプロ野球選手となった御幸に言えば、端正な顔をきゅっと顰めた。だが、反論の余地はないと諦めたのか、大人しくビールを呷った。

 何年かぶりの青道の同窓会にやってきた御幸一也と私は、その昔付き合っていた。つっても、高校卒業するまでの話だけど。打者の心理は読めても女心までは読めないこいつとの付き合いはそれなりに大変だったが、それと同時にそれなりに楽しくもあった。だが、高校卒業後はプロ入りすると告げた御幸に、私は白旗を上げてしまったのだ。ごめん、そこまではついていけない、と。

「(──今思えば勿体ないことした気もするけど)」

 今や億プレイヤーとなって、野球ファンなら誰もがその名前と顔を知る御幸は大層な物件となった。日々あくせく働きながら彼の足元にも及ばない金銭を稼ぎながら出会いを探す身としては、逃がした──正確には、手放した魚は大きかったなと後悔する程度には欲深く、そして意地汚くはなっていた。大人になるってこういうことよと、当時の自分に言ってやりたい。

 ただ、あの頃の選択が間違っていた、とは今も思わない。やはり一流アスリートとして活躍する御幸と『好きだから』だけで一緒に居続けるのは難しい。私も私なりにやりたいこともあるし、御幸だけを支え続けることはできない。故にアナウンサーたちは結婚した後、職を辞して選手たちを支える『裏方』に回るのだろう。

 故にこそ、私は揺らいではならないのだ。

「だから御幸もさ、ちゃんとした人を選ばないとダメだよ」

 モスコミュールに入った氷をからんと鳴らして、私は気丈に笑う。けれど御幸の顔は険しいまま、レンズの奥の目は不満げに私に注がれて。

「お前だって、ちゃんとしてる」

「だったら別れてない」

「俺はまだ別れたつもりねーからな」

 まだ言うか、この男。早くも二日酔いとばかりに頭が痛くなる。でも、御幸の目は真剣そのもの。少しだけ色素の薄いその目に宿る熱も、あの頃と変わらない。どうして変わってくれないのか、何年経っても理解できない。

 御幸とはもう何年も前に別れたはずだ。けれど、そう思っているのは私だけ。本人は別れたつもりはないの一点張りで、何度も何度も連絡を寄越してくるのだ。プロ野球選手として活躍して、アナウンサー様だの女優だのモデルだのインフルエンサーだの、多くの魅力的な人に出会ってきたのに、高校時代のどこにでもいる学生だった元カノに、こいつはずっと執着している。

「……無理だって」

「俺のことまだ好きなくせに」

「それだけで何とかなると思えるほど子どもじゃない」

「まず何とかしてみてから考えればいいだろ」

 それで何とかならなかった時が怖いから、私は逃げたのだ。そりゃあ、好きだよ。まだ、大好きだよ。だけど、私は御幸のために人生捧げられない。アナウンサーだとか女優だとかモデルだとかに太刀打ちできる武器なんか、何一つないのに。

 だからなるべく顔合わせないようにして、今日の同窓会だって御幸がいないって聞いてたから来たのに。ちゃっかり当日参加して。みんな気を利かせて私たち二人を店の隅に追いやってしまうし。ああ、もう。今日はみんなで飲んだくれて、逃がした魚は大きかったね、なんて笑い飛ばすつもりだったのに。

 アルコールに蕩けた瞳に、心臓を鷲掴みにされる。


「もう二度と、お前のこと逃がすつもりねーから」


 逃げたのは。逃がしたのは。どっちの魚だったのだろう。



*BACK | TOP | END#


- ナノ -